第20話 信玄、甲斐を出陣す
義昭は諸国の大名に「信長討伐」の御内書を送り、信長包囲網を次第にせばめつつあった。これを後押ししたのが、
近衛前久は本願寺、浅井、朝倉、三好三人衆を結びつけ、将軍義昭同様、信玄に上洛をうながした。さらに、三好
義昭と近衛前久から上洛をうながされ、信玄は
武田軍はまたたく間に
この状況を見て、足利義昭が二条御所で兵を挙げた。信長打倒の挙兵であることはいうまでもない。
東からは戦国最強の武田軍が迫ってくる。信長はまたしても四面楚歌、絶体絶命の窮地に陥ったのである。
この状況を打開する方法はただひとつ、義昭と和議を結ぶということに尽きた。将軍と和議を結べば、武田や朝倉は旗頭を失い、合戦の大義名分を失うことになる。信長包囲網を切り崩し、瓦解させる作戦であった。
信長は
ところが、義昭はこれを拒絶した。
「またもや子供だましの手を使うか。信長めの申す和議など信用ならぬ。あ奴と刺し違えても断固、戦う」
義昭にしては、精一杯の覚悟を示したことになる。
信長はこれに対し、上洛して二条御所を大軍で包囲し、
柴田勝家が進言した。
「二条御所を落とすなど赤子の手をひねるようなもの。
信長が薄い唇を歪めた。
「
「ハァ?」
「考えてもみよ。もし、ここでまかり間違って公方が死ねば、われは将軍殺しの悪逆人となる。さすれば、天下の謀叛人となり、上杉謙信、毛利元就らはもとより、日ノ本六十余州の大小名を敵にまわすことになりかねぬではないか。命がいくらっても足りぬわ」
そこで信長は最後の手を繰り出した。
以前にも使った朝廷に和議の勅命を出させるという方法である。天皇の和議勅命さえ出れば、それに反した者は逆賊となる。逆賊となった義昭を討つのなら、問題はない。足利幕府を倒す大義名分が得られることになるのだ。
しかし、朝廷もまんざら馬鹿ではない。
公卿たちは、
「二年前、勅命和議となったにもかかわらず、信長はすぐそれを
と、
それを聞いた信長は、「では、おどしてみるか」と、まず洛外に放火し、次に
燃え
叡山を焼き討ちし、数千人を虐殺した段階で、信長の中で自制心の
叱ってくれる父親はとうに死んだ。切々と諫言してくれた
信長の暴走を止める
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