友達になってほしいあの子



 先天性頭蓋骨角状突起症――別名オルティース症候群。


 名の通り、頭部から『角』のような突起物が生える先天的な遺伝疾患を、そう呼ぶ。


 患者数は五千人に一人ほど。道を歩いていれば一日の内に一人くらいは見かける。特徴として、最たるものである角の出現の他に、患者は体が弱く、個人差はあるが成長期の後半から激しい運動は不可能になる。『角が生える』という外見の特徴から差別的な問題が多く生じ、二〇二七年現在でも、その問題は解決していない。


 また――この疾患に有効な治療法は確立されておらず、


 一番長く生きた者は三十四歳になるが、患者のほとんどは二十歳前後で命を落とす。


《卒業生、答辞。角崎小鹿さん》


 三月半ば、まだ桜前線が東京まで歩を進めていない中、儀式的に修了式は開かれた。


 壇上に上がるツノを持った女子生徒を、紅葉はパイプ椅子に座って眺める。


《本日は、諸先生方並びに来賓各位の御臨席を賜り、盛大な卒業式を挙行していただき、私達卒業生一同、感謝の念で一杯です》


 可愛らしい声が、堅苦しく語り出す。大方先生と共に考えてもらったのだろう。書き出しの文章が、自分の原稿のものと全く一緒だった。


 小鹿は両親や教員や友人に対する礼を無難に述べ、それから、自分の話をし始めた。


《御覧の通り、私はオルティース症候群という疾患を持つ人の一人です。そんな私が卒業生の代表として選ばれたことには意味があると考えています。将来普通の生活は出来ないと母に説明され、私は何故自分だけが人よりも辛い思いをしなければいけないのかと苦悩し、一人きりで閉じこもる日々を送っていました。そんなとき、同級生の友人が私の辛さに寄り添ってくれました。私はそのとき、自分は一人ではないのだと気付くことが出来、今でも多くの友人に助けられています。この学校にも、転校してきたときに声をかけてくれた同級生がいます》


 彼女が語れば語る程、体育館のそこかしこから、小さく鼻を啜る音が聞こえる。中高一貫ではあるが卒業式という人生の節目となるシチュエーションも相まって、彼女の独白は生徒や保護者の涙腺を擽ったようだった。


 紅葉は不思議と、小鹿の言葉が酷く上滑りしているように感じた。砂漠に水を撒いても直ぐに乾いてしまうように、感情に触れるものがない。それはおそらく紅葉の無関心さと感受性の捻くれ方だけが理由ではなかっただろう。

小鹿は自分の半生を一通り述べ、そこから学んだこと、感じたことを伝えて、やはり最後は無難に感謝の言葉で締め括った。去年や一昨年より一回り大きな拍手の中、小鹿は壇上から下りた。


 その時彼女が、こちらを一瞥した気がした。

 校歌の斉唱が合図される。紅葉は、大して覚えていない校歌を、あやふやな歌詞で歌いだした。


 中等部のジャンパースカートとは今日でお別れだ。四月からはブレザーとクロスタイがこの学園の生徒の証となる。クラスメイトは教室でも校庭でも着納めだ、と言いたげに写真撮影をしていたが、紅葉は仲の良い友人と数度撮ってその場を離れた。


 両親は今日、どちらも仕事で来れていない。夜まで忙しいそうだ。親のいない時間帯に家でゆっくりしたかった紅葉は、早いところ帰ろうと鞄を持って教室を出ようとしたが、


「あ、ねえ。角崎さん来てない?」


 別クラスと思われる男子生徒に呼び止められる。


「いや、来てないけど」

「そっかぁ……、ありがと! こっちいないってー!」


 男子生徒は廊下で溜まっていた男女入り混じったグループに声をかけ、そちらに戻っていった。えー、という残念そうな声が上がる。


 写真を撮る約束でもしていたのだろうか。人気者なことだ――特に気にせず去ろうとしたとき、ふと思うことがあって、階段を一階分だけ降りる。


 廊下の掲示板に張られた連絡用紙の中に、どこかの大学の宣伝広告があった。ツノの生えた女性がペンキ塗れになって、顔を拭うポーズをしている。美術系の大学だろう。『個性は、力だ――』という煽り文句を横目に、人気のない二階の廊下の先へ向かった。


