宗教とは。仏教とは。
俺は
じいちゃんは一昨年、他界し、今は親父と、応援に来てくれているお坊さんの有坂さんとで、日々の
おふくろも寺の掃除や、行事のときの案内役や、お茶出しといった仕事をしている。
俺には3歳上の姉ちゃんがいるが、県外の仏教系の大学に進学して、今は家にはいない。
姉ちゃんと俺は、幼いときから礼儀作法をしっかり教え込まれた。
仕事柄、家を訪問する人が多いので、両親が留守をしている時はきちんと対応しなければならなかったからだ。
大きな行事の時には、母と姉と俺でお茶出しをすることもしょっちゅうあった。
成長するにつれて、自分の家がどんな家業なのかが、具体的に分かるようになり、高校を選ぶ時には後継者問題が当然のように議題に上がった。
「寺を
と言うと、親父は少し考えるように間をおいて、
「もし、新之介に継ぐ気があるなら、早めにその道を行くのもいいことだぞ。」
という返事が返ってきた。そういう進路も確かにいいと思ってはいた。
別に
姉ちゃんは、そのあたりは割り切っている様で、
「お父さんとお母さんの手伝いするのもいいかな」
という、あっけらかんとした様子で、高校も仏教系の高校に進学していた。
しかし、俺はそこまで割り切ることができないでいる。その理由の一つは、俺の性格にある。
そもそも『お経をあげれば死んだ人は全て浮かばれるのか』という疑問が俺にはあった。
葬式になるとお坊さんがお経をあげて、死んだ人を
葬式でお経をあげると、当然、お
俺もお経を唱えることは出来るが、唱えるだけで、それに力が宿っているかは
そもそも、魂の存在だってわからない。仏教では人は死んで仏なるという。人は死んでも、その気持ちは生き続けていることが
魂がないとは思わない。けれど、そんな目に見えないものを信じようとする心につけこんで、霊感商法だとかがあるのではないのか?
霊感商法で
お経を唱えて死んだ人が成仏しているかわからないのに「ありがとう」と感謝をされ、お金をもらうことと、開運の高い壺を買って、たまたまいいことがあって「ありがとう」と感謝されお金をもらうことに、何の違いがあるのだろう。客観的に見ればやってることは一緒ではないだろうか?
自分の信じてる神様のために、体に
「宗教なんてめちゃくちゃだ。」と思わずにはいられない。
じいちゃんや
親父にこんな疑問をぶつけたことがある。
「葬式やお通夜、命日に法事。うちの仕事はお経を読んで、死んだ人が安らかに
父親が車を運転しながら答えた。
「どうかなぁ、それは俺にもわからんけどなぁ、でも
小学校、中学校と家が寺だということで言ってくる奴はたまにいた。
「人間なんて死んだらそこで終わり、幽霊も魂もねーんだから、お前んちは
「法事とか、命日とかいっぱいありすぎて、払うお金がないからうちの親、
言い返したくても、現実的に見ればその通りなだけに、何も言い返せない。
親父やじいちゃんが教えてくれたように、仏教とはどういうものかを語ってみても、
「うわ、宗教!勧誘ー。怖えー。」
と言って聞く耳を持たない。悔しい思いを何回かして、自分の家が寺であることを出来るだけ言わないようになっていた。
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