怪現象が起る家 ー遊女の幽霊ー

 平静へいせいよそおって「お邪魔しまーす」と言い、家に上がる。先輩をはぐらかした様に、ここにいる大勢の霊達にも


『こいつ見えていなかったのか』と思わせることはできただろうか…。

 

 何も感じてないことをアピールするように、真っすぐ前を見て、広い廊下を抜け、階段を上がり、先輩の部屋の前までたどり着いた。道中、出くわす幽霊達は皆、礼儀正しくこうべを垂れる。

 

 いよいよわからない。子どもの時から遭遇そうぐうしてきた幽霊とは明らかに異質であった。しかし、それと同時に攻撃的な印象もないのだが…。


「昨日、ちょっとは掃除したんだけど、なんだか恥ずかしいね。」


 といい、先輩が自分の部屋のガラス障子戸を開けた。次の瞬間、俺はその異様さに恐怖を感じる。









 先輩の部屋は、旅館の大宴会場くらいの広さがあり、全体に赤々とした空間が広がっていた。あり得ないことだ。

 いくら外見が大きな家でも、それ以上の面積がある訳が無い。その部屋は四方を障子戸に囲まれており、天井を支えるための大きな丸柱が4本あった。

 亜空間または異空間と言う言葉がしっくりくる。


 入口にいたはずの俺は、既にその空間の中央にいた。若月先輩との距離や位置関係は入って来たときと同じで、すぐそばに彼女がいる。


 すると、先輩は何も気にしていない様子で「どうぞ」と、どこからか持ってきた座布団を差し出した。ごく普通の座布団である。


 座布団の前には、ホームセンターなどで売られている、足が折りたためるタイプの木製の机が、ポツンと置かれていた。ベットやテレビや勉強机は見当たらない……。


⦅―よう来なすった、どうぞお座りくださいませ―⦆


 それは突如として現れた。声がしたのは、折り畳み机の、少し距離を開けた相向かいだ。両手を畳に着けた着物姿の女性が、深々と頭を下げている。


 俺は若月先輩を見た。彼女は何が起こっているのかわかっていないようだ。


「なに? もしかしてお母さんが居るの?」


「いや、そうじゃないんです。ちょっと……また違う雰囲気を感じたので……。」


 もうそう言って、はぐらかすしかなかった。


 着物姿の女性は頭を下げ続けている。俺は、恐る恐る、折り畳み机の前に置かれた座布団に、ゆっくりと正座で腰を下ろした。


「足崩してもいいよ、私お茶持ってくるね。いろいろ見ないでよ、恥ずかしいから。」


 と、先輩が笑顔で言う。見た目では部屋の出口までかなりの距離があるはずだが、彼女の姿は一瞬で見えなくなった。


 現実には部屋に入って数歩しか進んでいない。この空間は広く見えるが、手探りで出口を探せば、すぐ後ろに隠れてるんじゃないかと確かめたくなった。

 俺がそれを実行に移そうとすると、着物を着た女性はゆっくりと顔を上げ始める。


 赤を基調とした着物で、えりを肩まで着崩し、美しい鎖骨さこつが露出していた。顔から肩の部分まで、漆喰しっくいを塗ったような白い化粧をし、真赤な口紅をひいた美しい女性である。


 見た目から、(この人は昔の花魁おいらんの人だ)と思った。彼女自身に恐怖は感じない。だが、状況的に、もう逃げることが出来ないと体が強張った。


(それなら……)と俺はしっかりとその女性に対面し、目を見据えながら聞いたみた。


「あなたは、誰なんですか?」


 その美しい花魁の人は、なごやかな笑いを浮かべ、ゆっくりと、そしてしっとりと答える。


⦅私の名前はおようと申します。どうぞお見知り置きを⦆


 そして、また丁寧に会釈えしゃくをした。俺もつられて頭を下げてしまう。


 聞きたいことは山ほどあるが、何から聞いていいかが分からない。しかし、この状況に飲まれるのが一番まずい気がして、思いついたことを聞いてみた。


「この家はいったいどうなってるんですか?たくさんの人がいるみたいですけ

ど……」


 するとお葉さんは、この辺の方言交じりの口調で話し始めた。


⦅ここんちんもんは、おが(わたしの)仲間らすけ、なじょうもねぇ(もんだいないです)。えんあって、こうしてこの娘と一緒にいるろも、あん子が快く迎え入れるもんであれば、おれった(わたしたち)も喜んでお迎えいたします。旦那さんはおれったがお見えになるみてぇらすけ、ご挨拶申し上げただけのこと。

 いとしげ(きれいな)な娘です。秘め事などの折にはいのなるすけ(いなくなるので)、きぃもまんで( あんしんして)ください⦆


『秘め事』のあたりから〝うふふっ〟というような表情になった。とりあえずは話しが通じる相手のようだ。

 俺は『秘め事』があり得るのか少し気にはなったが、そんな妄想は打ち消して、本来、聞かなければならなかったことを聞いてみる。


「若月先輩は変な現象が自分の周りで起こり始めたと言っています。人の話し声や音や金縛りです。それもあなたたちのしていることでしょうか?」


⦅そんげんことは、ちぃとばかのことらすけ、なじょうもねぇ。おれったはあの子のことを守ってるすけ、心配しんでも大丈夫です⦆


「……。先輩のお母さんが亡くなったことは、あなたたちとは関係ないんですか?」


―― ヒュー…… ――


 その瞬間、場の雰囲気が……空気の流れのようなものが変わるのを感じた。


⦅それはおれったのせいではありません……⦆


 お葉花魁ようおいらんのやや後ろの方に、さっきまではいなかった幽霊が姿を現し始めた。皆、刀や槍などで武装している。侍の霊のようだ。


〝これ以上は聞いてはいけませんよ〟というのが圧としてありありとしていた。


 しかし、そのおどしのような威圧感が、この花魁の言っている正当性を曇らせている…。張り詰めた空気が漂う。


 俺は花魁の後方でかまえる侍たちを一度見渡たしてから、真顔になっているお葉花魁ようおいらんに視線を戻す。


「……本当ですか?」


⦅………⦆


 そうだ、俺はこのことを聞くために来たんだ。多少の霊現象は目をつむることができても、それが人の命を奪ったり、若月先輩に影響を与えるようなものであるなら承知できない。続けざまに言葉が出てくる。


「先輩はお母さんが亡くなられて、とても悲しんでいるようでした。」


⦅………⦆


 どんどん、場の雰囲気が悪くなっているのを感じる。控えている侍の霊も10体以上になっている。


「お願いです。聞かせてください。」


 お葉花魁は、顔を伏せ、感情を抑えたように重い口調で答えた。


⦅……もういいろがね(いいでしょう)、そんが(そんな)こと……⦆


 その瞬間、俺の頭の中に、何かのイメージが急激に膨れ上がっていく。



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