第14話 天下取りは復讐である

 三郎信長は桶狭間で今川義元を討ち破った。  

 この戦国時代、通常なら父を討たれた男子はすぐさま仇討ちの兵を挙げねばならない。なのに、今川家の家督を継いだ義元嫡男の氏真うじざねは、その気振けぶりも見せなかった。

 今川家の氏真は惰弱だじゃくであった。乳母日傘おんばひがさで育ち、血なまぐさいことは嫌いというか、イチかバチかの合戦など思考の範疇はんちゅう外であった。

 これを見て、幼少から今川家の人質となり、長じては戦いの最前線に立たされつづけた松平元康もとやす(のちの徳川家康)は、桶狭間の合戦後、自領であった三河で独立を果たした。二年後、元康は信長と同盟を結んだ。

 東方からの脅威は除かれた。

 信長は西に目を向けた。

 上洛し、天下をうかがうためには、まず美濃を攻略せねばならない。

 当時、美濃一国は、信長の岳父であり、おのれの父である斎藤道三を攻め滅ぼした義興よしおきのものとなっていたが、その義興も前年に病死し、後を子の龍興たつおきが継いでいた。

 信長は美濃を攻めながら、着々と天下取りへの布石を打ちつづけていた。

 背後の武田信玄しんげんと同盟し、養女を信玄の子・勝頼かつよりに嫁がせている。さらに、妹のおいちの方を北近江の浅井長政あざいながまさに嫁がせ、長女の五徳ごとくを松平元康の嫡男・信康のぶやす輿入こしいれさせ、上洛へのうしろ固めを万全なものにした。 

 そして、永禄十年、ついに信長は斎藤龍興を追い、美濃を攻略した。さらに余勢を駆って北伊勢にも侵攻して、これを掌中しょうちゅうにおさめた。

 都合のいいことに、畿内の覇王はおう・三好長慶は、三年前に居城の飯盛山いいもりやま城で病死し、家督を継いだ三好義継よしつぐは青二才であった。

 この頃、尾張、美濃、北伊勢を領有し、松平元康と同盟した信長の最大動員兵力は六万を超えていた。しかも、北近江の浅井家とは同盟関係にある。いまなら天下を取れる、間違いなく取れる。

 ――とき、ついに至れり!

 信長は心の中で絶叫した。

 十九歳で天下を望んでから、十五年以上の歳月が経過していた。傾奇者かぶきものと侮られ、大うつけと蔑視べっしされ、母親からさえも粗暴者としてうとまれた。岳父の道三以外、だれからも理解されなかった男が、ついにここまで来たのだ。

 信長は二度、三度、心の中で叫んだ。

 ――見返してやる。すべての人間を見返してやる。

 ――人を見る目のなかった奴らは、おのれをじるがよい。

 信長は、叫びながら、この十五年の合戦のすべてが、愚物どもに対する復讐ふくしゅう戦であったことに思い至った。天下を取れば、その復讐戦は完結するのだ。完全無欠の復讐戦を遂げるためには、おのれの命をして、天下布武を遂行せねばならない。

 しかし、その信長にもひとつだけ大きな不安があった。それは、上洛軍六万の挙兵に対する正当性である。たとえ天下を武力で取っても、権力の卑賎ひせん簒奪さんだつ者とみなされ、朝廷から最高権力者として認められないという危惧きぐがあった。木曾義仲きそよしなかの二の舞は御免ごめんであった。

 さらに、である。

 このときの足利将軍は、三好家に推戴すいたいされた阿波公方あわくぼう・足利義栄よしひでであった。その義栄が、三好家に敵対し、畿内に覇を唱えようとする信長など認めるはずもない。足利家嫡流ちゃくりゅうの義栄にとって、信長など尾張の田舎大名であり、下賤げせんな成り上がり者にしかすぎないのだ。

 信長の上洛は、大義名分なき軽挙妄動けいきょもうどうそしられる可能性があったのだ。

 そうした不安と危惧を抱える信長の前に、一人の男があらわれた。帰蝶こと濃姫の従兄弟いとこ・明智光秀みつひでである。

 

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