第2話

 生徒たちが思い思いに掲示物を確認する中、ネリとマルクはその集団を掻き分けながら前に出る。

 今年度卒業生、と書かれた掲示物にふたりの名はなかった。少年は念の為に留年生の一覧も見たが、そこにも名前はない。

 期待に胸が高鳴った。

 隣に立つ少女は、あたりまえのように新四年生クラスから見たのだろう。

 ネリが進学出来ないなんてことは、天地がひっくり返っても有り得ないことなのだから。

 アルファベット順に並んだそれを、上から舐めるように見つめる。

 ――刻まれた、マルク=クレルの名。

 嬉しいはずなのに、自分の名が霞んで見えた。

 彼の前にあるはずの『N』の頭文字はどこにもなく。掲示板の隅に小さい掲示物が貼られているのを目にしたマルクは、それに書かれた内容に言葉を失った。

 彼女の方を見ることが出来ず、ただただ、そこに刻まれた『ネリ=フランダール』の文字を見つめる。信じられない光景に、周りの生徒達からも喫驚きっきょうの声があがる中。

 当の少女は、静かに前を見据えていた――。



 ※※※



 「大指導主グランドデュークさま――!」


 本来なら、謁見えっけん許可がない場合入室を許されない大指導主の理事室へ押し掛けた。感情を露わにする少女をマルクは止めようと試みたが、彼女は一切引かず。

 鼻息荒く捲し立てるネリに対して、大指導主はベロア素材のバーベナを模す刺繍が施された長いケープを、ひるがえすことなくゆっくりと振り返った。

 

 「落ち着きなさい、ネリ=フランダール。其方そなたの言い分は理解しています」

 「……でしたらどうして、こんな」

 

 部屋の中央にある魔導具『千古ミル水甕ヴァス』を覗きながら大指導主は告げる。

 

 「魔力を失った者を在籍させておくわけにはまいりません」

 「お母様、お父様がそんなの、許すわけない――! 魔力がなくなったから、退学なんて。学校の方針に反するのでは?」

 「フランダール夫妻の承諾は既に得ています。寮からも退いて頂きます故、速やかに支度なさい」

 「……ひとつ、聞かせてください。突然変異で、たった数時間のあいだに魔力が無くなることって、ありえるのですか」

 「――前例がない、とはいえ、有り得ないわけではないのですよ」

 「あ、あの! せめて、卒業という形にしてもらう事は出来ないんでしょうか!?」


 あまりに横暴な判断に、少年は彼女を庇うように前に出た。

 昨夜たしかに、ネリは魔法が使えていた。

 それが今朝、急に使えなくなっただけなのだ。こんな簡単に退学なんて間違っている。


 「マルク=クレル。貴方もこれ以上、異議を唱えるつもりなら辞めておきなさい。あと数ヶ月で四年へ進学出来るという時に、謹慎処分を受けることになりますよ」

 「そ、んな……それで、彼女の処遇が変わるのならボクは」

 「マルク、下がって。もういいわ。魔力がなくなった以上ここに居ても仕方ないもの」

 「……ネリちゃん、でも」

 「本当に、其方のような有能な魔法使いがこのような結果になってしまい、ワタクシも酷く悲しいのですよ。次期大指導主候補であった故に、残念でなりません……けれど」


 ――退学は、決定事項です。

 ピシャリと突き放される。これ以上の追及、反論は許さないといった態度に、ネリはローブに隠した拳を固く握り締めた。

 


 ※※※

 


 「待ってよ、待ってネリちゃんっ」

 

 寮に帰り、いつもなら収集魔法ラマ・サージィで一気に片すところを、魔法が使えなくなった彼女は一つ一つ鞄に荷物を詰め込んでいた。

 友人が声をかけても、ただ黙って荷造りに没頭している。

 

 「ネリちゃん」

 

 出かける時によく身につけていたお気に入りのシフォンワンピース。皺にならないよう畳んで、床に座り込むネリへ手渡した。屈んだ際、心配そうに顔を覗き込んだマルクは、はじめて見る彼女の泣き顔に、思わず動きが止まった。

 強気で自己中、やや高飛車なところがあるが実は倹約家で、誰よりも人を想える女の子。そんな彼女は、感情豊かではあるが他人はおろか、親にも涙なんて見せたことがないと以前言っていた。

 元々、身長は低めだが、大粒の雫を両眼に溜め縮こまる彼女は、いつもより幾分ちいさく感じる。彼は掛けようとした声を飲み込んで、洋服ダンスにしまわれた必要最低限の洋服を綺麗にたたみ、鞄へ入れた。

 

 



 「ここでいいわ、マルク」

 

 赤くなった目尻が、痛々しい。

 名門フランダール家に生まれ、才能に恵まれたネリ。

 それにおごることなく、人一倍努力した学生生活を、突然白紙にされたのだ。

 ――どうして、ボクじゃなかったんだろ。

 決まってしまったことは、今何を言っても覆らない。

 けれど、自分の不甲斐なさに無性に腹が立って、悔しくて、どうしようもない感情にマルクはさいなまれていた。

 

 「あたしは、ネリ=フランダールよ? そんな顔しないで。魔力がゼロになったって、そのくらい大した事ないのよ」

 

 授業をサボって、荷物を一緒に運ぼうとしたが、彼女はそれを望まなかった。

 

 「精々頑張りなさい。貴方なら、魔術師メイジになれるわ」

 

 ……さよなら、おめでとう。

 荷物を奪い取ると、短いヒールを鳴らし彼女は歩き出す。

 

 「――ネリちゃんっ!」

 「…………」

 「ボクが何とかする、絶対、キミの魔力が戻る方法を探してみせるから!」

 

 振り返ることはせず。

 日焼けのない白磁はくじのような手のひらをヒラりと翻し、ネリは馬車へ乗り込んだ。

 

 

 

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