さびしい信長

海石榴

第1話 父の死はわが門出

 秋の澄んだ空の色が悲しいほどに目にみる。

 織田三郎信長は、長良川ながらがわの土手に座り、川向こうの西の空を見ていた。西には美濃みのの国がある。そこは、四年前に信長のもとに嫁いできた濃姫のうひめこと帰蝶きちょうの故郷であった。その美濃の先には京の都がある。

「つまらぬ。まったくもってつまらぬ」

 信長は柿を喰らいながら、独りごちた。

「三郎様、なにがつまらぬのでございますか」

 そう訊き返したのは、信長の小姓毛利新介もうりしんすけである。

 新介は織田家累代るいだいの家臣の家に生まれ、一年前から信長の小姓として近侍きんじしていた。当然、元服げんぷく前の身で前髪はいまだ落としていない。

「こんな尾張の片田舎で、朽ち果てるのは嫌だ。つまらぬ」

 信長は喰いかじった柿を荒々しく投げ捨てた。

 その柿の行方を目で追いながら、再び新介が問う。

「では、上洛し、天下でも取られますか」

「おうっ、取らいでか」

「しかし、その前に、まず尾張一国を平らげねばなりませぬ。道はるか、と存じまする」

「たしかに親父どののやり方では、道は遠く、京の都ははるか彼方に霞んでおる。されど、わしの代になれば違う。わしはわしのやり方でやる」

 当時、尾張の国は八郡にわかれ、その八郡のうち上四郡を岩倉城の織田伊勢守いせのかみ家が、下四郡を清州きよす城の織田大和守やまとのかみ家が治めていた。両家とも尾張守護斯波しば氏を主君と仰ぐ守護代家である。

 信長の父信秀は、織田大和守の三奉行の一人であったが、一代で尾張の織田一門をまとめあげ、美濃の斎藤道三さいとうどうさん駿河するが今川義元いまがわよしもとと覇を競うほどの実力者となっていた。

 その実力者の父とは違うやり方で、尾張どころか天下をも狙うというのである。これには、新介も内心驚かざるをえない。だが、果たして、そんなことが可能なのか。

 新介はおのれの気持ちを素直な言葉であらわした。

「お父上さまは、いまや押しも押されもせぬ尾張一の武将。そのやり方を上回る方法がありましょうか」

「ふふっ。ある」

「と、申されますと?」

「いちばん簡単なことは、すべてをぶっこわし、叩きつぶすことよ。手荒なことゆえ、嫌われ、憎まれ、さげすまれよう。大うつけとも言われよう。だが、しょせん人は人よ。なんとでもほざくがよい。行く手をはばむ邪魔者やら理屈に合わぬ事どもを、すべてぶっつぶし、きれいに片づけねば、わが道は開けぬ」

 信長が再び西の空を仰いだとき、彼方から一騎、土埃を巻き立てて駆けてくる者がいる。

 騎馬の若武者があらん限りの声で呼ばわる。

「三郎さまあああー。大変にござりまする。お父上さまが……お父上さまが!」

 それは、新介と同じ小姓組の服部小平太はっとりこへいたの声であった。

 小平太は、信長の前に至るや、まろび落ちるように下馬し、注進した。

「お父上の信秀さま、さきほど末森すえもり城にてご逝去あそばされました!」

「なにっ!」

 信長は驚愕の目をみはって、土手から立ち上がった。その姿は、とても城持ち大名のせがれとは思えない。丈の短い小袖をはおり、長柄ながつかの太刀を差し込んだ腰帯には、火打ち石やひょうたんを下げている。髪は茶筅に巻き立て、かぶきに傾いたなりであった。

 父の訃報ふほうを聞き、信長は土手の上でこぶしを振りあげて叫んだ。

「親父どのの馬鹿たれ。まだまだこれからというに。だが、案ずるでない。この三郎信長が親父どのの果たせなんだことを仕遂げてみせる。この世を血の海にしても、やってみせる」

 信長の孤独な戦いの日々は、このとき幕を切って落とされた。

 

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