薬毒

薬毒(一)

 小道を抜けると精霊殿の立つ通りにぶつかった。カエルムとロスは岐路に立つ木の影に身を隠して社の入り口の様子を覗う。

 フィオーラの言った通り、正面入り口の両端には司祭領自警団の制服を着た者が二人立っていた。見たところ腰に下げた警棒以外に武器は見えない。ことさら緊張した様子もなく、通りゆく人々を見ながら話をしているようだ。

「どうやら彼らは無関係のようだな」

 木の幹に背を押し付けたままカエルムが囁いた。

「そのようですね。恐らくは単に見張りをしておけとでも言われただけなんでしょう」

 警戒心剥き出しの者や、テハイザ勢がいるとすればそういった司祭領で見かけない者を表に出していたら住人や無関係の官などに怪しまれるだけである。賊がいるとしたら精霊殿の内部だろう。カエルムは頭を軽く振って「通りに出る」と知らせた。

 小道から出た二人が大通りを突っ切って真っ直ぐ精霊殿に近づいていくと、自警団は雑談をやめ、入り口を塞ぐように互いに寄り合った。扉の前に直立し、カエルムとロスの歩みを阻む。

「カエルム様」

「警備をご苦労様。だが精霊殿の中に用があるのだが」

 カエルムが穏やかに声をかける。自警団は慌てて拝礼したが、すぐに明朗に答えた。

「今宵は浄めの儀式が行われますゆえ、司祭長より精霊殿直属の定められた者以外は絶対に中に入れぬよう固く命じられております!」

「司祭長に用事があると言っても?」

「た、ただいまは儀式が執り行われるところであります! 司祭長も霊廟へいらっしゃいまして、儀式を蔑ろにするは精霊に対しての不敬に当たることであり、何人であっても例外はないと」

 普段、相対することのない為政者を前にした緊張が全面に出ているが、淀みなく流れる文言は予め重要事項としてよくよく言い含められていたのだろう。あくまで命じられた任を全うしようという誠意ある姿勢のようである。

 なるほど、と呟いたカエルムはまだ微笑を浮かべている。だが朗らかな顔の中で、蘇芳の瞳だけは隙がなく厳しい。

「国防団の規定のうち第三条第五項の一を覚えているだろうか」

「はっ?」

 虚をつかれた二人は頓狂な声を出したが、試すような眼差しを向けられてしどろもどろに言葉を紡ぎ始める。

「は……自分の記憶によりますと、『国家緊急事にあっては、国防団の組織内において最高司令官の命を他の全ての上に置く』と……」

「よく覚えている。団員の鑑だ」

 問われてすぐに正しく誦じれるとは上下関係と規律を過剰と言えるほど重んじる司祭領の自警団らしい。またこの若い二人の先程からの姿勢振る舞いからしても、実直で生真面目なのがよく分かる。

「それでは第五項の一、補足規定の二は?」

 実に美しく笑んだまま、カエルムはもう一人の自警団に水を向けた。

「は、はぁ……補足の二は……『第五項の一の下では、先んじる所属領の命は直ちに失効する』と……」

 回答を促された方は何が何だか分からないと訊かれたままに誦じる。カエルムはこちらにも賞賛を送ると、この上ないほどにこやかに続けた。

「私の記憶が間違っていなければ、自警団は国防団の一組織だと思ったが」

 事実である。衛士は肯定も否定も表さず口を閉じた。

「それならば、自分たちが命を仰ぐべき人物が誰かくらいは知っているだろう」

 若い団員がたじろぎ、自分とロスの間に目を泳がせるのを確かめて、カエルムはさらに言葉を継いだ。

「私は上の者の言うことに是が非でも従わねばという考えは好むところではないが、少なくとも自らを率いる国防団最高司令官の言に正当な理由もなく背くことはないな?」

「いや、その前に第三条第一項、国家統治者命絶対の規定があるでしょうが」

「私の右にいるのが誰か、当然知っているな?」

 ロスの横槍を無視してカエルムは淡々と続けた。自警団二人は互いに顔を見合わせ、カエルムとロスを再度見て、また相棒を見る。

「そういうことでロス」

 言外の意図を読み取り、ロスは物言いたげな溜息をついてから面倒臭そうに命じる。

「『国家緊急事ゆえ国防団最高司令官権限をもって、司祭長の命を退ける』……というわけで通してもらえるか。緊急事態だ」

「はっ、はい!」

 完全に平静を失った二人は即座に左右へ跳び、扉の前を空けた。

「貴兄らのような団員を誇りに思う。後に第一王女も来るはずだが、彼女も通してくれるか」

 カエルムは重い扉を押し開けながらに笑顔でそう言い添えると、ロスを促し二人に背を向けて走り出した。

 扉の前で改めて敬礼する二人を尻目に、ロスは走りながらうんざりと悪態をつく。

「ったく……人をダシに使わないで下さいよ……」

「悪いな。偉ぶるのは嫌いなんだ」

「即位したらそれ直ちに直していただきますからね」

「善処する」

 前を向いたままカエルムは面白そうに軽く笑った。本当に必要なところはカエルムも心得ているのを知っているからこそ、ロスには何とも諭し難い。取り敢えず王族がもう少し王族らしくなる規定をどこかの条項に加えたい。

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