第7話 龍は龍の心を知る

 道三は三郎信長の長槍隊や鉄砲隊に驚愕の目をみはり、心の中で「手強てごわい」と唸った。しかし、「あのかぶいた変てこりんな姿で、わしと会見するなら、恥をかかせてやるわ」と、策略家らしい一計をめぐらせた。

 会見場所に指定した正徳寺に、古老の者八百人に肩衣かたぎぬ・袴姿で居並ばせ、自身も正装で迎えることにしたのである。そこへ、のこのこ傾奇者の姿で信長が登場すれば、赤面の至りに陥るはずであった。

 下剋上の梟雄きょうゆうたる道三らしい底意地の悪さであった。

 ――青二才め、困らせてやる。

 さしもの道三も信長を見くびっていたとしか思えない。だが、信長もまた道三をやり込めるための周到な準備を整えていたのだ。

 正徳寺の控えの間に入るなり、信長は小姓らに命じた。

「わが容儀ようぎを整えよ」

 小姓らは、寄ってたかって、用意した大紋だいもん入りの素襖すおうや、んの長袴を信長の身につけさせ、頭には折烏帽子おりえぼし、腰には白柄の見事な脇差を帯びさせた。信長の天性の容姿の美しさとあいまって、どこから見ても貴公子然とした豹変ひょうへんぶりであった。

 その美しくも堂々たる姿で、信長は道三と対した。

 道三はまたもや驚愕した。青二才にしてやられたのである。

 しかも、信長は道三と対しても、おくすることなく、じっと前を見据えて、ひと言も発しない。

 両者、まじまじと睨み合うこと暫時。

 ややあって、あまりの緊張感に耐えかねた道三の近習きんじゅうが、

「こちらが舅の道三さまにございまする」

 と、告げるや、信長がようやく言葉を発した。

「で、あるか」

 たいていの人間は、道三の鋭い眼で見据えられれば、瞬時にして気圧けおされるものだ。それが、信長は一片のひるみも見せず、余計なことを一切言わず、ましてや阿諛追従あゆついしょうの弁をろうすることもない。

 道三は信長の尋常ならざる器量を悟った。

 対面を終えたあと、道三は信長との別離わかれを惜しみ、二十町(約二キロ)も信長の馬とくつわを並べて見送った。

 美濃へと引き揚げる道三に、家臣の猪子いのこ平介が言った。

「道三さまの前で、憎々しげなあの態度。やはり、噂どおりの大たわけでございましたな」 

 道三が答えた。

「ふふっ、三郎どのが大たわけと申すか。もし、大たわけなら、なおさら無念じゃ。わが不肖ふしょうせがれたちが、いずれ大たわけの軍門に降ることが目に見えておるでな。あやつのような男が隣国におるとは、おそろしいことよ」

 一方、尾張へときびすを返す信長の目には、涙がにじんでいた。信長は信長で、はじめて他人に正当に評価されたと感じ取っていた。しかも、その相手は、美濃のマムシと称される岳父である。

 龍は龍の心を知り、虎は虎の胸のうちを知る。

 信長は指で人知れず目尻めじりをぬぐった。

 実の父信秀を亡くし、第二の父とも慕った傅役の平手政秀を自分のせいで自刃に追い込んだのだ。

 信長のさびしい心は、第三の父を得た喜びにふるえていた。

 そして、指で人知れず目尻めじりをぬぐい、独り馬上でつぶやいた。

「道三どの……向後こうごは、わが父として頼らせていただきまする」

 信長は頭上にひろがる碧空そらを仰いだ。すでに涙は乾いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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