 そこにあったのは、美術室だ。中に入ると窓際に近付き、避難用の非常扉のドアノブに手をかける。すると、本来施錠されているはずの扉は、いとも簡単に開いた。


 校舎側面に取り付けられた外階段の、人一人分のスペースしかない踊り場。


 ――そこに、先客がいた。


「……えっ」


 彼女――小鹿は淡褐色の目を見開いて、耳に入ったイヤホンをゆっくりと外した。


「……おおう」


 と紅葉が声を漏らしたのは、彼女が予想外にそこにいたからではない。


 足だ。めちゃくちゃ足が開いている。スカートの中が見えそうなほど。しかも小鹿の脇にはお菓子の袋が複数散らばり、漫画が二冊積まれている。家でくつろぐにしてももう少し遠慮するだろうと言った有り様に思わず引いたのだ。


「――!」


 小鹿は紅葉の視線に気付いたようで、顔を赤くすると、ぱっと足を閉じ、お菓子と漫画を背に隠した。隠れきれてないが、そこは見逃してやることにする。


「な、なんでここが……?」

「いや、別に……」


 説明が面倒で省略することにしたが、紅葉がこの場所だろうと見当がついたのは、紅葉もよくここで一人になるからだ。


 体育館との連絡通路は一階にあり、三階の教室に戻るのであれば学校内の北側か南側の階段を使うことになる。南側に上がって、傍にあるトイレに寄る素振りをし、生徒の通りが途切れたことを確認してそのまま奥の美術室にいけば、鍵が壊れて常に開放されているこの階段に辿り着くことが出来る。校庭とは反対側に設置されているが景色がよく、暖かくなってきたこの季節ならば風も涼しく心地がいい。


 もし小鹿が一人になりたいと思っているなら、ここかもしれないと思った。


「……友達っぽいのが探してたけど」


 彼女を探す口実を口にする。本当は気紛れだ。いるかも知れないと思いつつこの外階段に行き、日が暮れるまでのんびりする予定だった。


 小鹿は、紅葉の言葉に残念そうに眉根を寄せてから、すぐに微笑を浮かべた。


「……わかった。教えてくれてありがとう、友永さん」

「うん。行くってことはそのお菓子食べていい?」

「え!? だ、駄目だよ!」


 小鹿の背中に隠されたポテトチップスとチョコレートの詰め合わせを指差すと、小鹿は慌てたように悲愴な声を上げて、首を横に振った。それからはっとしたように視線を上げると、おずおずとお菓子を差し出した。


「あ、いや……いいよ。私食べないから……」

「うそつけ。別に本気で言ったわけじゃないよ。つーか、行きたくないなら行かなくていいでしょ。今生の別れでもあるまいし」


 紅葉は小鹿の隣に腰を下ろし、手摺りに背を預け、行儀悪く階段に足を乗せた。


「……、」

「てか卒業式で延々写真撮るのダルくね。そういうの大事にしたい同士ならいいけどさぁ、正直そんな何回も撮んなくてもいいって思っちゃうんだよねー」

「……思い出だから……皆、撮りたいんだよ」

「ああ、角崎さんもそっち?」

「う、うん」


 小鹿は戸惑うように返事をしてから、チョコレートを一つ紅葉に差し出す。


 紅葉はそれを受け取らず、にっこりとした笑顔を小鹿に向けた。


「角崎さんって、けっこー嘘吐きなんだね」


 チョコレートを持った繊細な指が、ひくりと震えた。


 紅葉は足を引き寄せ、頬杖を突いて続ける。


「答辞、あれまじウケたわ。オルティース症候群患者としてなんたらとか……ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引用したのって山川先生の案? あれ書くだけに一冊読んだの? だとしたら真面目だなぁ。角崎さんああいうの普段読まないっしょ」


