第11話 桶狭間戦を前に身内を欺く

 知多郡に今川軍が攻め込んできたとき、三郎信長は斎藤道三の援軍を得て、これを敵の村木城を落城させた。しかし、伊勢湾に面した鳴海なるみ大高おおだかの城は今川に奪われた形となっていた。

 そもそも織田家は伊勢湾の水運や流通を押さえて、経済的な力をつけ、武力と勢威を伸ばしてきた。今川の手に落ちた鳴海、大高の両城を奪還せねば、織田家の権益が侵されかねない。

 つまり、交易による銭が稼げなくなるのだ。

 信長は鳴海城攻めに備えて、丹下たんげ砦、善照寺ぜんしょうじ砦を築き、大高城を攻略するためには丸根まるね砦、鷲津わしず砦を築いた。

 これに驚いたのが、今川義元である。

「大うつけと思うたが、なかなかやるわい。鳴海、大高を奪われてはならぬ。出陣じゃあ!」

 伊勢湾に進出し、交易で富を得ることを目論もくろんでいた義元は、即、兵を挙げた。その兵数、二万五千余。未曾有みぞうの大軍を編制したのである。

 この頃、今川家は駿河 遠江とおとうみ、三河の東海三カ国七十万石を領する大大名であった。しかも、源氏嫡流の名門で、足利宗家そうけ家督かとく継承権を有する特別な家柄であった。

 それだけに、たかが織田家相手に二万五千もの兵を挙げたと思われては、沽券こけんにかかわる問題であった。

 小田原の北条、甲斐の武田、越後の上杉などから、

「まだお若いのに、義元どのはすでに耄碌もうろくされたか。尾張のうつけ相手に、大軍を催したというぞ。ギャハハハッ」

 と、わらわれ、馬鹿にされかねない。

 そこで、見栄っ張りの義元は一計を講じた。

 将軍足利義輝よしてるからの招きにより、上洛の軍をおこすというれ込みで挙兵したのである。

 事実、将軍義輝から再三、今川義元宛に御内書ごないしょが送られてきていた。御内書の趣旨は「上洛し、傀儡かいらいおとしめる三好長慶みよしながよしを討ち、足利幕府再興のために力を尽くすべし」というものであった。

 当時、畿内は三好長慶の天下であった。

 義元はこれを利用し、あわよくば知多郡だけでなく、尾張一国を占領するために大軍を興したのである。

 二万五千余の大軍と聞いて、織田家の家老や重臣たちは血相を変えた。ついに織田家滅亡かと、だれもが思わざるを得なかった。

 なのに、信長は軍議の席上、とりとめのない雑談に終始した。

 あげく「もう夜も遅い。帰れ」と、能天気に言い放ったものだから、重臣らは陰で怒りをぶちまけた。

「やはり三郎さまは大うつけよ。この危急存亡ききゅうそんぼうの折、世間話ばかりするとは……ええいっ、益体やくたいもない。あの馬鹿たれでは、もうダメじゃ」

「そうよ。こうなれば、われらはわれらで生き残りの方策を考えねばならぬ。なんなら、今川方に寝返るという手もあるぞ」

 信長はこうした重臣らをはなから信じていなかった。皆の前で作戦を述べると、それを手土産てみやげに今川家に内通する者が、一人や二人は必ずいるはずであった。大うつけをよそおって、重臣全員をあざむいたのである。

 信長が頼りにするのは、みずから育て上げた悪ガキ仲間の親衛隊のみであった。

 一方、今川義元は、駿府を出陣して、鳴海城の東方一里のところにある沓掛くつかけ城に入った。

 信長の命は風前の灯火ともしびのように、はかなくゆらめいていた。

 




 

 

 


 

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