友達一年生


 四月は気が重かった。


 紅葉の両親は、期末試験でぽっと出の転校生に順位を譲ったことが気に入らなかったようで、顔を見合わせる度に、塾を増やすだの大学の模試を一年の内から受けておけだの遊んでいる時間を勉強に当てればよかっただのといったことを壊れたレコーダーのように言い続けた。ところが紅葉には秘技「すみませんっした・反省してます・次頑張ります」の三拍子レコーダー返し拳法があったため、両親は次の成績次第という指示に落ち着いた。


 ――五体満足でよっぽどのことがなければ健康に生きていける娘をもらっといて、贅沢な人だな。


 両親の叱責がある度、紅葉は他人事のようにそう思う。


 ――世の中には二十代で死んじゃう娘を持つ人もいんのにさ。


 これもまた、他人事だ。


 紅葉の自宅は学校最寄りの駅から五駅離れたところにある。音楽を聴きながら向かうと、中等部の新入生らしき少年が緊張した面持ちで手すりに掴まりながら乗っていた。たった三年前の自分の姿だというのに、初々しいと感じるのだから不思議だ。


 暫くして、駅に到着する。降りようとしたそのとき、先程見かけた一年生が端末に視線を落としたまま動かないことに気付いた。


「……」


 放っておくか声をかけるか一瞬迷い、さすがに人間として、と後者を選ぶ。乗り込む人に紛れ少年の元まで近寄り、「ねえ、花絵の子?」と肩を叩く。


「え、……は、はい」

「降りる駅ここ」

「えっ!」


 ぽかんと紅葉を見上げていた少年は慌ててドアに向かって踏み出す。それを先導するように、紅葉も踵を返した。ドアが閉まるぎりぎりのタイミングで、二人でホームに降りる。


「すみません、ありがとうございました」


 少年は礼儀正しく頭を下げる。野暮ったそうな眼鏡にきっちり首元まで釦が絞められた学ラン。真面目そうな印象だった。ジャケットの前を全開にし、スカートの裾もさっそく膝上に折っている紅葉とは大違いである。


「次の駅かと思って……」

「あー、学校名の『花絵』と駅名の『華江』は関係ないんだよ。華江駅からも行けるけど、こっちの方が全然近いから、降りるのはこっち。ややこしいよね。あたしも中等部んとき間違えた」

「間に合ったんですか?」

「……まあなんとか」


 本当は走っても間に合わなそうだと察してコンビニで寄り道してのんびり歩きホームルームの自己紹介中に重役出勤したのだが、進学校に入った新一年生にそのエピソードを話すのは教育に悪いだろうと隠すことにした。


 案内がてら学校まで一緒に行き、校門前で立ち止まる。


「中等部はあっちで集合。校舎前に先生立ってるから、どこ行けばいいかわかんなくなったら訊けばいいよ。あでも、顎のとこにホクロがあって背ぇ低いのは山川っていうマジ最悪な奴だからそいつは避けた方がいい」

「ありがとうございます、色々と……」


 少年は深々と頭を下げ、中等部の校舎の方へ駆けていった。


 校舎前では、『花絵学園入学式』の看板の前で、生徒が保護者に写真を撮ってもらい、さらにはそのための列が出来ていた。早い時間帯に来たと思っていたが、そうでもなかったようだ。写真の邪魔にならないようにと体育館に向かっていると、背後から「紅葉ちゃん」と声がかかった。


 振り返ると、久しぶりに見る少女の姿があった。


 黒いブレザーと赤いクロスタイ。紅葉より少しだけ長いが、膝丈よりは確実に上のスカートは、中等部よりは少しだけ校則が緩い高等部に進学した嬉しさを表すようだった。可愛いというよりも綺麗といった方がしっくりくる顔立ちは、けれどもはにかんだ笑顔で子犬のような雰囲気を纏っている。


「あの、久しぶり」

「ん。髪切ったんだ」


 小鹿は、髪をさっぱりと切ったようだった。紅葉と同じくらい短くなっている。


「うん。でもお母さんは男の子みたいって」


 そう言って、小鹿が背後に視線をやった。校門の辺りに、焦げ茶色の髪の、物静かそうな女性が立っていた。彼女は紅葉と目が合うと、穏やかに微笑んで、小さく頭を下げた。


 入学式の朝に、お母さんと一緒に登校して、新品のブレザーを纏う。普通の女子高生の姿だ。短くなった髪の隙間から伸びる、二本のツノがなければ。


 ――オルティースは親のどっちかがその疾患だと五十パーセントで遺伝するから……母親にツノがないなら、父親がオルティース?


