第3話 真の敵を見定める

 父・信秀の葬儀に、信長が現れたとき、萬松寺ばんしょうじの本堂に正装で居流れる重臣ら一同は、あっけに取られた。

 いつもながらの一重の湯帷子ゆかたびらを身にまとい、腰には火打ち袋やらひょうたんやらをぶら下げている。はかまもはかず、すねは丸出し。葬儀に参列するには、常軌を逸したなりである。

 しかも、焼香するどころか、何やら甲高くわめきながら、祭壇に抹香をハシッと投げつけたのであった。

 一同、驚きのあまり声もない。

 信長は仏前からきびすを返す瞬間、肩衣かたぎぬ・袴姿で端然と上座かみざに腰を据えた信行をジロリとにらんだ。

 それは、信長が愚物ぐぶつを見るときの身下げ果てたような視線であった。

 弟の信行も負けじと兄を睨み返した。

 その視線には、織田家の家督を継ぐためには、この兄の首を刎ねるしかあるまいという決意が秘められていた。

 お互いの目から殺気がほとばしり、冷たく宙でぶつかった。

 そこに居並んでいた重臣の林佐渡守、佐久間信盛、柴田勝家らは、このとき大うつけの信長では織田家はあやうい。信行の側について織田家を存続させるしかあるまいと、目を見交わしあった。

 ――織田家の大うつけ、父の葬儀で奇矯ききょうなる振舞い。

 この噂は、たちまち四隣しりんに流れた。秀信死後の一カ月後、鳴海なるみ城主の山口左馬助さまのすけ謀叛むほんを起こし、その四カ月後には清州城主の織田信友のぶともが信長打倒の兵を挙げた。

 左馬助も信友も、信長を大うつけと侮り、信秀という大きな障碍しょうがいが取り払われた今こそ、攻める好機と判断したのであった。しかも、いずれの挙兵も駿河の今川の力を後ろ楯としていた。

 信長はこれを自分の親衛隊を中心とする手勢で撃退したが、相次ぐ戦いで不良仲間ともいうべき家臣らの多くが討ち死にした。その悲報を聞くたびに、信長は周囲をはばかることなく号泣ごうきゅうした。

 ――三郎さまが泣いておられる。われらのために泣いておられる。

 小姓組を中心とする親衛隊のだれもが、このとき三郎信長こそわが命を賭けるべき主君と心中しんちゅう深く思いを決した。

 信長は多くの犠牲を払ったものの、今後、まず攻め滅ぼすべき相手をはっきりと視野におさめることができた。

 まず尾張第一の堅城たる清州城を手に入れ、次に家督を狙う弟の信行を殺し、さらに駿河の太守たいしゅ今川を滅ぼす。これが天下をめざす信長の当面の目標となったのである。

 そのためには、一歩たりとも後退あとずさりするわけにはいかない。もし、少しでも惰弱だじゃくな振る舞いをすれば、不良仲間の親衛隊からも見捨てられ、すべては虚しい泡沫うたかたとなろう。

 信長は自分を励ますがごとく叫んだ。

「われをうつけと侮るやからをすべて成敗し、この尾張一国を平らげ、ゆくゆくは天下を取る。者ども、われをゆめゆめ疑うことなかれ」

 十九歳の若き主君の雄叫おたけびに、暴れん坊の集まりである親衛隊は「うおおおーっ、うおおおーっ」と長槍を天にかざして幾度も繰り返し鯨波げいはをあげた。

 生まれ落ちたときから、信長は母親の愛を知らずに育った。ともに戦ってくれる仲間だけが、生死をともにしてくれる親衛隊といるときだけが、深い孤独を忘れさせてくれたのである。

 




 

 

 

  

 

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