黎明(三)

 執務室に戻り、最後に入ったロスが扉を閉めると、カエルムはシードゥスに椅子を勧めて自分も書見台の椅子に腰を降ろした。アウロラが兄の椅子に手を掛けて立ち、ロスは腕を組んで扉に背を預け、シードゥスの言葉を待っている。

 シードゥスは皆の視線を受け、先ほど自室から取ってきた書状を兄妹の方へ示した。南十字星に帆船を組み合わせた紋章が羊皮紙を巻く帯に金糸で縫い取られている。シレアの隣国、テハイザの国章だ。


「姫様には大体のところ、お話ししてありますが」


 帯を解いて差し出すと、カエルムはかぶりを振った。


「いや、テハイザ王陛下が外交大使に託した書状を私本人が直接見るわけにはいかない。大使が話すべきと思った内容だけ聞くことにするよ」


 そう笑いかけられると、シードゥスも頬を緩ませて書状を開いた。自分が留学生として政治や武術の習得するのに合わせて、シレアとテハイザ二国間の外交大使を拝命されたのは数ヶ月前のことだ。テハイザ王が自分に向けて書いた労いの文には、シードゥスからしてみれば過分な言葉もあり、他人に見せるのは正直、気恥ずかしい。シレア城のあるじの申し出に甘えてそれらの他愛ない部分を飛ばし、シレアとの外交に関わるところだけ読み上げていく。


「……それからここ最近の天候不順についてです。テハイザ側ではまだ大きな災害は起こっておりませんし、経済的にも予算にそこまでの影響はない範囲に収まっています」

「海の方はどうだ」


 テハイザは海に面した大国だ。食料供給は星空海ほしぞらかいから獲れる海産物が大部分を占め、経済活動も船乗りの仕事に頼る割合が多い。当然、天候の不安定は経済産業の不安定に繋がる。そしてテハイザから海産物を輸入しているシレアに対しても、その影響は大きい。


「海は例年に比べてしけが多くて。幸い、難破船もありませんし防波堤も陛下が早々に強化策を立てましたから、津波による被害も出ていません。ただ、船が遠洋に出られない日が頻繁にあるためシレアへの輸出品も限定されているそうです。この点は姫様のところに来ている市場からの報告と一致します」


 兄であるカエルムが主に外交政策や地方行政を管理しているのに対し、妹王女のアウロラは首都シューザリーンと近隣州を担当している。従って城下の情勢は国営民営市場の日間報告も含めて官吏からまずアウロラへ寄せられる。


「テハイザの海産乾物の量が減っているのは確かよ。でもさすがは海洋国ね。漁で獲れる魚介の分は養殖品で補われているみたい」

黄珊瑚おうさんご漁港に養殖用の区画を新設したんです。先王時代に問題になっていた失業者対策にもなりますし、そちらが成功しているのだと思います」


 アウロラが渡した城下市場の決算報告書を眺め、カエルムは頷いた。


「経済が滞りないのも喜ばしいが、人災が皆無で良かった。テハイザ王陛下の政策はどれも的確で、見習わねばならないな」

 好戦的な前テハイザ王が崩御し、気性穏やかな現王が即位してからまだ何年もたっていない。即位直後は前王寄りの思想から武力による領土拡大を主張する右派と現王の意に同調した穏健派との間で内部分裂が起こっていたが、カエルムらの協力もあってテハイザ国内の不穏分子も制圧された。その後は王の主導による旧体制の刷新と国内事業の見直しが進み、その効果が様々なところに出始めている。

 先のシレア王であった父の逝去以来、母后の傍ら実質的に政治を執ってきたカエルムも国内外から辣腕との誉れ高いが、正式な即位を前に大国テハイザを統べる王の手腕には背筋が伸びる思いであった。

 だが、カエルムの感嘆にシードゥスは苦笑する。


「陛下の方でもシレアを見習わないと、と同じことを仰っていますよ。即位式へは御出席です。それに関連しまして、即位式の仔細を伝えるように一度帰国するよう御達しがあるのですが、御許し頂けますか」

「許すも何も貴方の主人はテハイザ王陛下なのだし、大使で留学生が自分の国に帰るのに私たちに口を出される筋合いはないでしょう」

「アウロラの言う通りだよ、シードゥス。何かあれば伝書鳩も使えるし、たまには鍛錬も休んでゆっくりしてくるといい」


 口々に言われてしまうとますます恐縮するが、有り難い話ではある。シードゥスは礼を述べて自身の報告の終わりを告げた。他に報告のある者は、とカエルムが他の二人の顔を窺う。口を開いたのはそれまで黙って話を聞いていたロスだった。


「即位式に関して司祭領から通達がありました。近く、シューザリーンに来るそうです」


 ロスは王城に勤める前、自身の叔父が官僚を務めていた頃に司祭領で叔父の手伝いをしていた。それもあって伝使とは馴染みで、公式連絡とは別に雑談中に聞いた話である。


「ああ、そういえばあれがまだだったな」

「後で大臣から正式な文書と一緒に殿下にも詳細が知らされると思いますが、到着予定は確か……」


 すると執務室の扉が二回、間を置いて叩かれた。

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