瓦解(二)

「いやあしかし俺が昔に叱りつけたちびっこいのから頭を下げられるなんて思わんかったなぁ。こりゃ嬉しいことだ」

 荷車を押しながら、材木屋の主人は辺りに陽気な笑い声を響かせる。アウロラが頼んだのは城下に店を出す材木屋たちが神木と同種の白木を切る区域の案内だった。それと合わせて、神域の方の様子も確かめに行きたいと希望した。

 城下のほかの住民たちと同様に材木屋にもアウロラとカエルムだけに聞こえている鐘楼の音については伝えていない。現状では何か具体的に国の住民に害が及んでいるわけでもない。アウロラとカエルム以外にも音が聞こえているというなら話は別だが、実害が皆無であり、なおかつ危険が予見されるわけでもないのに、説明もできない余計な不安を民に与えることは控えたかった。

 そうした状況なので材木屋にあまり緊張感がないのも仕方のないことなのだが、前を歩く初老の主人があまりに愉快そうなので、アウロラはつい口を尖らせた。

「昔の話じゃない。そこまで笑わないでよ。私ももうすぐ即位しなきゃいけないのだからそういつまでも子供ではいられないわ」

「とは言ったって、姫様が一丁前に自分で山の様子を見に行きたいなんて、よく大臣さんが許してくれたなあ」

 常日頃の様子を知っている主人にさも面白そうに言われ、アウロラは肩をすくめた。


 ***


 城下町から帰ったアウロラはすぐに大臣の元へ行き、材木屋に聞いた話を余すことなく語った。

「姫様、お体も優れないというのにまた城下に行かれたのですか」

「お薬をいただいているからそれはもう大丈夫よ。問題はそこじゃないわ」

 普段、城を抜け出したことが露呈すれば大臣からの小煩い説教に耐えなければならない。しかし今日はそんな暇はない。

「大臣もおかしいと思うでしょう。司祭長が訪ねて来た日からはもういくらか経っているし、祭器の清めの儀は次の満月よ。すぐじゃないの。修繕作業自体が数日で終わるとしても資材が領地に入っていないのは不自然だわ」

 仕入れてきた情報が情報なだけに、大臣もそれ以上咎める気は起こらなかった。確かにアウロラの言う通りである。

「それでは如何致します。司祭領には殿下がいらしているところですし……」

「そちらは何かあれば情報が来るはずだし、王都が下手に出てもまずいと思うの」

 現状を正しく理解した返答に大臣は首肯したが、ならば打つべき手が難しいと唸った。だが、答えを述べるのはアウロラの方が早かった。

「今はまず神域周辺の様子を見に行くのが先だわ」

「それは……確かにそうでございます。ですが城の中で守秘義務を守れる者で、現状を見てこれる者となると手が空いているのは……」

「何言ってるの、私が行くわよ」

 大臣は思わず「は?」と間抜けな声を出したが、目の前にあるのは当然という王女の顔である。

「国の責任者が事態を見ておくのは当然でしょう。お兄様がいらっしゃらないのだから、私が行くほかに選択肢は無いわ。城での書類仕事の一部は他にお願いできるし、残りは帰ってやればいいし」

 さらにすらすらと述べられる理屈と詳細な指示は理路整然としており、大臣には反論不能だった。しかも、この目で確かめないとわからない、どんなにおかしなことでも自分の報告なら大臣は疑わずに納得するはずだ、と主張されは大臣も否とは言えない。

「百歩……千歩譲って姫様が行かれるとしても、それでは供の者はどういたします」

 するとアウロラは呆れ顔で老人を諭す。

「また何を仰るのよ、大臣ともあろうお方が。ほんっとうに過保護ね。王都からすぐの山林に行くためにどうして護衛なんて必要なのよ。しかも一人なわけではなくて材木屋のご主人と一緒でしょう」

「しかし……」

「ただでさえ即位式の準備で忙しいのにこんなことが起こってしまって皆の負担が増えてるのよ。城の業務に充てる人手を私の護衛なんかで減らすくらいなら、その分を逼迫した今の事態の調査に回してちょうだい」

 こうきっぱりともっともな意見を言われてはぐうの音も出ない。そもそも、この兄妹はこうと決めたら言うことを聞くはずがない。

「仕方がありません……承知致しました。ただし、林道は狭く、馬を歩かせるにも難儀する傾斜ですので歩くにはなかなかに体力を使います。林の入り口付近までは馬車で送らせるということを条件とさせて頂きましょう」

 アウロラは頷き、すぐに御者の人選と留守中に城内の官吏に任せる仕事の準備に取り掛かった。

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