第13話 わずか一刻で勝負はついた

 三郎信長は「かかれいっ!」と咆哮ほうこうした。

 その下知と同時に、長槍を構えた信長軍は、狭い谷道を穂先ほさきを揃えて今川軍に突っ込んだ。すでに豪雨はやんでいた。

 こうなると、槍の短い今川軍は太刀打ちできない。逃れようにも両側は切り立った崖である。しかも、雨で濡れていて足が滑り、とても上がれない。やむなく後方へ退がろうとすると、後続の部隊にぶつかり、収拾しゅうしゅうがつかない混乱状態になった。

 信長が再び叫んだ。

「鉄砲隊、前へ」

 鉄砲隊八百余の銃口から一斉に火が噴いた。その轟音に今川勢は恐怖にかられて戦うどころではない。しかも先頭付近にいた軍勢は、全員弾丸に当たって即死である。瀕死ひんしの重傷を負う者も多く、阿鼻叫喚あびきょうかん地獄となった。

 すかさず信長が騎馬隊をひきいて突っ込んだ。

 信長が大音声だいおんじょう呼号こごうする。

「尾張の大うつけ、見参!義元どのの御首級みしるし、頂戴する」

 折しもその頃、義元は旗本三百騎に守られて必死に逃げていた。しかし、信長軍とて逃すわけにはいかない。馬にむちを当て、飛ぶように追い討ちをかける。

 逃げる今川軍、追いすがる信長軍。義元の旗本たちは、次第に討ち取られ、五十騎ばかりとなった。万事休すである。

 こうなると、義元の旗本たちは、「もはやいかぬ」と逃げ腰になる。その隙をつくように、服部小平太が義元に斬りかかったが、義元の愛刀左文字さもんじが「小癪こしゃくな下郎め!」といわんばかりに一閃いっせんした。その瞬間、膝を斬られた小平太が倒れる。

 刹那、毛利新介が義元にのしかかるように飛びつき、自慢の剛刀で斬撃した。義元が「ヒエッ」と倒れた瞬間、新介は義元の首を刎ねた。鮮血が咽喉のどから噴き出す。

 新介があらん限りの声を放った。

「義元どのの首、討ち取ったり!」

 このとき、いまだひつじの刻であり、陽は天に輝いていた。正午からはじまった桶狭間の合戦は、午後二時には決着がついていたのである。今川軍の呆気ない敗北であった。

 ここから信長の怒涛どとうの進撃がはじまる。

 天下を取るためには、すべての邪魔者を討ち滅ぼす必要があるが、まずは、美濃、北伊勢などを攻略し、上洛への道を開かねばならなかった。

 最終的には、畿内で覇を唱えている最大の敵、三好長慶ひきいる三好党六万の軍勢を討ち倒さねばならない。

 信長はこれらの中・長期戦略を独りで考えて果断・迅速に実行した。その点が、信長の遺業を継いだ秀吉や、譜代家臣の意見を重んじた家康と決定的に異なるところであった。

 信長は自分以外、だれも信じていなかった。信じる必要もなかった。

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