第19話 叡山焼き討ちは、だれの罪か

 元亀二年九月十二日、信長は比叡山延暦寺を三万の兵で焼き討ちするため、その山下さんげに三万人の兵を配した。足軽雑兵らが手に手に松明たいまつを持ち、放火の準備をととのえていた。

 これを察知した叡山側は、あわてて信長に拝謁はいえつを求めた。

「なにとぞ、なにとぞ、思いとどまりくだされ。はるけき昔より、当山は皇城鎮護の寺であり、信仰の聖なる御山おやま。もし、焼き討ちすれば、仏罰が当たり、必ずや地獄に堕ちましょうぞ」

 この必死の訴えに、信長は冷たく応えた。

「地獄なんぞ果たしてあるのであろうか。極楽もまたしかり」

 信長の冷笑に、使者となった僧は「これは道理では説得できぬ」と、黄金の判金三百枚を吉野桧よしのひのき三宝さんぽうにのせて差し出した。

 その刹那、信長は三宝を蹴り飛ばし、太刀を抜いた。

「ヒエーッ、ヒエッ、ヒエーッ」

 使いの僧は、悲鳴をあげて信長の前からい逃れた。

 直後、信長が抜き身の太刀を振りかざして下知した。

「者ども、かかれいっ」

 三万の兵は、悪鬼羅刹らせつのごとく不気味な喊声かんせいをあげて叡山へ雪崩なだれ込み、僧俗、女子供を問わず、数千人の首を刎ねた。完全に虐殺である。

 ところが、朝廷はこの暴虐ぶりを見て見ぬふりをした。

 なぜか――。 

 それは、延暦寺の横暴に辟易へきえきとしていたからであった。 

 延暦寺座主ざす覚恕かくじょは、正親町おうぎまち天皇の異母弟とも、異母兄ともいわれる。だが、その覚恕の門跡もんぜき権威のもとで、叡山は広大な寺領(荘園)からもたらされる富を背景に、高利貸しを行い、貧乏公家をはじめ、庶民を食いものにしていた。

 御所の修繕を頼んでも、びた一文出さない。しかも、人買いをして、女は近江坂本の売春宿で働かせ、男や子供は奴隷のようにこき使っていたのだから、朝廷が眉をしかめるのは当然であった。

 ちなみに、このとき明智光秀が叡山焼き討ちに対して異を唱えたなどという小説やドラマがあるが、まったくの嘘っぱちである。

 光秀は信長に足利幕府を再興してもらうために、完全なイエスマンとしてこの焼き討ちに積極的に関与した。叡山攻めに最も多くの軍勢を出したのは、光秀であった。

 その戦功により、叡山の堂塔伽藍どうとうがらん灰燼かいじんに帰したあと、光秀は延暦寺の最大の拠点である坂本に城を築き、延暦寺が保有していた大半の土地を信長からさずかっているのだ。

 叡山が攻撃されたとき、覚恕は運よく洛中にいて難を逃れた。だが、信長軍に見つかれば、命はないどころか、なぶり殺しの憂き目にあうであろう。

 覚恕は、甲斐の武田信玄を頼って落ち延び、信玄に訴えた。

「わが叡山を灰にするとは、まさに天魔悪鬼のしわざ。仏道にそむき、悪行を重ねる信長を討つべし」

 翌年、信玄のもとに、足利義昭からも「信長討伐」の御内書が届いた。この頃、義昭と信長は完全に反目し合っていた。

 ――信長を討って、幕府を再興する。

 信玄は上洛の軍を挙げる決意をした。戦国最強といわれた武田軍の西上せいじょう作戦がはじまろうとしていた。

 

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