亀山ドクターと関根 小春

 僕の名前は亀山英生かめやまひでお。32歳、消化器外科医、独身である。

 生きていくうえで、お金は重要な要素だと思っている。だから、医者を目指した。ただそれだけだ。


 人間の体は、神秘に満ちているというが、その反面、単純な構造をしているともいえる。

 診察、検査から導き出される病態。それに対しての処置、手術、薬剤の投与とうよなどの選択……。

 あとは、個人個人の違いはあれど、完治したり…、手遅れなら死亡する。


 そんな中、例外的なことがまれに起こる。がんの末期患者の体から、突然、腫瘍が消えてしまったり、順調に回復していた患者が、何の前触まえぶれれもなく亡くなったり……。


 僕は、葦原あしはら君に、6階のあの部屋の話をされ、その部屋で死亡した患者の一人、『関根小春せきねこはる』のことを思い出していた。


 彼女は僕の同僚どうりょうであり、医学部の同期どうきでもあった。当時、僕らは研修医で、お互いに切磋琢磨せっさたくまを繰り返していた。


 小春は天真爛漫てんしんらんまんというか、裏表のない性格で、医療に対して適度に情熱があり、何か一つのことにかたよった考え方をしないナチュラルな人間だった。僕はそんな小春を、人間的にも仕事的にも信用していた。


 ある日、小春がめまいをうったえて倒れる。検査の結果、脳に血栓が飛んだことによる、一時的な脳梗塞と診断された。

 医者が、一般人と同じ病室にいるわけにもいかず、めったに患者が入らない、あのVIPルームで入院することになったのだった。

 その時、僕は脳外科の研修をしていて、入院してる小春を回診しては、無駄話をすることも多かった。


「亀山くん、ありがとう。血栓が飛ぶなんて、水分補給しっかりしなきゃね」


「原因はそれ?」


「多分。最近太ってきちゃったから。体調管理のつもりだったんだけどなー」


 小春はかなり細い、太ってきたといっても、ほんの1キロ2キロ増えただけだったのだろう。


「アイドルにでもなるつもりかよ、あと、5キロくらいは増えていいんじゃないか。」


「それはちょっとなー。急に体重増えたら、それこそ病気になりそうだよ。」


 僕は当然、医者としての心配もしていた。


「倒れた原因は違うところにあるかもしれないしさ、検査も兼ねて、ゆっくり休めよ。」


「そうさせてもらうわ。」


 愛想あいそ良く返事をした小春は、言ったそばから、当時、彼女の研修先だった産科の医学書を開く。

 僕は、ため息を一つついて言った。


「ほどほどにしとけよ。疲れる前にちゃんと休むんだぞ」


「うん、大丈夫だよ、先生の言うことはちゃんと聞きますから」


 そう言ってこちらも見ずに、にっこりと笑顔を浮かべ、楽しそうに本を開いて文字を追っている。

 僕は、(そんなに医学書、面白くないんだけどなあ)と思いつつ、次の仕事に向かうのだった。

 

 小春の様態が急変したのは、その日の深夜のことだ。

 生存せいぞん確認のため巡回していた看護師が、ベット上で、彼女が意識を失っているのを発見した。僕も寮から呼び出され、急いで駆け付けた。




 VIPルームの中は医師と、看護師が入り乱れ慌ただしい。当直の田中医師が心臓マッサージをしている。


「代わります」


 状況がよく分かっていない自分が、体力のいる作業をした方が、合理的だと思った。

 いや、それは後になって、つじつま合わせで考えたことで、あの時は、頭が真っ白になり、単純な処置しか思いつかなかった、というのが正直なところだ。


 心臓を動かすための薬剤を入れ、AEDを使い、電気ショックを行った。しかし心拍しんぱく再開さいかいしない。


「誰か、親族に連絡して」


 と、どこからか声が上がった。彼女は北海道から、単身で新潟に来ている。医学生にはよくあることだ。僕のように地元で医者になる方が珍しいのだ。


「彼女、北海道出身です。近くに親類もいないと言ってました」


「そうか…、ルーカス(自動心臓マッサージシステム)用意して」


 小春の心臓は、機械的に動く自動心臓マッサージ器に、胸部を1分間に100のペースで突かれている。若い病体である。蘇生そせいの確率は高い。そう簡単に、あきらめるわけにはいかないのだ。


 救命医療センターの医師も駆けつけた。適切な処置がとられていく。

 主治医であった当時の医師は、学会で県外に出ており、その場にはいなかった。




 1時間半後、指揮しきをとっていた医師が告げた。


しん止めて。状態確認する」


 機械の作動音がやっと止んで、小春の心臓が解放された。僕はほっとした。


 小春の体は、いろんな部位にコード、針、電極、チューブがつながれて、胸部はひどく痛めつけられている。


 僕は途中から、蘇生そせいは無理だろうと、半分諦あきらめが入っていた。

 この長い時間、心肺蘇生しんぱいそせいを実施して、助かった人を聞いたことが無かったからだ。早く小春を解放してあげたかった。


瞳孔散大どうこうさんだい、心電図フラット、心静止しんせいしです。4時25分、関根小春さんの死亡を確認……。亀山くん、研修医ではあるけど、主治医である君も、それでいいかい?」


 そう救急救命医の医師が僕に告げた。


 僕は、今までの小春との思い出が、頭の中でスライドのように思い出され、次第に顔がくしゃくしゃになり下を向く。


「ありがとう…ございました…」


 感情が一気にあふれ、涙がほほに止めどなく流れた。

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