警鐘

警鐘(一)

 はじめ、それはごく微弱だった。

 やっと鼓膜に届くくらいか、それとも意識が「感じた」と、誤って思っただけなのか。

 鈴と形容するには強い。しかし微風と言えば心許なすぎる。なんの濁りも軋みもない、澄み切った音。

 聴覚を通じて体の奥まで入ってくる。長い間隔をあけながらも、一つ、また一つと音は鳴り、神経を通じ、自らの内側を骨の髄に至るまで満たしていく。

 物心ついた時にはもう知っていた。全身に馴染んだ音のように思う。

 だが、何か違和感を感じる。

 そんな疑念が意識の奥で生じた瞬間だった。

 体全体が激しい振動に揺すぶられる感覚——違う、内側から外へ「音」が響きわたるような強烈な衝撃が足先から脳天までを襲った。その間にも耳には先の音が聴こえ続け、鼓膜を支配し外界の他の一切の音を遮断する。

 四肢と胴を打つ「音」が聴覚の捉える「音」と重なり連動する。二つの「音」は違うように思えたのに、いつしか重なり、増幅していく。頭蓋を割るような振動だ。咽頭が圧迫され、呼吸が苦しい。でも、この音は——




「……っ……はぁっ!」

 いつの間にか歯を食いしばっていたのに気がつき、無理矢理に喉を震わせて声と共に吐き出す。見えない何かから自由になった体が跳ね起きる。四肢の縛りが解けると、アウロラは咄嗟に窓へ駆け寄った。寝巻きの胸元に当てた手指が無意識にひだ飾りを握り締める。

 紅葉色の瞳が映る窓硝子の向こうには、静寂を守ったまま城下の街が広がっている。








 城の上階から見えるのは、常と同じ夜のシューザリーンの都である。

 瞼を閉じ、そして再び開けても、蘇芳の瞳に映る市街になんら変わったところはない。

 喧騒も聴こえず、明かりもまばらになった街の中心に、シレア国唯一の時計を持つ塔が星辰瞬く空へ向かって聳え立つ。

 塔の先端近くで、文字盤が月明かりに照らされ白く浮かび上がる。薄桜色の宝玉も、夜毎に見慣れた淡い輝きを放っている。

 寝台脇の小卓に目をやる。そこに置いた砂時計の砂はもう僅かしか残っていなかった。上半身を起こして第一に時計台を確かめ、その直後に逆さにしたものだ。全ての砂が落ち切ったのを見届けてから、改めて文字盤を確かめる。時計の針は落ちた砂の分だけ進んでいた。この国の心臓部とも言える時計に、異変は認められない。文字盤の針は一定の速さで時を刻み続けている。

 それでは、先程の音はなんだったのか。

 針が示しているのは真上から斜め六十度より少し下。シューザリーンの時計台で鐘楼が鳴り響く時の向きではない。

 ついいましがた全身に充溢し、四肢を縛った音色ねいろを間違えようはずがない。確かに、シレアの時計台が国の隅まで届ける鐘楼のだった。

 しかしあの、この身を震撼させた獰猛な響きは。

 硝子の向こうへ向けていた視線を部屋の中に戻し、日除けの布にかけていた手を離す。着崩れた衣の合わせを正して寝台から降りると、カエルムは椅子にかけていた麻の上着を取り上げ、袖を通しながら扉へ急いだ。

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