第5話 たった一度の叱責
「……ねぇ」
馬車から離れしばらく。お互いに黙り込んだまま一言も話さず時間だけが過ぎていた。
もう何時間か歩いた先に、首都手前の最後の街が見えてくる。
少し気まずさを感じてはいたが、この空気に耐え切れなくなったのはアカネの方だった。
「……さっきの子は、知り合い?」
「人違いだって言ったろ?」
「でも、あなたのことを……アランバルド、って呼んでた」
「その、アランバルドって奴に似てたんだろ。俺にとっては知り合いでも何でもない」
全くの嘘である。
アカネには、俺がどんな人生を歩んできたか一切話したことはない。
当然、相方が別の名前で呼ばれては気になるだろう。
「なんか……悲しそうだったよ、あの子」
「そうか? 去り際に憎悪の視線を向けられたけど……」
「……私にはわからない。ジンがこれまで何をして、どんな人と関わってきたのか。同じパーティーなのに、知らないことの方が多い。……でも、それは私も一緒。あなたに話していないこと、いっぱいあるわ。だから、今は聞かない。私も同じなのに、私だけ聞くのは何だか不公平だから……」
「……そんな大層な人生、じゃないからな……」
「……嘘つき」
ムスッとした顔でそう言われても困るのだが。
実際大したことはない。
ただ親に捨てられ、危険な森の中で必死に生きていただけの事。こんな世界じゃよくある話だ。
それが貴族か平民か、という違いだけ。
俺にとっては、そこまで気に掛けるほどのものではない。
重苦しい空気を吹き飛ばすかのように、アカネが手を叩いた。
「はい! この話はこれでおしまい! 私の図書館を目前にして、うじうじしないでよねっ!」
「お前のではないからな。それと、まだ目前でもない。次の街を通って一日くらい歩いたら到着だ」
「えっ……まだそんなにかかるの……?」
愕然とした表情で項垂れる。
アカネは旅の途中、自分で地図を見ようとはしない。
まだかかると知ったアカネは、とぼとぼといじけたまま次の街まで歩いた。
テンションの落差が激しすぎて、見ていて飽きない。
アカネといると、退屈しないな。
◇◇◇
――望んだもの全てが手に入る。
ドレスも、宝石も、友人、果ては婚約者でさえも。
私が一言欲しいと言えば、両親は全て与えてくれた。
それを可能としていたのは、偏に父の才ゆえ。
伯爵家という家柄ながら、父は商才に長け、数々の事業を成功させてきた。
資金は潤沢。貯蓄は筆頭公爵家に匹敵するくらい。
「ここまでこれたのも、全て私を支えてくれた人が居るからさ。商売において最も貴重なのは人材だよ」
父は常々そう口にしていた。
その言葉通り、父の周囲には優秀な人で溢れていた。
その上、父は彼らの成果への報酬を惜しまない。
成果を為した者への報酬は、その成果と同等以上のものを。
そうすることで、父の下で働く人たちは皆より大きな成果を求め、力を尽くしていた。
そんな多忙な父だが、家族で過ごす時間を蔑ろにしたことは一度としてない。
私を含む五人の子供、二人の夫人を一番大切に愛してくれていた。
父は私たち家族の前では笑顔を絶やさず、優しかった。
よくふざけておかしなことを口にしては、二人の母に叱られているところを見ることもあった。
その時でも、父は申し訳なさそうに笑っていた。
だが、その父も怒るときはある。
優しい父に、たった一度だけ叱られたことがあった。
そう、あの時。
アランバルドがスターツ侯爵家からいなくなったあの日。
見たこともない憤怒の形相で、私の頬を叩いた父の姿を今でも覚えている。
「――お前は、何て馬鹿な事をしたんだ!?」
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