 紅葉の背に隠された漫画を一瞥する。


 さっと、小鹿の顔色が青くなる。差し出されたまま宙を彷徨っていたチョコレートをありがたく受け取り、紅葉は包装を破って口に放った。


「――あ……」


 小さな唇が、紅葉に何か言おうと薄く開かれる。


「ご、ごめんね、答辞……。急に私がやることになっちゃって……、本当は友永さんがやるはずだったのに……」

「え? ああいや、それは別に。内容がアレだったなって面白かったって話してるんだよ、今。で、どうなの。一冊読んだの? それともあの一文も山川の薦め?」


 小鹿はその問いに、しばし時間を要した。


 一分間の熟考の末――小鹿は、紅葉の傍ににじり寄って、紅葉に耳打ちした。


「……時間がなかったので……」

「ァっはは! じゃあ他のとこ読んで――」

「ない……。活字はちょっと、頭が痛くなる、から……」


 困ったような照れたような小鹿に、紅葉は腹を抱えて笑った。小鹿も釣られたようにはにかむ。笑顔が似合う可憐な顔立ちだが、実際は、不器用そうな笑顔しか出せないようだった。


 そのとき、小鹿の携帯端末に着信が入った。何気なく画面を覗き込むと、先程小鹿を探していたクラスメイトの内の一人のようだった。


 紅葉から見て、小鹿は自分と同じようにそこまで写真を撮ることが好きなように見えなかったが、もし行くのであれば、自分がいると置いていってしまうようで行き辛いのではないか。そんな考えと、これ以上ここにいる理由がないと思い、紅葉は画面を見つめたまま応答しない小鹿の横で立ち上がった。


「じゃ、あたしそろそろ行くわ。卒業おめでと。四月からまたよろしくね」


 鞄を肩に担いで背を向け、そのまま階段を下りようとしたときだった。


「あ、ま、待って!」


 背中に回った鞄がぐんっと重さを増す。思わず仰け反って後ろを見ると、小鹿が鞄を掴んでいた。


「なに?」

「あの……」


 小鹿の端末からは、未だに着信音が響いている。鞄を持つ腕を下ろして小鹿を見下ろすと、淡褐色の目の中に、緑の光を見付ける。


「……私、もう少し友永さんと話したい、かも……」


 なんとか聞き取れる程の声量だ。紅葉は、「なんで?」と返す。


「え……」

「引き留めるほど面白い話だった? 今」


 小鹿が戸惑ったように、紅葉の鞄から手を離した。


「ご――ごめん」

「や、怒ってるわけじゃなくて。……電話出ないの?」


 流行の曲のメロディが二人の間で流れ続けている。小鹿は、重ねられた戸惑いを瞳に浮かべて、それを持て余すようだった。メロディが一巡した頃――非常扉な向こうから、小鹿を探すクラスメイトの呼び声が、二人の耳に届いた。


「いたー?」

「いなーい」

「えー、角崎さん帰っちゃったのかなぁ」

「電話も出ないしねー」


 美術室の中まで探しに来ているのだろう。そちらを一瞥し、紅葉が再び小鹿に視線を移したとき――小鹿が、端末の画面を操作し、着信を切った。


 艶のある木の実のような瞳と、乾いた冬空のような瞳が、かち合う。


「……マックでも行く?」


 紅葉がぱっと目を見開き、うんと頷いた。


 花絵学園は都内にある有名な進学校で、中等部は通学の最中での寄り道を禁止している。だがもう卒業しただろうという理屈で、二人は最後に着用するであろうジャンパースカートの制服のまま、駅前のハンバーガー店に入った。


 四階建てのビル、店があるのは二階だ。窓際のカウンター席でシェイクを二人で啜る。紅葉はあまり校則を気にしないタチなので一年生のときから何度か買い食いをしていた――紅葉だけではなく、律儀に校則を守っている生徒は少数だった――が、小鹿はあまり寄り道の経験がないようで、注文に手間取っていた。小さな唇でまだ溶けきっていないシェイクを懸命に吸っている姿は小柄な体躯も相まって可愛らしいものだった。


 店に入ってすぐ、紅葉は周囲の視線に気付いた。通行人も店員も客も、小鹿の頭を見上げて、それからその仕草を隠すように直ぐに視線を外すか、あるいはそのまま呆然と見上げた。彼女のツノがそうさせていた。


