見て見ぬふりの終わり 完

〝ギギ、ガタン、ダッダッダッダッダ〟


 自分の机を跳ねけて、浅妻先生とナイフ男の間に、ダッシュで割って入る。

 先生は、暴力を振るわれると思ったのだろう。恐怖で強張ったが、俺が背中を向けて立ったので、状況が飲み込めないまでも、敵意の無いことは伝わったようだ。


 俺は壇上で、自分の正面にいるナイフ男を睨みつけ、声を出さずに心の中で威嚇いかくする。


(ふざけんな!全部見えてんだぞ!)


 すると男は、ケラケラと笑いながらこちらに近づき、持っていたサバイバルナイフを、俺の腹に目掛けて突き立てた。


「ぐぅぅ…」


 強烈な痛みが走った。ナイフ男は容赦無く、骨の無い腹の部分を、何度も何度も連続で刺し続けた。

 整然せいぜんと整っている腸を、グチャグチャにされている感覚がある。

〝死ぬんじゃないか〟という恐怖が襲う。

 しかし、今は体を張って、先生と赤ちゃんを守るしかすべがない。俺は反撃することも出来ず、痛みに耐え続けていた。これを赤ちゃんに喰らわす訳にはいかない…。


 ナイフ男は、そんな俺の反応を楽しむように、今度は、はらわたを引きずり出した。ところどころ深い切間が入った、血まみれの腸が、目の前にあらわになる。

 既に細切れに切断された部分は、腹腔ふくくうからボタボタと落ちていた。


 浅妻先生が、苦悶な顔をしている俺に


葦原あしはら君、大丈夫?どうしたの?」


 と声をかけた。俺は痛みで返事をすることができない。

 新之介や後藤を先頭に、クラスメイトも集まって来た。隣のクラスからも先生や生徒が様子を見に来始めている。

 中年ナイフ男は騒ぎになったのを面白がって、今までになく大きな声で、自分の体をすり抜ける生徒たちに紛れ、高笑いをしだした。

 その時、浅妻先生が、俺の目の前に回り込み、中年ナイフ男に背中を向ける形になった。


「大丈夫?どこか痛いの?どうしたの?誰か、救急車を呼んでください。」


 他の教員達がそれに答える。


「分かった、俺が電話する」

「保険の先生も呼んた方がいいな、保健委員、呼んできてくれ」

「AEDも一応持ってこい」

「おい、みんな、ちょっと離れなさい」


 いろんな声が飛び交っている。俺はもう立っていられなくなり、膝が折れ地面に手をついた。それを先生や生徒達が仰向けにする。


 油汗をかきながら、痛みをこらえていると、浅妻先生の背後にいたナイフ男が、表情をニンマリとさせた。

 手に持っているサバイバルナイフを、両手で少しもてあそび、次いで右手で、刃先を下に向けるようにしっかりと構える…。大きく斜め上に振りかぶり、今にも、先生めがけてそれを振り下ろそうとしていた…。


「逃げて!」


 その声は、痛みで音にならない――。



 腰の辺りを刺された浅妻先生の傷口からは、大量の血が流れだした。霊感の無い周りの人間には、それが見えていない。   

 今まで俺を心配していた先生の顔が、苦痛で歪み、そして、うつ伏せでヘタリ込んだ。


 ナイフ男は、更に4、5回、彼女の腰を突き刺し、その傷口を広げる。そこから腹の中に手を突っ込んで、もぞもぞと動かしたのち、何かを見つけた様に慎重に取り出していった。

 取り出したものは、5センチ程の小さな物体である。多分…人の形にもなっていない、浅妻先生の赤ちゃん…。血まみれのそれに、もはや命の鼓動は感じない。


 中年ナイフ男は恍惚こうこつの表情を浮かべ、赤ちゃんを一呑ひとのみにする。奴の喉仏が、飲み込んださいに大きく上下に揺れた。そして〝こらえきれん〟と言わんばかりの大笑い、バカ笑いをしながら、満足したように姿を消していくのだった。


 朦朧もうろうとする意識の中、俺はまた、何もできずに気を失っていく。

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