荒海(三)

「何かあるのか。時刻なんて聞いてどうするんだ?」

 廊下に出ると、シードゥスはクルックスの質問に対して疑問に思ったところを口にした。落雷と明滅がほぼ同時刻としても証拠はなく、王の感覚を信じるしかないものだ。時刻に重要性があるのか、シードゥスにはいまいち分からない。

「海の潮の動きが月の満ち欠けと連動しているじゃないか」

 それは船乗りが長年、海を見てきた経験から得た知識であり、テハイザでは記録書や書物だけではなく口承でも幼い頃から聞く話だ。ただクルックスの返事は自分の問いに対して無関係に思える。シードゥスは「だから?」と先を促した。

「もしかしたら何かもっと法則があるんじゃないかと疑ってるんだよね。この間から過去の航海記録を辿ってみていてさ、航行の時刻は潮の具合を見て決めるだろう」

「まさか出航と帰港の統計でも取ってるのか?」

「さすがにそんな細かい時刻の記録まで残っていないけど、文章読めばそれが一日の何時ごろかとか書いてあるじゃないか。航海日誌も数が多いから、表現の癖とかで見てればなんとなく大体何時頃か見当がつく」

「よくそんな時間あるな」

「新しい書架の入荷はまとめて来るから、暇な時は本当に暇なんだ。それで、ものを読んでいたらさ、月だけじゃなくて他の天体の位置とかの関係をつき詰めてみる価値もあるかもしれないと思うわけだ。今回の荒波が潮の動きと関係するかどうかは知らないけど、細かい記録をつけるようにしたら何が出てくるかわからないぞ」

 話すうちにクルックスの語調に熱が入り、早口になってきた。そういえば昔からはまり込むとしつこい——口には出さずにおいたが、シードゥスはそう思い至って納得する。

「時間とも関連すると思うのか?」

「うん。というより時間も記録しておけば、結果的に本当に法則があったとなると役に立つだろう。事前に波の動きの予測もつけやすくなるとか。こいつが出来たから、わざわざ天球儀を確認しに行かなくても天体の正確な位置が掴みやすくなったし」

 クルックスは懐から円形をした銀の小箱を取り出し、親指で弾いて蓋を開けた。中に嵌め込まれた羅針盤の上で針が振れ、ややもして一方向を指して止まる。

 確かに海の変化が船出の前に予測出来れば、航海の上で安心材料は増える。人命が危険に晒されることも減るだろう。

「じゃあこっちシレアにも天球儀の明滅との関係とか、細かく記録を知らせてくれよ。もしシレアとテハイザに何らかの関連があるのなら役に立つかもしれない。陛下がお許しになれば、だけど」

「分かった、請け負うよ。どんな法則があるのかあの御二人はそりゃ御興味を寄せるだろうね」

「確かに」

 言いながら、シードゥスの頭には二人の好奇心溢れる顔が思い浮かんだ。たちまち想像がつくほど兄妹でよく似た反応を示しそうだ。

 そう考えて胸中に温かなものを感じたとき、横でクルックスがぽつりと呟く。

、か」

「え?」

 よく聞き取れずに問い返すと、クルックスがシードゥスの方へ顔を向けて微笑する。

「さっき陛下に『シレアに帰る』って言っていたから。もうシードゥスにとってはそういう場所なんだな」

 全く自覚していなかったことを指摘され、シードゥスの胸がどくんと脈打った。

「——俺の故郷は、仕えるべき陛下がいらっしゃるテハイザここだよ」

「それは分かってるよ。でも船乗りは海にもだろう」

 目前に廊下の分かれ道が見えてくる。左に折れれば書庫へ通じ、右に行けばシードゥスの部屋の方面だ。

 別れ際に、クルックスはシードゥスの肩を軽く叩いた。

「シードゥスには居場所が一つっていうのも、きっと気持ちが偏って窮屈だ。帰る場所が二つあるのも悪くないと思うよ、僕は」


 ***


 荷造りやシレアへの親書の準備、関係官吏との連絡を済ませて、シードゥスがテハイザ王都イクトゥを出発したのは、太陽が西側へ傾いて来た頃だった。晩夏の日はまだ長い。イクトゥからなら馬を飛ばせば日暮れ過ぎにはシレア王都シューザリーンまで辿り着けるだろう。

 シードゥスが都を二重に囲む防壁を抜けた頃、王城には一羽の鷲が降り立った。人に近づくのを躊躇いもせず、悠々と窓辺に止まり首を室内に突き出す。窓の桟を掴んだ足には一通の書簡が結び付けられていた。

 テハイザ王が書簡を外してやると、鷲は再び上空へ舞い戻る。雄々しく羽根を広げて旋回し、向かう先は北。

 みるみる小さくなっていく鷹の姿を見送ると、テハイザ王は書簡を紐解いた。ほどいて指に巻きつけた蘇芳と紅葉の二色の組紐は、シレアの二人の主人あるじのものだ。

「陛下、やはり」

 背後に控えた側近も、由々しき事態を察知した。

「ああ……近衛師団長、どうやらシレアとテハイザはどこかで繋がっているみたいだ」

 テハイザ王の語調に皮肉めいた笑いが滲む。不吉な事態まで連動しなくても良いというのに、人智を超えた何かが働いているとしか思えない。

 緊張が次第に高まるのを覚えながら綴られた文を読み進める。だが書面の最後まできたところで、険しかった王の表情が和らいだ。

「どうかなされましたか」

 近衛師団長が眉を顰めるのに対して、テハイザ王は逆に笑みを漏らす。

「いやね、お二人に言われてしまったたよ。『シードゥスの休暇は予定通りに』だそうだ」

 急の伝達らしいほぼ用件のみの文面だというのに、こういう一文をつけてくる辺りがあの兄妹らしい。その一方で、ほんの少し前に送り出した若者を思うと妙に納得してしまう。

「愛されているね、あの青年は。シレアとテハイザを繋ぐ唯一無二の存在だ。本人がそれを分かってくれているといいのだけれど……」

 そう呟くと、テハイザ王は卓上の羽根ペンを取り上げた。返信の中に彼を宜しく頼むと入れなければなるまいが——こちらが書くまでもないと思えるのもまた本当で、そのことに胸の内が満たされていく。

 テハイザ王は書簡を丁寧に畳み、ふとその手を止めた。

「ああ、唯一ではないか。もう一人いた——期待の逸材が」

 くすくす笑い出す王につられて、近衛師団長も珍しく微笑んだ。王宮を忙しなく走り回っていたあの少女は、少しは淑女らしくなっただろうか。

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