薬毒(二)

 シューザリーンの市門を出てまもなくの事である。日が落ちてなお空は薄明るく、視界は明瞭でまだ夜闇が満ちるまで時間がある。今日中に次の街に行き着けるはずだ。

「テハイザの碧玉が司祭領に持ち込まれたならそいつらの狙いは一つだわ」

 アウロラは馬を走らせながらイクトゥでの事の次第を聞くと、頭の中で全て理解したようだ。だが納得しているのはアウロラだけである。並走するシードゥスは馬の手綱を捌きながら聞き返した。

「何が司祭領にあるっていうんです?」

「前に話したところ! 王族しか入れない部屋があるっていったでしょう!」

 アウロラは風にかき消されないよう声を張り上げた。前方の道が分かれている。馬に左折するよう合図を送って上体を馬首に近づけた。

「厳密にはシレア内でなら、と言った方がいいかも。でもテハイザの碧玉があるなら話は別だわ」

 曲がり角に差し掛かり、アウロラは体をやや傾けた。耳飾りが揺れ、珊瑚と碧の二色の宝石が光る。

「もし神木も一緒だとしたら……! お兄様も間に合っていらっしゃるといいのだけれど……」

 行く先を睨み、唇に歯を立てた。満月は明後日。

 祈るような気持ちで、ただひたすらに西へ向かって馳せた。


 ***


 精霊殿の内部は、カエルムが以前来た時からさほど変わった様子はなかった。しかし夜が近いからか前回以上に静かに思われ、そして不気味なほど人気が無い。誰も呼び止める者がいない廊を真っ直ぐに最奥の霊殿へ走る。

 廊下の左側の壁が途切れて中庭に面した一画に出る。円柱が立ち並ぶ向こう、薄闇が広がり始めた中に、霊廟の入り口から灯火の光が漏れていた。

 その明かりを目指して駆け入ると、カエルムは部屋の内奥を睨んで臍を噛んだ。

「遅かったか……!」

 足元には壁伝いに木板が敷かれ、その下には水が張っていた。シレア城の地下水と実によく似た作りである。大きな違いと言えば、入り口から水を挟んで対角線上、壁際に並んだ白い石造りの円柱の間に白木の扉があり、その前に細い真鍮の細い柄を持った台が立っていることくらいか。

「異常が?」

「祭器が無い」

 カエルムの視線の先にある台の上を見ると、確かにそこには何もなく、灯火の光を跳ね返す金属の盆が乗っているだけである。

「奴らが持ち出したということですか」

「いや」

 木板を奥へ進みながらカエルムは水面を端から端まで見渡した。シレア城の地下水ほど見慣れているわけではないが、やや水位が下がっているように見える。

 円柱の間を覗いつつ白い扉の前まで来ると、カエルムは音を立てずに白木に手を触れた。

「持ち出したのではなく、持ち込んだのだろう」

「それがその扉、ですか。殿下が王族しか入れないと言っていた?」

 イクトゥから来る途中、ロスはカエルムから霊廟に王族のみ入室を許された部屋があり、不届き者の狙いはそこだろうと説明されていた。

「霊廟の中でも珍しく、この扉はシレアの神木でできている。シレアの祭器を守る櫃と同じく、シレア国の者で神木に守られた扉を開ける碧玉を有するのは王族だけだ」

 同じ神木がテハイザの王城にあること、そして白木を開ける宝石を両国の重鎮が持つことは、二国が古に友誼を交わしたのがきっかけであり、これは両者の信頼の証の中でも最たるものである。

 両国の古い歴史はロスも聞き知って納得していた。だがまだ尋ねていなかったことがある。

「殿下も姫様もその中に入ったことがないと仰いましたけれど、何故なんです?」

「正しくは、通常ならしか入らないからだ」

 カエルムは扉の上部を見つめた。白木の天辺と接した部分の石壁に紅葉をかたどった徽章が刻まれている。

「だが言ってみればしきたりだ。明文化された厳法ではない」

 そう言って瞼を閉じ、カエルムは扉の前で頭を垂れた。

「シレア国第一子第一王子カエルム、シレアをお守りくださる妖精にお赦しを願います。国の一大事です。慣例に背く責を負い、この命に代えても必ず国を護ると約束します」

 ここは妖精の宿である霊廟である。礼を蔑ろにすることは妖精を蔑ろにすることだ。

 扉に当てていた手を返し、指環を静かに木目の上に触れさせる。光が波紋状に白木の面に広がり、木と石壁の間に人一人が通れる間が開いた。入ってすぐのところは暗く、視界の悪い中、少し先に下へ降りる階段が見える。

「先に様子を見てくる」

 剣の位置をあらため、現れた廊に踏み出そうとした時である。

 カエルムの全身の神経が、一瞬にして緊張した。

「ロス」

 主人の纏うが変わったのはロスにも気がついた。

「悪いが、任せていいか」

「一人で行く気ですか」

「ああ。ここで待っていてくれ」

 背後の空気に変化が生じたのを肌で感じ、ロスは主人の言葉の意味を理解する。

「わかりました。でも頼みますから、無茶はしないでくださいね」

「何を言っている」

 カエルムは振り返り、蘇芳の瞳を明るく光らせた。

「私が無茶をするために、ロスがいるんだろう?」

 端整な顔に悪戯を企むような笑みが浮かぶ。それを見たロスは、苦笑しながらも晴れやかに返した。

「あぁはいはい。そうでしたね」

 ほんの一瞬、互いに目と目で意志を交わす。その直後、カエルムは笑みを消して声を顰め、やや困り顔で言い添えた。

「私が自分より強いロスにこういう助言をするのは失礼かもしれないが」

「はい?」

「柱を上手く使うといい」

 そう言われてロスは横目で部屋の内部の構造を確認する。なるほど合点がいった。うまく動けば多人数でも相手にできる。

「助かります。了解しました」

 返事と共にロスは剣の柄を押し上げ刀身を鞘から覗かせる。その意を解し、カエルムも倣って愛剣に手をかけ、改めて扉の中に踏み込んだ。

「それではロス、あとよろしく」

 そう言い残すと、カエルムは身を翻して薄闇の中へ吸い込まれていく。すると白木がひとりでに閉じ、去っていく後ろ姿を目の前から隠した。

「さて、と。隠れてないで出て来たら?」

 扉が完全に閉まったのを見届けて、ロスはくるりと身を返す。

 霊廟の入り口付近には男が四人。いかにも弱者をなぶるのが好きそうな面構えで各々得物を構えている。武器に刻まれた徽章は紅葉と——帆船。

シレアうちのろくでなしと……テハイザのろくでなしか」

「口の利き方に気をつけろ。こちらにつくというのなら処遇も考えてやるが」

 テハイザの国章を見せた男が勝ち誇って低く述べる。残忍だが単純そうな性格を思わせるのは残り三人の相貌も似たようなものだ。

「ろくでなしなら国章そういう印はつけないで欲しい。恥を知れ」

 嫌悪露わな応対に、男たちの口から下卑た笑いが漏れた。

「単身だというのに威勢だけはいい。そのせいで倒れても、臣下を置いてくような主人を恨むんだな」

「それはない」

 鋭い言葉と同時に男たちの顔から笑いが消える。次の瞬間には、刀身を閃かせたロスの愛剣が相手の肩口すれすれまで迫っていた。

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