✤ 10 ✤ 日下部くんの名前


 そして、そのあとは、会計を終わらせ、私は荷物を自転車に乗せた。……のはいいんだけど。


「ごめんね、日下部くさかべくん。迷惑ばっかりかけて!」


 早足で家に向かう途中、私は申し訳なさそうに、日下部くんに謝る。


 隣にいる日下部くんは、今、私の代わりに自転車を押してくれてる。


 実は、ちょっと買いすぎちゃって、見かねた日下部くんが、手伝ってくれることになった。


 だって、オムツにおしりふきに、ミルクの缶。そして哺乳瓶に、哺乳瓶の消毒セット一式と、赤ちゃんの服が数枚。


 ベビー用品って、思ったよりかさばるものが多くて、自転車に乗り切らなくなっちゃったんだもの!


「次からは、もっと計画的に買い物しろよ」


「う、ごもっともで! でも、私だって、こんなに買い込むことになるとは思ってなかったんだもん!」


「だいたい、赤ちゃんを預かるのに、ミルクもオムツも用意してないって、どういうことだよ」


「し、仕方ないでしょ! 本当に急だったんだから!」


 学校から帰ったら、天井から降って来ましたなんて言えるわけないし、とっさに親戚から預かることになったと嘘をついた。


 でも、なんだかんだいいながら、私が自転車の前で困っていたら声をかけてくれたし、この大量の荷物も、重いし危ないからって、押すのを変わってくれた。


 おかげで、私の手には、軽いオムツの袋が二つあるだけ。


 学校ではクールな感じだったから、ちょっと冷たい印象を持っていたけど、日下部くんって、案外、優しい人だったんだなぁ。


「ねぇ、日下部くんて、よくベビーショップに行くの?」


 何も話さないのもあれだし、日下部くんに話しかけてみる。すると日下部くんは、嫌がりもせず


「別に、よくってわけじゃ。たまに、おつかいを頼まれた時に行くくらい」


「そうなんだ。親の手伝いなんて、偉いねー」


「別に偉くねーよ。おつかいに行ったら、ゲームの時間、増やしていいって言うし」


「え!? ゲームのため!?」


「他になにがあるんだよ」


 平然と言いのけた日下部くんには、ちょっと笑っちゃった。でも、仮にゲームのためだったとしても、親は助かってるんじゃないかな?


 それに、四人兄弟の長男ってことは、一番上のお兄ちゃんてことだよね?


 私の買い物にも付き合ってくれたし、意外と面倒見がいいのかも? でも、あまり笑わないし、下の妹たちをあやしてる姿は、ちょっと想像できないなぁ。


「ふぎゃぁぁぁぁ~」

「──あ」


 カフェの前まで来れば、小さいけど、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。


「リュートくんだ!」

「早く行ってやれば」

「うん!」


 泣き声を聞いて、すごく心配になっちゃった。


 私は、すぐにカフェの裏に周り、玄関の鍵を開けた。日下部くんは、自転車を止めたあと、わざわざ荷物を玄関の中まで運んできてくれて、本当に、なにからなにまで、助けられてばっかり。


「ありがとう、日下部くん」


「いや。じゃぁ、俺はもう行くから」


「ママ!!」


 すると、そこに、二階からミアちゃんがやってきた。トタトタと階段を下りてきたミアちゃんは、帰ってきたばかりの私に、ぎゅっと抱きつく。


「ママ、おそいよ!」


「ご、ごめんね! でも、階段を走ったら危ないよ」


「それより、リュートがね、まったく泣き止まないの!」


「えぇ! でも、お父さんがいたでしょ!」


「じーじには、ムリだよ! いつもパパかママじゃないと泣きやまないもん!」


「そんな……っ」


 でも、そんなこと言ったら、本当のパパとママは、未来にいるわけでしょ?

 だったら、リュートくんを泣き止ませられる人は、いないってことじゃ。


「ままぁ……リュート、大丈夫かなぁ……っ」


 ミアちゃんが、不安そうな顔をして、私は、急に胸が苦しくなった。

 そうだよね。弟が、ずっと泣いてたら心配だよね?


「大丈夫だよ。きっと、お腹がすいて泣いてるだけだよ。すぐにミルクを」


 あ、でもミルクって、飲ませる前に、哺乳瓶を消毒しなきゃいけないんだっけ?

 さっき、日下部くんが言ってた。


 でも、消毒って、どのくらい時間がかかるの?

 もしかして、すぐにはあげられない?


「大丈夫か?」

「あ、えっと……っ」


 あたふたする私を見て、日下部くんが心配そうに見つめた。でも、これ以上、迷惑かけるわけにはいかないし。


「だ、大丈夫! あとは、私たちで何とかするから。日下部くんは、もう」


「パパ?」


「「え?」」


 だけど、そこにミアちゃんの声が響いて、私と日下部くんは、同時にミアちゃんを見つめる。


 すると、ミアちゃんは、大きな瞳を限界まで見ひらいて、傍に立つ日下部くんを、じっと見つめていた。


 そして、その瞳に、じわじわと涙があふれ出したかとおもえば


「パパだぁ!」

「わっ!?」


 なんと、いきなり、日下部くんに抱きついた!


「ちょ、ちょっと、ミアちゃん! 何やってるの!?」


「だって、パパだよ! ママ、パパを連れてきてくれたの!」


「パパじゃないから!」


 やめて! ホントやめて!

 いきなり、パパとか言われて、日下部くん、すごく困ってるよ!


 それに、ミアちゃんのパパは『トーマ』って人でしょ! 日下部くんの名前は………あれ? 日下部くん名前、なんだっけ?


「あ、あの、日下部くん……下の名前、何ていうの?」


 まさか──と思って、私は問いかけた。

 すると、日下部くんは


「名前は……柊真とうまだけど」


 と、柊真? とうま? トーマ!?


「ええええええええええぇぇぇぇ!!!」


 その瞬間、私は、思いっきり叫んだ。


 だって、名前が『柊真トウマ』ってことは、日下部くんは本当に、ミアちゃんとリュートくんのパパってことじゃない!


 それに、驚いたのは、それだけじゃない!


 日下部くんがパパで、私がママってことは、20年後の私たちは、結婚してるってことじゃない!?

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