第2章 満月は紅蓮に染まる

第1話

 

 お気に入りの本の中で唯一持ってきた魔導書を読み切る頃。

 うとうとこうべを垂れていたネリは、到着を知らせる汽笛で飛び起きる。

 乱雑に置いた上着を急いで羽織り、慌てて散らかしたお菓子と本をしまった――。


 

【西の鉱山街ミヌ・ラバンリュ

 大陸を横断するアルプゥ山脈の中でも、気温が低く万年雪と氷河で覆われている。高山植物や幻獣以外の入山は、自殺行為だとまで言われるツィングトック鉱山は、かつて、世界で最も不純物の少ない水晶クリスタルを採掘できる場所として栄えていた。

 その麓に位置するミヌ・ラバンリュは、炭鉱が閉山した今でも、高度な鉱物加工技術を有していて、昔ほどではないが田舎にしては人口が多く活気に溢れる街だ。

 アルプゥ山脈の一角には、絶滅危機にある幻狼族マーナガルムの群れも古き時代、ここに存在したと言う。

 

 「まだ九月なのに、この寒さって異常だわ」

 

 氷山に囲まれているため、街は一年を通して防寒具が必要なほど冷え込む。

 雪にさえ免疫のない都会っ子の彼女には、拷問である。

 下調べは勿論したが現地調達でいいかと、嵩張かさばる真冬用のコートを持ってこなかったのは非常に失敗だった。

 

 改札を出て、屋敷の位置を確認しようとポケットから杖を取り出す。

 ――取り出したは良いものの、長年の癖に我ながら悵然ちょうぜんとした。

 気恥ずかしくなりつつ、おずおずとそれをポケットへ納め、仕方なしにボストンバッグへ入れた地図を探し出す。

 持参した物はそう多くないはずなのに、中々見つからない。

 鞄を開いた時に汽車へ忘れた可能性は否めなかった。

 勉強も運動も完璧な彼女だが、家事と方向感覚に関してはテンで駄目。本人もそれは自覚していた。


 頭を抱えていると、駅前広場で人集りが出来ているのに気がつく。

 この辺りのマダム達だろう。キャッキャしながら、男を取り囲んでいた。

 モデルでも撮影に来ているのか。煉瓦造りの街並みに、雪化粧。撮影には持ってこいの映えスポットであることは間違いない。

 そういうのは滅法疎いネリも、あまりのマダム達の黄色い声援が気になって、中心の人物が確認できる位置まで移動した。

 ――バチッ

 ご婦人達を取り巻く『少年』と目が合った。

 真紅の眼孔に射抜かれ、身体が硬直する。

 切れ長の瞳には人工物つくりもののように長く伸びた睫毛。サラりと白銀の髪が冷風かぜなびく。

 恐怖を抱くほどの神秘的な美しさの中に残る、あどけなさ。

 ヒト、と言うには畏れ多い麗姿に、ネリは疑懼ぎくの念を抱いた。

 名残惜しそうな女性たちを端然と解散させ、雪白せっぱくの少年は彼女の目前に迫り寄る。

 

 「お待たせいたしました。ネリ様……ですよね?」

 

 見た目で想定していたよりも幾分低いベルベットボイスに思わずひるむ。

 

 「――あなたは?」

 「魔女エイダ様の屋敷から参りました」


 モッズコートに刺繍された『黒薔薇』を指で摘み、主張するように見せてくる。

 黒薔薇の刺繍は西の魔女の証だ。


 「迎えに来たはずが、令夫人マダム達に捕まっちゃって」

 「……その眼。あなた、幻狼族マーナガルムよね。上手く獣耳みみしっぽを隠しているようだけれど。良いの? バレたら大変なんじゃない」

 「――大丈夫ですよ」

 

 やはり気になって、美少年の正体を聞いてしまう。

 さすがに失礼かと思ったが、勤勉で好奇心旺盛な彼女にはスルーなんて出来なかった。絵本や歴史書の挿絵で見たことはあったが、実際に幻狼族を目にしたのはこれが初めてだったのだから。

 未だ躍起になって、彼ら幻狼族の血を求める輩も居ると聞く。

 人里に紛れ、魔法使いや人間と交わり、純血をわざわざ薄めなければならない程に一時代前は鏖殺おうさつされ、密売を繰りかえされ、瞬く間にその数が減少したと習った。

 王家の血を引く者以外の純血は既に滅んだと、史籍で読んだこともある。


 しかし、この完璧なヒトの姿。

 幻狼オオカミといえば、ヒトの姿に獣耳とふわふわな尻尾があるイメージだった。幼いころ姉たちに読み聞かせてもらった絵本には、獣耳の生えた子供たちが描いてあったから、きっと本物もそうなのだろうと勝手に思っていたのだ。

 魔法で隠している……というよりは時が経つにつれ、血が薄くなり、ヒトへ姿形が似てしまっているのかもしれないとネリは導き出す。

 同じ幻獣である小人族ドワーフも、数百年の時をかけて、魔法使いや人間と見分けがつかないほどの姿形になったとされている。違いがあるとすれば、やや尖り気味の耳と、男性は筋肉質、女性は豊満な人が多いという点くらいだ。

 彼らは血を薄めたというよりは、自然にヒトに馴染んでいったらしい。

 一方、小神族エルフは……描かれている書物が最も少なく、現在でも確かな生態情報が知られていない。彼らのことに関しては、いまだ不明確なことが多いのが事実であった――。


 「街のヒトは知ってますよ。それに街外に密告バラしたりするヒト、ここには居ないし。よそから来たヒトって、こういう田舎だと分かりやすいんだ」

 

 だから心配ないよ、と首を傾げワザとあざとく続けた彼に少しイラッとした。


 「西の魔女の小姓を狙う命知らずの阿呆には、生まれてこの方、出逢えてないかな。それはそれで、ちょっと残念なんだけど」

 

 大人しそうな割に結構な発言。茶目っ気のある部分は重ならないが、言葉遣いが妙に古めかしいところ。ネリはよく知った幼馴染みと似た雰囲気を彼におぼえた。

 ――ああ、だからイライラするのかもしれない。

 

 「さ、無駄話はこのへんにして屋敷へ向かいましょう」

 

 パッと話の流れを切ると、意外と逞しい腕がボストンバッグを軽々と奪い去った。彼はその際に当たった、氷粒こおりのように冷えきった彼女の指先を見兼ね、着用していたマフラーを首元へかける。

 ネリが戸惑っていると 「寒いくらいがちょうどいいんだ、幻狼オオカミだからさ」と、解けないようしっかりリボン結びにされてしまった。


 両手が空いてしまい、手持ち無沙汰な状態で、降り注ぐ雪に溶けてしまいそうな少年のあとをついていく。

 屋敷のある山の方へ近付くにつれ、刺すような寒さに襲われる。

 ネリは赤くなった鼻先を薔薇の香りのするマフラーで隠しながら、薄らと積もりはじめた雪道を歩いた。

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