第1章 退学になりまして。

第1話


「ネリちゃん、遅刻しちゃうよ」

「大丈夫よ、マルク。慌てない慌てない」

 

 マフィンを小さな口で頂きながら、モーニングティーで喉をうるおす少女を見て、彼女の唯一の友人であり幼馴染みのマルクは深く溜息をついた。

 優雅に朝食をとる幼馴染みを横目に、ハンガーからシワくちゃなローブを取ると、杖を一振してキレイに延ばす。

 ――また、ローブを羽織ったまま読書してたでしょ。

 立派な小姑へ育った男児は、文句を言いながらも彼女の身の回りを整理整頓していく。

 散らかした張本人は、そんな彼を無視して残りのチョコレートマフィンを頬張った。

 

「急いては事を仕損じるって言うわよ? それに、ほうきで飛べば一瞬じゃない。なにも急いで確認なんかしなくても、四年生への進学は決まったようなものだわ」

「そんなこと言ってると、落ちるよ」

「何か言ったかしらマルク」

「……その性格さえ直せばホント、完璧なのに」

「マルク?」

 

 怖い怖い、と言いながら食べ終えた食器を片しに寮の共同キッチンへ運ぶ。

 彼女の身の回りの世話は、十一年も一緒にいればお手の物だった。

 小等部の頃から虐められることが多かったマルクは、当時から幅を利かせていたネリに助けられてからというもの、ずっとこうだ。

 やらされていると言えば、確かにそうだ。

 けれど別に、嫌なわけじゃない。寧ろ光栄だとすら思える。


 学校きっての才女と噂の幼馴染みは、天使のようなウェーブがかったブロンドヘアーを胸下まで伸ばし、蒼空そらを写したような丸みを帯びた瞳を持っていて(目つきは悪いけど)幼少期から老若男女問わず注目の的だった。

 そんな少女に『ともだち』だと言って貰えるのは、心から嬉しい。

 釣り合っていないと、不安に思うのはいつもの事。

 美しいドールの様な彼女には、何もかも到底及ばない。

 出会った当初は魔力も少なく、学力、運動だって並以下。容姿だって、そばかすが散る田舎者丸出しで。勿論、人生でモテたことなんて一度もない。

 ――だから、不安に思うのは当たり前だった。

 けれど、自分とは正反対のネリと過ごしていくうちに、彼女の指導もあって成績はクラスでも五本の指に入るほどになり、念願の四年進学圏内まで上り詰めた。

 通常なら三年生で卒業、もしくは最悪留年も有りうる。


 ふたりが通う『リセ・トゥール・ド魔法学校』は、フィラデルフ国の大都市リヨン・ミュノーテにある世界随一の魔法学校だ。

 三年課程の小等部、五年課程の中等部、三年課程の高等部と、十一年間通う必要があり、また、条件を満たした成績優秀者のみが進級を許される『高等部四年課程』という特別クラスも存在する。特別クラスは全在校生徒の憧れであるが故に、進級するには尋常ではない努力と才能が必要とされているのだ。

 在籍期間の成績と、三年次の期末試験(学科、実技、論文)の最終成績を評価され、魔法使い最高権力者である大指導主グランドデュークに認められれば、晴れて高等部四年生に進級できる。

 十一年、又は十二年かけて卒業するのでは、一体何が変わるのかというと大きく分けて三つ。


 ・ 三年課程修了生は『魔法士パラゴン』、四年を修了すると国家資格『魔術師メイジ』を名乗ることが許される。

 ・ 魔術師は上位魔法使用許可証(禁忌魔法は除外)が発行される。

 ・ 魔術師は『魔導具』製造の許可証の発行される。


 故に三年で卒業するのと、四年で卒業するのでは将来に大きな差が生まれる。

 そんな人生の分かれ道である最終試験の結果が、まさしく今日、発表されるのだ。

 

 「ちょっとマルク、遅刻しちゃうわよ」

 「それさっきのボクが言ったやつ」

 

 杖を二振りし、皿とティーセットを未使用品のように磨き上げ食器棚へ戻す。

 箒を片手に、寮のエントランスへ行くと、やはり生徒はもう出払っていた。ローブの内ポケットに杖があることを確認し、箒に跨る。

 フワリ、と浮遊感を感じるこの瞬間は十八年経ってもなれない。

 きっと、今日も彼女は短いヒールをカツンと鳴らして、軽やかに飛び上がるのだろう。後ろにいるはずのネリへ視線を向けた。

 …………いない。

 あれ? と疑問に思い下を見ると、箒に跨ったままの彼女がいた。

 たらたらと汗が額から滲んでいる。

 

 「ネリちゃん?」

 

 箒の柄を握る彼女の両手が、力を入れすぎて白くなっていた。

 

 「ねえ、どうかしたの?」

 「なっなんでもないわ。今、集中しているのよ、少し黙ってて」

 

 しかし、いくら待ってもネリは空中へ上がってこなかった。

 

 「どうして、どうしてなのよ」

 

 ――初級魔法も使えないなんて、あたしに限ってそんな、ありえないわ。


 地上へ降り、顔面蒼白なネリを落ち着けた。このままでは遅刻決定なので、とりあえず彼女の冷えた手を取り、ふたりで校舎へ走った。

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