第4話 第二の父親、死す

 父・信秀の急死により、三郎信長は織田家の家督を継いだが、信秀の残した勢力圏をいかに保持し、尾張一国をまとめあげるかという当面の課題に直面していた。

 まだ十九歳なのに、過酷な現実が刃のように目の前に突き出されていたのである。

 そんな折、わっぱの頃から父親のように慕っていた傅役もりやくの平手政秀が、突如、切腹して果てた。

 三郎信長の奇矯ききょうなる振る舞いをいさめるための自刃という。

 しかし、この諫死かんしには、伏線ふくせんがあった。

 政秀自刃の原因は、信長の無理無体なわがままにあったのである。信長の人の気持ちを考えぬ、否、考えようともしない粗暴さの結果と言ってもよい。

 政秀の嫡男・五郎右衛門は、家中のだれもがうらやむような駿馬しゅんめをもっていた。この馬を見た信長は、五郎右衛門に「ゆずってくれ」と言った。「ゆずってくれ」とは言い状、主筋の信長からの依頼ゆえに、ほぼ命令に近い。

 しかし、五郎右衛門は若年ながら骨のあるであった。

「三郎さまの馬好きは、重々存じ上げておりまする。なれど、武者にとって馬は戦場を馳せ、功名を立てるもの。何よりも大事なものゆえ、おゆずりするわけにはまいりませぬ」

 と、信長の強要ともいうべき依頼を断固、はね返したのである。

 これに信長は激怒した。

「主命を聞けぬか。ならば、お主は合戦に参じなくともよい。その駿馬も宝の持ちぐされとなろう」

 と、言い放ち、両者は、瞬時に太刀を交えんばかりとなった。

 明日をもしれぬ戦国の血は熱い。すぐ沸点に達する。

 この剣呑けんのんな雰囲気に割って入ったのが前田犬千代である。犬千代の柔和な人柄で、なんとかその場はおさまったものの、信長と五郎右衛門主従は決定的な不和に至り、そのはざまで政秀の苦悩は深まった。

 悍馬かんばたる信長の傅役もりやくとして、これまで必死につとめてきたつもりではあったが、もう限界であった。

 そこへ織田家の重臣らから、このような突き上げをくらった。

「三郎さまのあのかぶいたむさくるしいなりはともかく、仏前に抹香を投げつけるなど、織田家跡取りとして言語道断ごんごどうだん、あり得ぬこと。政秀どのは、三郎さまの傅役でありながら、いままでどのような教育をされてきたのか」

「おうっ、そうとも。しかも、おぬしの嫡男・五郎右衛門どのの大事な馬をねだっり、断られれば太刀に手をかけたというではないか。まさに、わがまま放題。おぬしが三郎さまを甘やかしたゆえに、このような目にあまる事態を招いたといえよう」

「いわば自業自得よ。政秀どのが傅役としてのつとめを怠ったばかりの因果応報。そうは思われぬか」

 政秀は追い詰められた。もはや道はひとつ。自決という手段による「諫言かんげん」であった。

 第二の父親というべき政秀を失い、信長は激しく後悔した。人の気持ちを考えずに、考えられずに突っ走る自分の性格を恨み、おのれをむち打つかのようにさいなんだ。

 しかし、後悔先に立たずである。

 ふと気がつけば、家臣らから冷たい視線が浴びせられるようになっていた。まずい。おのれの所業しょぎょうが招いた結果とはいえ、四面楚歌であった。

 弟の信行のぶゆきは、このときとばかりに林佐渡守らと結託し、信長から家督を奪い取るために、こそこそと蠢動しゅんどうしていた。

 生まれつき孤独であり、ゆえに孤独にはある程度の耐性ができていたとはいうものの、信長の胸のうちの寂寥感せきりょうかんは、ますます深まっていた。頼れる者が、悪ガキ時代からの仲間である小姓組や親衛隊だけでは、とても今川勢などの強敵に立ち向かえない。

 何か手を打たねば、裏切りが多発し、内乱は他国の侵略に直結する。一歩間違えれば、おのれの首が文字どおり飛ぶのだ。

 信長はヒリヒリするような焦燥感と不安のただなかにあった。



 

 

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