第5話 ハンキ

「――……ここは?」


 目を開けると知らない天井。いつの間に眠ったのだろうか。

 記憶が曖昧だ。眠る前は何を……。


「ああ、そうか……。俺は、助かったんだな……」


 熊の魔物の恐ろしさと父――アルフレッド・スターツの手紙を思い出した。

 家も家族も失い、未開拓の森の中に捨てられ魔物と遭遇し、無様に這いまわるように逃げた。

 帰る場所もない。俺を待つ人もいない。……姉? あれは別だ。

 こんなことならあのまま死んでいた方が良かったかもしれない。


 とは言え、今の状況も謎だ。

 果たして本当に助かったのかと疑問に思う。

 死後の世界、と言われた方が納得できる。それくらい平和な景色。

 体を起こそうとするも、激しい痛みで上手く動かせない。

 首を傾け、外の景色を見る。


 どこまでも広がっている青空は綺麗に澄み渡っている。

 獣の唸り声は聞こえないし、大木が視界を遮らない。

 子犬が数匹、庭を駆け回っている。なんとも和やかな光景。心が落ち着く。

 それに何よりも、世界が明るい。

 世界とはこんなにも眩しいものなのか、などと馬鹿なことを考える余裕くらいはあるみたいだ。

 肉の焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


 そう。ここは家だ。もちろん誰かが住んでいる。

 腕や体に巻かれた包帯は家主が巻いたのか?

 いや、それよりもこんなところに住んでいるなんて何者なんだ。

 家の主人の正体に頭を悩ませていると、近づいてくる足音が聞こえた。

 痛みで動けはしないが反射的に警戒する。


「起きたのか?」


 鍛え上げられ引き締まった体躯に、短く刈り揃えられた白髪。

 顔つきから父と同じくらいの年齢だろう。

 極東の小国で有名な「ユカタ」を纏い楽な恰好をした偉丈夫。

 額の右端に辛うじて判別できる大きさの角と、薄っすらと赤く染まった瞳がやけに印象的だった。


「まさか、こんなところにガキが入り込むとは思わなかった。んな痩せた体でよく生きていられたもんだ。ほら、粥だ。食え」


 男はそう言って俺の側に器を置いた。

 見たことのない白いドロドロとした料理だ。一体どこの……。

 再び体を起こそうとするが、やはり痛みで顔を顰める。


「怪我で体が痛いかもしれんが、我慢しろ。食わなきゃ治るもんも治らんからな。応急処置はしたが、治癒魔法なんてものは使えん。怪我が治るまではここに置いてやる」

「ぐっ……。あ、ありがとう、ございます。……あの、ここは一体……?」

「あの森の中さ。人が居ないこの森は俺にとっては住みやすい。まあ、結界で悪意あるもの以外は通さないようになってる。お前さんが通り抜けたってことは、悪いやつではないんだろうな」


 この男は人が嫌いなのだろうか。

 言葉の節々から人に対する嫌悪感が滲み出ている。


「それで、あなたは……?」


 そう訊ねると、男は少し考えるような素振りをした。


「……ああ、そうだな。俺のことは半鬼ハンキとでも呼んでくれ。森の中で隠居する鍛冶師の半鬼だ」




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