第2話 葬儀も謀略戦のうち

 父・信秀が死んだと聞き、さしもの信長のおもてにも深いかげりがかれたが、それもつかの間であった。

 信長は急のをしらせた小平太に訊いた。

「して、葬儀は?」

「菩提寺の萬松寺ばんしょうじにて、五日後にり行うとのことでございます」

「ふん、ひと言もわれに相談なく、信行のぶゆきの家老どもが勝手に日取りを決めおったか。われもあなどられたものよ」

 信行とは信長の弟である。

 家中では、大うつけの信長より、折り目正しい信行こそ織田家の跡継ぎにふさわしいという声が前々からあがっていた。

 しかも、信行には織田家の本城ともいうべき末森城が与えられていた。信長の居城は、生まれ育った支城の那古野なごや城であった。

 加えて、である。

 信長は嫡男として育てられたため、生後一年にして母親から切り離され、乳母に育てられた。それに反し、弟の信行は、父信秀と母・土田どた御前の膝元ひざもとで何不自由なく育てられ、なかでも土田御前のかわいがりようは尋常ではなかったという。

 これに信長は激しく嫉妬し、憎悪の炎を燃やした。

 マザコン男でなくても、自分の生母は唯一無二の存在である。弟の信行は、その母親の愛情を一身に集めてめるように育てられ、かつ一部の重臣から織田家の跡目にまつりあげられようとしている。

 ――殺す。殺さねばならぬ。

 信長は弟を恨み、なんとしても排除せねばならないと思い定めていた。

 この当時の戦国の世では、母親から疎外された兄が、親の愛情を受けてぬくぬくと育った弟を殺すというパターンがしばしば見受けられる。

 たとえば、伊達政宗による弟・小次郎殺しがあげられる。小次郎もまた信行同様、実母・義姫よしひめのもとで育てられ、義姫は猫かわいがりのあまり小次郎を伊達家の家督かとくに据えようとした。

 さらに徳川三代将軍家光も母親のおごうの方に溺愛された弟・忠長ただなが自刃じじんに追い込んでいる。

 さて――。

 信長は、水の入った竹筒を差し出す前田犬千代(のちの利家としいえ)に言った。

「親父どのの葬儀では、われは喪主をつとめねばならぬ。なれど、そのようなことは大うつけのわれにふさわしい役目ではない」

 犬千代は立ち居振る舞いが涼やかで、面立ちが端正なことから、信長のいちばんお気に入りの小姓であった。

 犬千代が怪訝けげんそうな顔をして訊き返す。

「と、申されますと」

「せっかく大うつけの称号を奉ってもらっておるのじゃ。大うつけの名に恥じぬ振舞いをせねばなるまい」

「なるほど」

「さすれば、敵はやはり大うつけよと、油断して攻めかかってくるであろう。こんな阿呆あほうに織田家の命運をゆだねられようかとばかりに、信行の側について謀叛むほんを起こす者も現れるであろう。われに敵対する者をあぶり出すには、この葬儀を利用するにかず」

 犬千代は信長に謀略を打ち明けられ、内心おののいた。

 ――三郎さまは、底知れぬお方よ。

 その犬千代に、信長が命じた。

「敵がいつ何時攻めかかってくるやもしれぬ。いまから戦さの備えをしておけ」

 信長は領内の土豪の次男、三男を集めて、親衛隊ともいうべき暴れん坊集団を編成していた。それは、朱一色の鎧兜よろいかぶとをまとわせた赤備えの一隊であった。

 すべての手配りを終えて、信長は父・信秀の葬儀を利用した一世一代の謀略戦に取りかかった。




 

 

 

 

 



 

 

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