「『夜と霧』は」


 小鹿から話す気配がなかったため、紅葉が先に口火を切る。


「キツイ話だけど、あたしらとは国も生き方も人生も違う人が書いた話だから、面白いよ。いつか読んでみると楽しめるかも」

「……好きなの?」

「いや全然。二度は読まない。つか暗い話は基本的に嫌いだし」


 ふふ、と小鹿が含み笑いをした。緊張と警戒を纏っていた彼女の体からは、いつの間にか力が抜けているようだった。それでも、自分からなにか語り出す気配はない。想像よりも内向的な性格なのかもしれなかった。


 口下手な人間は苦手だ。小鹿はうなじ辺りをかしかしと掻く。


「あー、あのさ。写真のこと色々言ったけど、あたしに言われて友達んとこ行き辛くなったんだったらごめんね」

「あ……ううん。あの子たちは、クラスメイトで……友達ってほど、友達じゃなくて……勉強教えたりしたくらいだったから」

「ふうん。『オルティースの人は頭が良い』から?」


 ストローにつけようとしていた小鹿の唇が、その直前で止まった。


「……そうだね」


 窓の下、駅前を歩く人々を見下ろしたまま、小鹿が微笑を浮かべて頷く。


 紅葉はストローに口をつけ、引きずり出すように中身を啜った。さっぱりとした甘さを飲み下すと、コツッと音を立てて、カップをカウンターに置いた。


「――角崎さんってなんでそんな嘘ばっか吐くわけ?」


 紅葉の言葉に、細い肩が小さく跳ねた。焦げ茶の髪が揺れ、その陰から、こちらを見る瞳。


「……、」

「オルティース症候群に知能や才能は関係しないでしょ。期末のときも天才型とか言われてんの否定しなかったよね。そう思われたいの?」


 小鹿は酷く面食らったように、目を丸くして紅葉を見詰める。カップを握る指には、結露が伝っている。


「い……いや……。え……」


 小指を濡らす水滴を親指で擦り取って、小鹿は細い声で、「調べたの?」と問う。


「ちゃんとした本が少なくてビビったけど」


 再びシェイクを啜ったとき。


 紅葉は――小鹿が纏う気配が変わったことに気が付いた。


 内向的で気弱そうで、困惑ばかりの小鹿が、先程まで紅葉は接していた相手だ。その彼女の目が、怜悧に細められた。


 ――言ってみろ。そう言われているようだった。


「……『オルティース症候群』は」カップの陰で、紅葉は開口する。「『角が生える病気』でも『遺伝的に天才型』であるわけでもない」

「……うん」

「簡単に言えば『先天性の骨粗鬆症』。遺伝子異常で頭蓋骨に生えたツノにカルシウムや栄養を取られて、体の方の骨密度が著しく低下する。個人差はあるけど成長期にツノは急成長し、以降、骨量は減る一方になる。くしゃみをしたり尻もちをついたりするだけで骨が折れるし、カルシウム濃度が正常じゃないと血管や心臓にも負担がかかる。だから体が弱いと称される。つまりあんたは――」

「見た目は十五歳、体はおばあちゃんの中学生」


 紅葉の言葉を、小鹿が引き継いだ。


 数年前のことだった。オルティース症候群患者が、宇宙飛行士として採用された。

身体的に障害のある者が宇宙飛行士という人類の最前線で働くことが認められたことは、非常にセンセーショナルなことだった。以来、メディアが同疾患患者の活躍を取り上げるようになる。オルティース症候群の野球選手。オルティース症候群の小説家。オルティース症候群の映画監督。オルティース症候群だったとされる、過去の偉人。やがて、世間でこう囁かれるようになった――「この疾患を持つ者は、才能に恵まれている」。


 ――天才。


 残酷な褒め言葉だ。悪気はなくても、当人の努力へ視線を向けていない。努力によって生じた結果をまるで、元々持ち合わせているもののように言う。


 紅葉は、自分の努力を誇っている。親に強制されて始めたものだったが、学んだ分だけ結果として返ってきたものは、自分に自信を与えた。だからそれを『天才』の二文字だけで片付けられたら、当然気分が悪い。


