第4話 人違い
道理で馬車に見覚えがあるわけだ。
元婚約者の家紋など、何度も目にしている。
過去のしがらみや未練などは捨て去ったが、こうして目の前に現れるとやはり思い出してしまうものはある。
特にこの女の本性、だとか。
「やっぱり、アランよね? 生きていたなんて……信じられないわ。ずっと心配していたのよ。もう何年ぶりかしら。覚えている? ラニアステリアよ。あなたの婚約者だった」
人当たりの良い笑みを浮かべ、ラニアステリアが近寄ってくる。
外面が良いのは相変わらずのようだ。この女は人前では猫を被っている。
俺がそのことに気づいたのも、屋敷の離れに監禁されていたときだ。
他人と関わることすら規制されていたあの時、執事のジルドに無理を言って俺の下までやってきた。
薄汚れた格好で鎖に繋がれた俺を見て、ラニアステリアは嗤った。
「あっはは! 神童なんて言われていたのにこの様? 随分とみっともない姿。可笑しいわね。無様、滑稽、あまりに可哀想でむしろ泣けてくるわ。でも、あなたが悪いのよ? 女神さまの恩恵を受けられず、〝無職〟なんかになってしまったのだから。そんな男と婚約者だったなんて、恥ずかしくて表を歩けなくなってしまうじゃない。そういうわけだから、あなたとの婚約は白紙。最初からそんな約束、なかったことにしてもらったから。私たちはもう無関係。赤の他人よ。今後一切関わってこないでね」
そう一方的に告げ、ラニアステリアは去って行った。
今にして思えば、この女は神童と言われていた俺に媚びを売っていただけ。
ただ、注目を集め優越感に浸りたいだけ。
そんなことに気づけなかった俺も愚かだったが、人とはこうも取り繕えるのかと、愕然としたものだ。
簡単に人を信用してはならない。ある種の教訓として脳裏に刻み込まれている。
「……ジン?」
ボケっとしていると、アカネが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
そうだ。衝撃を受けはしたが、ラニアステリアと俺はすでに赤の他人。
そして、アランバルド・スターツはもう死んだんだ。
「アランバルド? どうしたの? あなたの声が聞きたいわ」
「――誰だそれ。人違いだろ」
「え……?」
強く否定すると、ラニアステリアは明らかに動揺した。
そもそも何のつもりで、この女は話しかけてきているのだろうか。
自分で関係性を否定したはずなのに。
「な、何を言っているの……? あなたは、アランバルド・スターツでしょう……?」
「俺はジンだ。ただのジン。アランバルドなんて男のことは知らない。通りすがりの冒険者に過ぎない」
「どうして、そんな嘘をつくの? 私はあなたの婚約者だったのよ?」
「知らないって言ってるだろ。俺たちは先を急いでいるんだ。これで失礼させてもらう」
これ以上話すことはない。その意を込めこの場から離れることにした。
護衛の騎士に一礼し、アカネを伴って先を目指す。
「待っていただきたい」
立ち去ろうとする背に騎士が声をかけてきた。
「貴殿らもこの先の首都を目指すのだろう? 良ければ我々と共に行かないだろうか?」
「……何故?」
「貴殿らも耳にしている通り、今首都は混乱の最中。この先にどんな危険が待っているか分からない。力ある冒険者がいてくれるのなら心強い」
そう云う騎士の視線はアカネに向けられていた。
力を借りたい、という以外にも何か含みのある不躾な視線。
その視線に感付いているアカネも、深い溜息を吐いていた。
負傷している騎士含め、護衛は二十人弱。
馬車三台の護衛としては十分だ。これ以上は必要ない。
正直、俺たちに益は無いだろう。
アカネも同意見らしく、後は俺に任せると言わんばかりに遠くの空に浮かぶ雲を眺めていた。
「護衛依頼ということなら冒険者としてはやぶさかではない。だが、生憎と他にも依頼を受けていてね。せっかくだが断らせてもらう。それと、依頼をするのであればギルドを経由してくれ」
「むっ。それは仕方がないことだな。では、そちらの魔法士の方だけで構わない。ぜひ我々と共に」
……話を聞いていたのだろうか?
アカネは呆れ顔で、騎士に云う。
「あんた、話聞いてた? 私たちは他に依頼を受けているの。あんたたちとは一緒に行けない。言葉の意味わかる? 脳筋も大概にしてよね」
「なっ……!? 騎士を愚弄するか!?」
「はぁ? めんどくさっ。ジン、行くわよ。こんな奴らに構っている余裕なんて、私たちにはないんだから」
アカネは魔杖に腰掛け、ピュ―っと飛んで行ってしまった。
勝手に行かないでほしい。せめて俺も一緒に……。
「あ、待ちたまえ!」
アカネの後を追い、制止する騎士の声を無視して駆け出す。
去り際に見た、ラニアステリアの表情が少し気になった。
何故、あんな憎悪に染まったような……。
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