第16話 愚劣なこの世をぶっ壊す

 信長は六万の大軍をひきいて電光石火、上洛の途についた。

 案の定、南近江守護の六角承禎じょうていは、名門たる近江源氏の名にかけて、自領を一歩も通さぬとばかりに立ちはだかった。

 これを鎧袖一触がいしゅういっしょくで討ち破った信長は、永禄十一年九月、足利義昭を奉じて入京した。

 無論、将軍義栄よしひでを奉じる三好三人衆も、俄然がぜん抵抗した。三好長慶以来、畿内の覇権は三好家のものであった。それを、たかが尾張の田舎大名に渡せようか。

 しかし、三好三人衆は松永弾正だんじょう久秀との長い内輪揉うちわもめで消耗し、戦力・戦費とも信長より劣っていた。意地だけでは、信長軍の猛攻を支えきれるはずもなく、敗退に次ぐ敗退を重ねた。

 しかも、折も折、将軍義栄が背中にれ物をわずらって病死した。将軍宣下せんげを受けてから、わずか七カ月であった。

 一方、義昭は義栄死後、まもなくして征夷大将軍に任じられ、正親町おおぎまち天皇に御礼おんれい言上のために参内さんだいした。

 ところが、従三位じゅさんみはおろか、いかなるくらいももたぬ信長は、この義昭参内に同行できなかった。

 信長は、義昭を将軍に就けた最大の功労者でありながら、参内さえ許されないという現実に直面し、内心激しく憤った。

 ――下らぬ。愚劣きわまるこの世をぶっ壊してやる!

 幕府も寺社の権益もすべて破壊して、世の中を刷新してやる。理屈に合わぬこの世の道理すべてをわれが正してやる。見てるがよい、と信長は決意した。

 その不機嫌な信長を見て、義昭がおずおずと申し出る。

上総介かずさのすけ(信長)どの、これまで大儀であった。その労に報いるため、いかがであろう。そなたには副将軍になってもらいたいと考えておるのじゃが……」

 言下に、信長はこの申し出を拒絶した。

「この三郎は無位無官で結構でございまする」

 足利家の血筋の上にあぐらをかいている、こんな凡愚の男の風下かざしもに立つ気など信長にはさらさらない。ただ将軍という飾り物、傀儡かいらいとして機能してくれれば十分であった。

 天下布武をめざす信長は、義昭なんかに構っていられない。

 尾張、美濃、伊勢に睨みをきかせるためにも、その頃、居城となっていた岐阜城へさっさと引き揚げた。

 その隙をついて、三好三人衆や美濃を追われた斎藤龍興たつおきらが、六条本國寺ほんごくじの仮御所にいた義昭を襲った。

 これを明智光秀、細川藤孝らが奮戦の上、追い払ったが、あやういところであった。

 急を聞いて、岐阜から入京した信長は、新たに二条にじょう御所を造営し、防禦ぼうぎょを固めた。

 信長は義昭を内心馬鹿にしていたが、天下布武のためには、まだまだ利用価値のある道具であった。その道具を失うわけにはいかない。 

 二条御所造営の陣頭指揮に当たっていた信長に、比叡山延暦寺から押領おうりょうした寺領を返してほしいという強硬な申し入れがあった。

 追放した六角承禎の所領である南近江には、延暦寺の所領が多数存在していた。延暦寺はその広大な所領を背景に、莫大な富をたくわえ、山法師と呼ばれる数千人の僧兵を擁していた。

 もちろん、近江の支配を重視する信長が、延暦寺の申し入れに応じるはずもない。どころか、信長は延暦寺に対して極度の不快感を抱いていた。

 延暦寺は山下さんげの坂本の町に売春宿まで設け、しかも山門さんもん内にも多数の商売女を引き入れ、僧の上下を問わず淫乱にふけっていた。

 ――破戒はかい坊主らめ。許せぬ。

 この怒りが、のちに起きる比叡山延暦寺焼き討ちの伏線となっていたのである。信長は権威を笠に着る、いかがわしい宗教が大嫌いであった。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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