奸計(五)

 シードゥスが目を見開いてテハイザ王を凝視した。その横でカエルムが左手を上げ、テハイザ王の方へ手の甲を向ける。嵌められた指環の上で、珊瑚色の小玉と並んだ海の碧が光った。

「碧玉とは、この宝玉ですか」

 無言で示された肯定の意を確かめ、さらに続ける。

「古伝万有譚に記された、王の威信を分け持った者が持つという?」

「ええ。その記述をご存じでしたか」

 その伝説ならテハイザの者なら知っている。

「海と珊瑚の輝き、王の手より授けられしは……国土の一部を担う責あり……」

「預かりし宝により、王の力を借り受けた者、その力をして民を守る。かくの如く、王の力は等しく分かたれ、国土はあまねく平定す」

 シードゥスの口から古伝万有譚の一節がこぼれ、テハイザ王が続ける。

 古に各地方を治める任についた者へ王の宝が下賜されたというくだりだ。そして実際にその宝玉と思われる碧い石が現在まで受け継がれていることは、式典などの折に地方領主が身につけていることからも分かる。

「確証などもちろんありませんが、偶然とも思えない。私が体に感じているものは国の統治者に対する警句か、臣下の狼藉に対する叱責か……いずれにせよ、海神の怒りを受けているような気すらしてきます」

 胸に留まる碧玉に手が重ねられ、衣ごと強く握られる。痛みを分散させようとでもするかのように。

「しかし陛下、そんな重要なものが、何者かに盗まれたなんてことが……」

 震え声になるのを抑えられずにシードゥスが尋ねたが、否定の言葉はない。信じがたい事実に息を呑む。だが、

「——と、いうことになっている」

 そこにテハイザ王の冷たい一言が重なった。室内の緊張がさらに高まる中、応じるカエルムはなおも冷静だ。

「ということは、陛下は盗まれたのではない、と」

 顔に押し当てていた手を浮かせて、テハイザ王は瞑っていた目を薄く開いた。

「当該の地の長からイクトゥには『盗まれた』とありましたがね。どうもそうではないと考えています。中央から派遣した副官から疑惑が報告されている。盗まれたのではなく、そうしたていを装って可能性があると」

「どういうことです」

「気付いたのは副官です。長官が宝玉を目に見えるところに留めていたのが幸いしました。それがないことに副官が気付いた」

 要点だけを話しますと、とテハイザ王は続けた。聞けば、副官に問われた長官ははじめ部屋に忘れたと言い、慌てて自室に戻ったという。そうしたら今度は盗まれた、と。数名の官吏で部屋に赴けば確かに室内は乱れたところがあった。しかし——

「長官の住居には鍵が壊された様子も他の部屋を探した様子もない。誰かが踏み入れた形跡は自室のみであり、他に金品が盗まれたわけでもない。何か妙だと。妙に思った副官が私に寄越した」

 実にツメが甘い、とテハイザ王はせせら笑う。だがここまで聞いただけではまだ不可解である。地方領主が宝玉を自分で持ち出す理由がない。ロスが眉を寄せると、テハイザ王がそれに気付いてすぐに先を続けた。

「古いしがらみというのは厄介なものだ。そこの長官は私と反目していた先王時代からの急進派に肩入れしているような気配がありましてね。とはいえ表向きは罪を犯したわけでも逆賊に加担したわけでもない。咎無き罷免はできなかった。だから中央から信頼に足る人材を副官として派遣したわけですが」

「つまり、何らかの叛意あって持ち出したと考えられる——?」

 テハイザ王は明確に肯定するでもなく、自らの長衣に留めた宝玉を撫でる。

「持ち出したからといって何ができるのかと問われたら困ります。だがこの宝玉に力があることは確かだ。カエルム殿もご存知の通り、木と水の融和を体現し、水を導く」

 木は水を受け入れ、そして碧玉はその色と同じ海のごとく水を呼ぶ。妙なる力は人には理解できない。言い換えれば、他にどんな力があるのかも分からない。

「それに、テハイザ各地に分配された宝玉はいわば王権の象徴です。こう簡単に露呈する愚行を犯すことからしても、あの地の長官にそこまで人望を集める気質があるとは思わないが、もし他に力ある者がこれをうまく用いたら……」

 威信というものは本来形などないはずなのに、象徴物という目に見えるものになるとそれだけで惑わされる人間が多いものだ。確かに触れられる物質の姿をもって、実際に在ると誤解する。それだけでも下手な人間の手に渡るのは避けたいが、碧玉はただのではない。

 王にもわからぬ使い道を知っているかどうかは疑問だが、ここまで来るとともかくも碧玉の行き先が問題である。ロスは、それを王に尋ねないのかとカエルムの様子を窺った。

 しかしカエルムの顔には、先ほどまで一度も平静を欠かなかったのとは逆に、見るからに焦りが浮かんでいた。

「国王陛下、その宝玉が持ち出されたのは」

「さすが察しがいい。その通りです」

 ——シレア。

 検問を調査させたところ、宝玉が消えたという領地からシレア方面に向かった者がおり、素性を調べれば長官との繋がりがある。推測でしかないが恐らく日時も合わせて考えればその者が持ち出した可能性が極めて高い。

 テハイザ王は嫌悪感露わに続けた。

「我が国の力ある玉がシレアに入った。対外的にはこれが知れたらテハイザの立場が悪い」

 テハイザが国の宝をシレアに持ち込み何を企んでいるのか。宝玉の力を知れば邪推はいくらでも可能であるし、そうでなくともテハイザ本国内部で多少なり安定が減じるのは必至だろう。もしそうなれば、つけ込むにはいい機会になる。

 それでシレアへの連絡を迷ったというわけだ——そうロスは納得した。恐らくテハイザ王は、本件を知ればシレア側からもテハイザに報復か何か起こすと疑ったのではないか。もしそうだとすれば全く無意味な警戒であるし失礼千万だが、テハイザ王の体の様子からして冷静さを欠くのも無理はない。シレアの主君二人以上に余裕のない状態だったのだろう。それよりも今は——

 カエルムの顔を窺う。表情はさらに険しくなり、もはや疑問の影もない気色からすると、十中八九ロスと同じことを確信している。

「テハイザ王陛下、確認ですが、碧玉が盗まれた地というのは」

「思い当たるところがおありのようだ。ええ」

 指にある宝玉は濁りなく、美しく、そして冷たい。

「シレアの西の国境が、テハイザと接している地です」

 その瞬間、カエルムの身の内を、鋭い音が貫いた。

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