大六 現る

 タクシーに乗り込む浅妻先生を見送った。

 俺は病院のエントランスホールで、受付や支払いをする人達の中に紛れて、椅子に腰かける。

〝ふー〟っとため息を一つついた。


(本当に俺は役立たずだ。何の力も持っていない…)


 何気なく、前に座っていた、おばあさんの背中を眺めていた。すると、そのおばあさんの普段の生活が、イメージとして浮かびあがってくる。


 この人は、あまり息子さん達と折り合いがよくないらしい。些細ささいなことで口論になっている。

 肝臓が悪く通院しているようだが、今日は一人で病院に来たようだ。家族に送ってもらえず、さみしい思いをしている。

 でも、それは、この人自身も悪いみたいだ。頑固すぎて、息子さん夫婦が良かれと思った行為を受け入れていない。

 このおばあさんの家族は、決して最初からこの人を邪険じゃけんにしているわけではない。


 イメージは映像となって、頭に浮かんだり、目の前にその情景が、ぱっと見えたりする。いったいこれは何だろうか?そう思いながら、行き交う人達をぼーっと見流みながしていた。


 すると突然、オーディオのボリュームを、雑に上げたかのように、周囲のざわめきが大きくなる。(なんだこれ?)と思った瞬間、それはせきを切ったように、方々ほうぼうから騒音となって押し寄せた。行き交う人間の全ての意識が、なだれ込んできているのだ。


 そのもの凄い音量に、耳を手でおおい、目を閉じて顔を下に向ける。

 しかし、実際に眼球で見ているわけでも、耳で聞いているわけでもないことを思い知らされる。全てはイメージとなり、頭の中で渦を巻いていた。



「―なた、あなた、大丈夫ですか!」


 受付けの女性事務員の呼びかけで、ハッとした。周りの騒音と映像が、蜘蛛くもの子を散らしたように遠のき、現実の世界が広る。

 エントランスホールいた人達の視線が、こちらに注がれていた。俺は冷汗を流して椅子から転げ落ちていたようだ。

 受付の女性職員は看護師を呼ぶように周りに声を掛けている。


(俺はまた気を失ってしまったのか?いったい何回目なんだろう)


 恥ずかしくなって、少し強がって見せた。


「すいません、なんか気分が悪くて…。でも、もう大丈夫ですから」


「凄い汗かいてますよ、ジッとしていてください。今看護師さんが来ますから」


 ―――結局、自分の病室に、車椅子で運ばれることとなった。





 亀山先生が寝ている俺の顔を覗き込む。


「気分はどうだい?」


「はあ……すいません」


 先生はニコニコしながら聞いてきた。


「今度は何があったんだい?」


「はあ、それが……」


 もう、この人に、苦し紛れの嘘をついてもしょうがない。俺はエントランスホールで体験したことを話す。すると、亀山先生はあごに手を当てて考えだした。


「ふーん、意識の拡大…それとも霊能力の拡大なのかな。医者としては精神疾患せいしんしっかんの幻聴や幻覚を疑う所見だけど……。で、今はどうなんだい?」


「今ですか、今は何ともありません。逆に何も感じなくなったというか…静かです」


 亀山先生は「そう」といって、いつもの基本的な診察を始めた。


「葦原君、精神疾患せいしんしっかんの可能性を含めて、一度、精密検査を受けてみないか?いろいろとハッキリさせた方が良いと思うよ」


 それはこちらからもお願いしたかった。同じような体験している人がいるなら、どんな対処法があるのかを知りたかったのだ。俺は「ぜひお願いします」と答えた。


 夕方、両親が呼び出され、追加でもう一週間、検査入院することになった。血液検査やCT撮影、心電図測定や精神鑑定をするのだそうだ。


 最後に亀山先生が両親に向かって言う。


「それから、お子さんには、今日から病室を変ってもらいます。検査入院ですので、安静にしてた方が良いんです。一人部屋だから、ゆっくり出来ると思いますよ。」


 きっと同部屋の人たちが、また抗議をしたのだ。検査自体は嫌ではない。しかし、一人部屋だと分かって、一気に憂鬱ゆううつになった。




 夕食を終え一人部屋に入る。昼間睡眠がとれなかった分、かなり疲労が溜まっていた。ベッドに横たわり、右手をひたいに当てる。


(あんなに大勢の意識が入ってきたのは初めてだ。心の声とか、あの場にいなかった人の姿まで現れて……。もう何が何だか分からない……。きっと俺は精神病なんだ。)


 次々に起る異常事態に、心の整理が追いつかない。まぶたが重くのしかかり、直ぐに眠りに落ちた。



 

「―――い、おい…、どうだった?あんな大勢の心を、一気に覗いた気分は?」


(なんだ?)


「大して面白くもなかっただろ?みんな同じようなもんだ。みんな悩みを抱えてる」


(誰だ?……)


 自分が、起きているのかどうかも分からない。暗がりに、同い年くらいの、少年の人影が浮かび上がっている。


「あれはお前の力だ、それを表に出しただけ。お前は常識人でありたいから、一度見せとかないと信じないと思ったのさ。お前自身の特性を…」


 段々とはっきりしてきた.半袖のワイシャツを学生ズボンの外に出し、ポケットに手を入れて、部屋の角の暗がりに立っている。


「よう、俺のこと見えてるだろ。俺は大六だいろくってんだ。よろしくな」


〝また新しい、未成仏霊が現れた〟俺はそう思って、布団を深々とかぶり、無視をした。

 しかし、大六だいろくと名乗った学生服の幽霊が、徐々に近づいて来る気配がする。彼は耳元でささやいた。


「お前の後ろについてる奴等、全部消してやろうか?」


(えっ……)


 俺は目を開けて、ゆっくりと彼の方を向く。彼は〝フフン〟というような笑みを浮かべていた。

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