傍観者は愚痴る

猫之助

傍観者は愚痴る

 突然だが、非常に残念ながら、人は争い合う生き物である。


 すぎのこ村を更地に変えた『きのたけ戦争』は有名な話であるが、その他にも『アーモンド三国志』、『だんご大戦』、『コーラ戦争』、『牛丼抗争』などなど。

 人の業とは、留まるところを知らず、かくも身近なところにまで数多に火種が存在しているものである。

 

 これらからも解るとおり、人と人が真に解り合える。そのような未来がくると夢見るには、あまりに人は自分と違うものへの忌避感が強すぎた。

 悲しい真実だ。

 真実はいつも残酷である。

 出来うることならば、この悲しくも残酷な痛ましい真実が覆る。そんな未来が訪れることを願うばかりである。

 そう。

 できれば、いますぐに!

 ハリーアップ!?


 ……などと、つらつらと考えてしまうのも、目の前で争う二人の男がいるためだ。

 しかも私というこの中で唯一の女子がいるというのに、「私のために争わないで!」などと世迷言をいう余地もなく、この私をがっつり無視し、放置してくれてやがるわけである。泣くぞ、この野郎。

 

 そして何を言い争っているのかと言えば、各々が手にしたカップ麺の優劣を論ずるという人の愚かさにしてエゴ。――即ち、ここが『赤いきつね』と『緑のたぬき』のによる『きつねとたぬきの大戦争』、その局地戦の真っ只中ということである。

 衛生兵メディック! 頭の残念なこやつらをなんとかしてくれ!? 衛生へーいメディィィック!!


 ……失礼。

 私としたことが取り乱してしまった。

 

 それにしても……ホント、人って解り合えない悲しい生き物なのね。

 馬鹿らしい。

 確かに『赤いきつね』のおあげさんは美味しい。大変美味である。もちもちのうどんも良いものだ。

 そして『緑のたぬき』の天ぷらもさくさくで頂いても出汁を染み込ませても美味しい。「食べるときに音を立てるなんて」と西洋被れモドキなことを言う者もいるが、そばを「ずるり」と頂くのも良い。郷に入っては郷に従えと言うものである。


 ぶっちゃけ両者、甲乙着けがたいと私などは思う。どちらも味わいたいとき、楽しみたいときに食せばいいではないかと思うのだ。

 蝙蝠女と言われても構わない。どちらも好きに食べればいいじゃないか。


 うどんがなければ、そばを食べればいいじゃないか。

 そばがなければ、うどんを食べればいいじゃないか。

 どちらもなければ、ラーメンでもいいぞ。

 なんなら、素麺に冷麦だってあるってものだ。ヘイヘーイ!

 

 それだと言うのに、私の前で言い争うこの愚かな二人の男は、『関東』なら『そば』、『関西』なら『うどん』と別けるくらいには、自分の主張を曲げず、相手より自身の選んだカップ麺が優れていると譲らぬままである。

 視野狭窄とはこのことだろう。

 馬鹿め。

 杓子定規で愚かだと言わざるおえない。

 もう一度言おう。

 馬鹿め!


 馬鹿二人を眺めるのも飽きてきたところだしと、私は手にした割り箸を口に咥えて『パチリ』と割る。

 

 ああ、余談だが、私は関西出身だ。

 しかし、『うどん』より『そば』が好きだ。『そば』の方が『うどん』より食べ慣れているとすら言える。

 うむ。いい香りだ。


 まあ、何が言いたいかといえば、

 

「『紺のきつね』が美味しい」

 

 と、いうことである。

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