 もしくは、母親が自身のツノを切除しているかだろう。根治術ではなくまた生えてきてしまうらしいが、生活上の不便や外見を気にして切る者もいる。会釈を返しながらそんなことを思いつつ、紅葉は小鹿との会話に戻った。


「えー、いいじゃん。マジ楽っしょ洗うとき」

「そうそれ! すっごく楽! ドライヤーも!」

「あっなにこれ、裏っ側ちょっと刈り上げて……校則破ってやんの、一年のくせに生意気な」

「紅葉ちゃんもスカート相当短いじゃん」


 小鹿が口を押えてふふふ、と笑う。それから、辺りをきょろきょろと見回した。


「紅葉ちゃんのお母さんは?」

「うちは来てない。仕事」

「そうなの? 入学式なのに?」

「中学で来たしね。……そういやさぁ、クラス分けどうすんだろね。去年は中等部の三年のときのクラスのままだったらしいよ」

「えー……」


 他愛もない会話をしながら体育館に向かう。そこかしこで、親が子供の新一年生の撮影をしたり、友人同士で写真を撮り合っていた。


 ――「入学式なのに」?


 紅葉は、小鹿のその言葉に、彼女とその親の関係をなんとなく察した。入学式に親が来るのは当然のことと思っているような言い方――彼女の親は、行事ごとには必ず両親が来ていたということだろう。


 ――親からの愛が、確かに感じられた。


 紅葉はそのとき、自分の中に、安心に似た――けれども小鹿を想ってのことではない、なにか仄暗い気配を、心の内に感じた。


「……、不幸の背比べ……」


 ぽつりと呟く。小鹿が不思議そうな顔で、紅葉を見上げた。


「……なんでもない、どうでもいいこと」


 入学式は形式的なもので、感慨もなく終えた。


 小鹿の母が二人の写真を撮りたがったので、二人は体育館の後方で並んで撮影をした。しつこいほどに何枚も撮って、それから泣きそうな顔で、紅葉に「ありがとう」と柔らかく礼を言った。


 中等部と同じく、体育館の渡り廊下は校舎の一階に繋がっている。通路は屋根があるだけで、その下は窓や壁はなく空洞になっている。風のない日だった。クラス分けが気になって駆け足になる生徒たちに混じって、並んで歩く。


「ごめんね、お母さんが」


 小鹿が申し訳なさそうに言った。同じような写真を何枚も撮る彼女の母にうんざり気味だった紅葉のことを察しての台詞だろう。


「まあ、あと五年もしないで死ぬかもしれない娘の写真くらい残したいでしょ」

「ふふ」


 皮肉どころではない悪言とも取れる言葉を、何が面白いのか小鹿は嫋やかに笑う。


「心疾患が多いんだっけ、死因」

「みたい。なんか、カルシウムが心臓とか血管に関係してて……多すぎたりすると駄目なんだって。動脈の石灰化? よくわかんなかったけど、そういうのがちっちゃい頃から何度もあるから、心臓とかの血管が詰まって、ウッてなっちゃう」

「『ウッ』?」

「『ウッ』!」


 紅葉が心臓を抑えるポーズをする。


「あとは、やっぱり骨折かなぁ。背骨とか折れちゃったり。治そうにも栄養がツノに行っちゃうから、動けなくなっちゃうんだって」

「ふーん……」


 随分と他人事のように、と思った。


 校舎に入ると、階段の傍の壁にクラス分けの表が貼ってあった。


 二人して暫く自分の名前を探し――同時に、「あ」と声を上げる。


「同じクラス」

「ん」

「よろしくね紅葉ちゃん」

「マジテスト負けないから」

「それまだ言ってるの?」


 笑いながら二階に上がる。

 二人の背後で、数名の女子生徒が、小さな声で何事かを話していた。


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