第6話 〝人〟の価値
「……お、お父、様……?」
初めて受ける衝撃。初めて感じた痛み。
あまりのことに呆然としてしまう。
目を丸くした私を見た父は、ハッとして叩いていない私の頬に触れた。
「あ、ああ……す、すまないっ。熱くなってしまった。娘の顔を叩くなんて……。痛かっただろう? 父さんが悪かったよ……」
すぐに控えていた父の従者が濡れたタオルを持ってきて、赤くなった私の頬に当てた。
だが、父に叩かれた理由が分からずにいた。
何故父が怒っているのかも理解できない。
「……お父様。何故、お怒りなのですか……? 私、何かしてしまいましたか……?」
あれほど私を愛してくれていた父に嫌われてしまったのか。
そう思うと、自然と涙が溢れ出てくる。
涙を浮かべた私を見て、父はさらに大慌てで弁明する。
「お、おおお、怒ってないっ! 怒ってない……こともないけど……それ以上に、私はラニに聞きたいことがあるんだ」
父はいつもの優しい表情を浮かべ、諭すように訊ねてくる。
「執事長から聞いたよ。アランバルド君に会いに行ったんだってね。どうしてだい?」
「どうして……アランバルドが、どうしているのか気になって……」
「うん。それは悪くないよ。あちらから一方的に解消されたからとはいえ、二人は婚約者だったんだから。彼のことが心配になったのだろう?」
「心配……? いえ、私は彼がどんな顔をしているかが気になっただけですわ」
私の婚約者だった少年、アランバルド・スターツ。
歴史ある大家、スターツ侯爵家の次男にして、あらゆる分野で優秀であり、スターツ侯爵家の神童と言われていた少年。
見目も良く、柔らかな物腰で令嬢からの人気も高かった。
そんな彼が欲しいと思ったから、私は父に無理を言って婚約を結んでもらった。
しかし、そんな神童は先日の洗礼で女神様の恩恵を受けられなかった。
友人や家庭教師、あらゆる人たちが口々に言っていた。
人の価値とは、〝職業〟によって決まる。
より優秀な、より稀有な〝職業〟を女神様から賜ることこそが全て。
何も与えられなかったアランバルドに一切の価値などない。
婚約破棄は私にとって悪いことではない。
なのに、父はどうして困ったような表情をしているのだろう。
「ラニが彼と婚約したいと言っただろう? 何も思わないのかい?」
「? 何も思いません。恩恵無しの方と婚約しているだなんて、恥以外の何物でもないでしょう? フィニーシス伯爵家の名に傷がついてしまいますわ」
「……ラニ、それは本気で言っているのか?」
父の声音から優しさが失せた。
父を怖いと思ったことは、この時以来一度としてない。
何のことか分からずにいた自分は首を傾げるだけ。
父は首を横に振り、鋭い目つきで従者を見た。
「ラニの友人の情報、及び我が家で雇っている家庭教師の人柄と経歴、全てを洗い出せ。五時間で報告を上げろ」
「は、はいっ!」
従者は慌てて父の執務室から出て、屋敷内をかけていく。
数分後には、伯爵邸が騒然としだした。
父は私と視線を合わせると、厳格さを感じさせる表情で私を諭す。
「いいかい、ラニア。〝職業〟で人の価値が決まる。確かに、帝国内や他国にだってその風潮はある。だけどね、そんなもので人の価値なんて量れないんだ。こんな風潮は間違っている」
「え……でも、お父様はパーティーでそう……」
「それは処世術というものさ。上手に人と関わるための技術だ。本心から思ってはいない。――私の職業は何だか知っているかい?」
父の職業? そういえば聞いたことはないかもしれない。
「私は〝会計士〟。帳簿付けなどの事務仕事が少し得意な程度の職業さ。正直、こんなもの女神様の恩恵が無くたって、勉強すれば誰でもできる」
「で、でも……お父様は商才があると、色々な方が……」
「こんなもの、見よう見まねだよ。父は〝商士〟だった。商売人にとっては垂涎の職業さ。私も父のようになりたかった。しかし、私にはできない。だから、父の背中を追って努力し続けた。その努力があったからこそ、今の私がある」
父の大きな手が私の頭を優しく撫でる。
「女神様から与えられる〝職業〟は確かに物凄い力を持つものもある。しかし、それが全てじゃない。所詮、〝職業〟なんて一種の指標に過ぎないんだ。人の価値とは、その人の努力次第でいくらでも変えられる。他人の言葉が絶対に正しいなんてことはない。人の本質は、実際に自分の目で確かめるに限る。いつか、ラニにもわかってくれる日が来ることを願うよ」
◇◇◇
アランバルドが消えたと報告が入ったのは、翌日のことだった――…。
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