 だから小鹿が、疾患を理由に努力を蔑ろにされて怒らないことが理解出来ない。


「なんで嘘こいてんのか知らないけどさ、あたしはあんたに負けてマジで悔しかったよ。だからまあ、高校でもよろしくね。そのまま真摯に努力しててよ。それでまた一番になったら、気持ち良さそう」


 頬杖を突いて、灰色の目が挑発的に小鹿を見上げた。


「……友永さんは、……」


 小鹿が、何かを言いかけてやめた。二人の後ろで社会人らしき数人の男性が先程からちらちらとこちらに視線を送っている。紅葉には、小鹿が何を言いたかったのか、想像に容易かった。


「ツノのこととか、興味ないよ。あんたが短命だろうがなんだろうがね。自分じゃない奴が死んだってどうでもいいし。別にあんたに限らず、あんまり人に関心がないだけだから悪い意味で言ってるんじゃない。でもちょうど張り合いがなくて退屈してたから――あたしの退屈凌ぎになってくれたら嬉しいなってハナシ」


 結露が、カップを伝ってカウンターに小さく広がった。小鹿は考え込むように、その手元に視線をやる。


 窓の向こうは、既に夕焼けが薄く伸びていた。今から家に帰れば、紅葉の両親がちょうど帰宅する頃になるだろう。紅葉はカップの中身を飲みきり、席を立つ。小鹿もそれに続いた。


 店を出ると、雑踏が二人を出迎えた。そして、その半分ほどは、紅葉を一瞥していく。小さな子供がツノを指差したのを母親が咎め、へこりと頭が下げられた。


「友永さん」


 駅に向かう紅葉を、小鹿が呼び止めた。


「ん?」

「友永さんは……他人に興味がないの?」


 先程、紅葉自身が放った言葉だ。さすがに非情に聞こえただろうかと思いつつも、「うん」と頷く。


「自分が一番かわいいと思うよ。他はどうでもいいかなぁ」

「私も?」

「そりゃそうっしょ。ほぼ初対面なんだし。そこの通行人と違わないよ。あーでも、あたしのこと抜かして一位になったってのはマジに尊敬してるし、暫くはあんたを超すことを目標にしようと思ってるから、それが関心があるって呼べるならそうかも」


 紅葉の返答に、小鹿は、どこか目を輝かせて、前のめりになった。


 そして、やはり細い声で言った。


「それなら――私と、と、友達になってくれたり、しないかな」


 その要求には、流石の紅葉も面食らった。


 紅葉は自分の他人への姿勢が決して社交的ではないことを理解しているから、学校という社会では気安く言葉にしないようにしている。成り行きで話したことがあって受け入れてくれ者はほぼいない。中学一年生の時に「へえー、変わってるね」の一言で片づけた同級生が一人いたが、彼女は紅葉と同じくらい紅葉に興味がなかっただけだろう。


 人というのは普通、他人から関心を持たれたがるものだ。


「いいけど……なんで?」


 自分の何をもって友人になりたがるのか、紅葉は理解できない。

 内向的で気弱そう。そう感じていた小鹿という同級生だったが、それだけではないのかもしれない、と勘付き始めていた。


 小鹿は理由を言わなかった。ガムでも勘でいるようにもにょもにょと何かを言っていたが、紅葉はそれを追求する程小鹿の人間性に興味があるわけではなかった。友人になってなにか損するわけでもない。


「……じゃあ、四月からよろしくね、小鹿」


 気軽な気持ちだった。下の名前で呼ぶと、小鹿の肩が跳ねたのがわかった。


「う、うん、紅葉ちゃん」


 夕暮れによって引き延ばされた紅葉の影は、小鹿に被さっていた。

 笑っていたと思う。嬉しそうに、朗らかに、健やかに、祝福を受けたように。

 友人は、黒い影の中で、そのとき確かに微笑んだ。



 紅葉の生涯でたった一人しか存在しなかった友人は、笑顔の似合わない少女だった。



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