第15話 大義はわれの手中にあり

 当時の戦国武将が上洛し、天下の権を握るためには大義名分が必要であった。将軍からの御内書を奉じてとか、幕府再興といった大義名分のある挙兵でなければ、たとえ上洛し、畿内の覇者となっても、よこしまな権力簒奪さんだつ者として、諸国の大名らから寄ってたかって攻撃を受け、いずれ破滅への道を歩まざるを得ないことになろう。

 とりわけ地方の田舎大名は、足利将軍家に対する尊崇そんすうの念が強く、これを無視するわけにはいかない。別して、越後の上杉家、甲斐の武田家などはこの傾向が強い。それらの大名を敵に回すことは愚策といえた。

 上洛の挙兵に際して、こうした問題に直面していた信長に、僥倖ぎょうこうがもたらされた。それをもたらしたのは、濃姫の従兄弟であり、朝倉義景あさくらよしかげの家臣となっていた明智光秀であった。

 光秀は、小笠原式の武家作法にのっとった所作しょさで、信長の前にしずしずと現れ、型どおり拝跪はいきした。どこから見ても非の打ちどころがない立ち居振る舞いであった。

 平伏したままの姿勢で光秀が言上する。

「先の将軍・足利義輝よしてるさまの弟君・義昭よしあきさまは、凶賊きょうぞく三好三人衆の手から逃れ、いま、越前一乗谷いちじょうだにの朝倉家にかくまわれておりまする」

「うむ。存じておる」

「その義昭さまは、朝倉家の力を借りて上洛し、阿波公方の義栄よしひで公を京の都から追放の上、みずから将軍の座につくことをのぞまれておりまする」

「で、あるか」

「ところが、義景公はいっこうに腰を上げる様子もなく、義昭さまはしびれを切らしておる有様ありさま

「つまり、われを頼ると申すか」

 このとき、はじめて光秀はゆっくりと頭を上げ、信長と目を合わせて言った。

「御意」

 信長は即座に足利義昭を推戴して、上洛することを決した。

 光秀との会見が終わりに差しかかった頃、信長は問うた。

「ときに、そなたは女房どのに恵まれておるらしいと聞く。そなたが、仕官の口を求めておった浪々の困窮時代、女房どのは長年たくわえた黒髪を切り、それを銭に替えて路銀を工面くめんしてくれたとか」

「どなたから、それを聞かれましたか」

「ふふっ、わが妻・濃姫が申しておった。まことか」

 ここで光秀は、つい口を言わでもがなのことを口にした。

「わが妻は、よくできた女子おなごでございまして、わが母以上に気がきまする」

 それは傍目はためから見れば、さりげない会話のように思えた。

 しかし、信長は打ちのめされた。母親から愛され、妻からも愛される男が目の前にいるのだ。しかも、控えめではあるが、おもてに満足げな笑みたたえている。

 信長は、この男がたとえ有能だとしても、生涯心を通わせることはないであろうと内心思わざるを得なかった。それは、われながら理不尽な感情とは気づいたが、自分でもどうしようもない感情であった。

 信長は土豪の冷や飯食いである次男坊、三男坊、そして木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)のように、生い立ちが恵まれない者にしかシンパシーを感じることができなかったのである。

 光秀のさかしらげな顔を見て、信長は冷然と言った。

「さがってよい」

 

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