瓦解(四)

 アウロラの記憶にある神域は、域外の木々よりもさらにくすみのない純白の幹を持つ木々が空に向かって真っ直ぐに伸び、俗界からはかけ離れた神聖な気の漂う場所だった。確かに全く人が立ち入る機会がないわけではないが、入域はごく僅かに認められた特別な理由のある時に限られている。そのほかに神域の中を見ることがあっても境界の外側からだ。

 しかし域内から感じる独特の空気は一度触れたらそうそう忘れることはできない。その威厳ある「気」は今もなお神域の内から出で、一歩離れたアウロラの全身に触れるように感じる。ただ、記憶にある「気」とは違う。以前は針一つほどの欠けも無く自らを包み込んでいたと思ったのに、いまはどこか綻びがあるのだ。

 その原因は明らかだった。

「どうして……?」

 適度な間隔を空けて生える木々の足元に切株が出来ている。これまで見たことのないそれらの円は、まるで整然と糸の並ぶ織物に空いた穴のようだ。

「どういうことだこりゃあ。ここは切っちゃいかんっつう決まりのはずじゃないのか」

 材木屋の問いはアウロラに向けられてはおらず、声音には純粋な驚愕しか表れていなかった。切り株の数はそう多くなく、見える範囲内ではほんの二、三本だけである。しかし神木を持ち出すというのは、記録の中でも数えるほどしか事例がない。まして無断伐採などあってはならないはずだ。

 純白の断面に見える年輪はこの世のものと思えぬほど美しい。だが、今のアウロラの目には禍々しい凶兆にしか見えない。その場に足が縫い付けられて、一歩踏み出すことすらできない。

「こっから見た限りじゃ、切られてんのはここだけみてえだな。先の方は誰かが切ってりゃもっと地面が不自然になっとるもんだ」

 目を細めて神域の奥を睨んだ材木屋が呟いた。確かに十数歩先から向こうは純白の幹が静謐と立ち並んでおり、不自然な空間もない。また下に目を向ければ、自分たちが立っている場所から切り落とされた木の周りには草が折れ踏まれた跡があるのに、さらに先の方は地面が踏みしめられた形跡もなかった。

 だが、数の問題ではない。切り株の周囲に無残に散らばる小枝や裂かれた木の皮は、それらを目にしたアウロラの全身を震わせた。

「急いで、城に帰らなくちゃ……」

 神木の伐採が何を意味するのか、はっきり知っているわけではない。だがどう見ても神域に対する礼のない行為だ。

 アウロラは知らずのうちに手を耳元へ近づけていた。指が碧玉と珊瑚の耳飾りを求め、指に触れた珠を縋る思いで包み込む。

 林の奥から外へ真っ直ぐに風が吹き抜けた。鼻腔から入り込む澄み切った空気が、異様に冷たく喉を通る。

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