第4話 危険な森

 あてもなくふらふらと歩き出す。

 どこに向かえばいいか、何をすればいいか分からない。

 危険な森に捨てられた怒り、家族を失った悲しみ、差別意識の根付いた帝国への理不尽な憎しみが、俺の心の中で渦巻いてぐちゃぐちゃしている。


 ――視界の端に大きな獣の影。


 むしろ一周回って冷静になっているのかもしれない。

 心はぐちゃぐちゃしているのに、頭は酷く冷静で周りが良く見える。

 獣が過ぎ去るのを大木の陰で待っていると、足音が少しずつ遠くなっていく。


「はぁぁー……」


 木に背中を預け大きく息を吐いた。

 樹々で遮られているはいるが、すでに日は昇っている。

 隙間から差し込む陽光のおかげで、森の中も心なしか明るく感じる。

 数時間歩いているうちに、時折湧き水を見つけることもできた。

 水も確保できた。食料も食べられそうな木の実で何日かは凌げるだろう。

 問題は、獣及び魔物対策だ。

 護身用のまともな武器は持っていない。

 たまたま拾った錆びた鉄の棒があるくらいだ。

 こんなものでは、魔物どころか猪すら倒せないかもしれない。

 どうにかして生き残るためにはやはり武器が――……。


「……生き残ったって、どうするんだよ……」


 もうすでに帰る場所はない。それに帝国では俺の居場所すらないだろう。

 比較的差別意識の少ない隣の王国でも、〝無職〟は歓迎されない。

 そもそも帝国周辺の国々は、三女神教を国教としている。

 女神を信奉、それ以上に崇拝している人が多い。

 その中で、女神の恩恵を受けられなかった俺は異端扱いされるのでは?

 そんな懸念が頭を過る。


「……俺が何したって言うんだよ……っ」


 苛立ちが募り、足元に落ちていた小石を蹴り上げた。

 小石は樹々の隙間を縫って飛んでいき、何かにぶつかった。

 樹々の間から顔を出したのは、かなり大きな熊だった。


「まずいっ!?」


 サイズがおかしい!

 明らかに普通の熊より一回りは大きい。

 前脚の爪も長く、赤い瞳が俺を睨んで――まさか、魔物!?

 魔力を蓄えた獣が変質することで魔物となる、と以前本で読んだ覚えがある。

 特徴として、普通の獣よりも大きい体躯、そして血の如き真っ赤な眼。

 まさしく、今目の前にいる熊はその特徴と合致する。


 熊が大きな口を開け、高らかに吠えた。

 その声音から怒りを感じる。さっきの小石のせいか!


「くそっ……!」


 俺はなりふり構わず走り出した。

 これまで遭遇しないようにしていたのに……完全に失敗した。

 意外と何とかなるかもしれない、そんなことを考えていたさっきまでの自分を殴りたい。

 初めて魔物と対峙したが、あの迫力は俺の手に負えるものではなかった。

 ましてや、こんな鉄の棒一本でどうにかなるはずもない。

 足場の悪い獣道をただひたすら走る。

 まともに食事をしていないせいか、足に力が入らない。

 対して、俺を追いかける熊は、俺の腰回りよりも太い大木をなぎ倒しながら追いかけてくる。

 わざわざ木が障害物になるように逃げているのに、それすらも叶わないのか!?


 俺の真後ろまで迫った熊が前脚を振り上げた。

 本能的に危険を察知し、咄嗟に前方へ転がるように跳んだ。

 振り下ろされた熊の前脚が、地面を穿つ。

 直撃は避けたものの、強い衝撃に襲われ俺の小さな体は吹き飛ばされていく。


「ぐっ……――がはっ!?」


 熊から数十メートル離れた木に衝突。激しい痛みに襲われ意識が朦朧とする。

 だが、熊の視線はまだ俺を捉えている。倒れている場合ではない。

 痛む体を無理矢理起こし、無様に這うように逃げる。

 俺を逃がすまいと、熊が襲い掛かる――が、壁のような何かに阻まれた。


「……?」


 何が起きたのかと顔を上げると、景色ががらりと変わっていた。

 透き通るような青空、燦燦と照り付ける太陽。

 多種多様な野菜が育てられている菜園が広がり、その中心に平屋の建物。

 煙を上げる石造りの小屋からは、一定の間隔を刻む甲高い鉄を打つ音。

 死の気配が漂う不気味な森とは正反対の、とても平和な光景。

 夢でも見ているのかと疑うほどの変化。


「ここ、は……?」



 そこで、俺の意識は途絶えた――。




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