第3話 全てを失った日

 馬車に揺られること数日。

 その間、一切馬車から降ろされずジルドたちとの会話もない。

 その上食事もパンを手渡しされるため、目隠しすら外してもらえない状態が続いた。

 時間の感覚も食事の回数で判断するしかない。

 今はおそらく八日目くらいだろう。

 帝都の侯爵邸から馬車で約八日。スターツ侯爵領も半分は通り過ぎたと思う。

 今も馬車を走らせている。かなり遠くまで行くみたいだ。


「……なあ、どこに連れて行くんだ?」


 御者をしているジルドに声をかける。

 反応はない。

 恩恵を受けられなかっただけで、こうもあからさまに対応が変わるのか……。

 悲しく思っていると、突然馬車が止まった。


「着きました。降りなさい」

「……」


 使用人に目隠し等を外され、馬車から強引に降ろされる。

 態勢が崩れ、少しぬかるんだ地面に倒れ込んだ。

 優先すべきは場所の把握。周囲を見渡した。


「ここは……?」


 大木に囲まれた森の中。

 樹々の隙間から辛うじて見える空の暗い。時刻は夜みたいだ。

 しかし、生い茂る樹木のせいで月の光が届かない。

 鳥の鳴き声や獣の呻き声がより一層奇怪さを醸し出す。

 ジルドが淡々と説明し始めた。


「ここは帝国東端にある大森林――『鬼隠森おにがくれのもり』。帝国領土にある唯一の未開拓地です。かつて鬼が隠れ住んでいたという逸話からそう名付けられたそうです」

「……そんな森に俺を連れてきて何させるつもりだ?」

「――何も」

「は……?」

「我々はただ、あなたをここにお連れするよう旦那様に命じられただけです」


 ……意味が分からない。

 父が俺をここに? 理由もなく? これまで無様に監禁しておいて、今度は辺境の森の中とか、理解に苦しむ。

 一体何がしたいんだっ……!


「我々はこれで失礼させていただきます。では」

「は? 待てよ、ジルド。冗談だろ? 俺をここに置いて帰るのか?」

「……私の仕事は終わりました。帰るのは当たり前の事でしょう? それと――もうあなたにジルドと呼ばれる筋合いはありません。さようなら、アランバルド・スターツ」


 そう言って、ジルドは使用人を引き連れ馬車に乗って森の出口へと向かっていった。

 呆然と立ち尽くす。


「……何だよ、それ……おかしいだろ……っ」


 ふつふつと心の奥底から怒りが湧き上がる。

 その怒りは、俺を見捨てたジルドに対するものか、何も言わない父へのものか、はたまた何もできない自分に対するものか。

 暴れだしたい衝動を抑え、近くの木のもたれかかる。

 すると、ズボンのポケットに何か入っていることに気が付いた。

 一通の手紙。いつの間に入れられたのか。


『 アランバルド・スターツ。


 君には期待していただけに、残念だよ。酷い裏切りだ。

 君のおかげで私は笑い者だ。この屈辱、その身をもって償ってもらう。


 君はスターツ侯爵家から除名及び出生記録から何まで全てを破棄した。

 君はもう私たちスターツ侯爵家の人間とは無関係だ。

 恥をさらす前にどこかで勝手に死んでくれ。


 ――二度と私たち家族の前に姿を現すな。


     アルフレッド・スターツ侯爵 』



「……ははは、何だよ……これ。全部……俺が悪いのか……? 女神の恩恵を受けられなかっただけで……? 〝職業〟がないだけで……? はははっ……はは……はぁ…………」


 もう笑うしかない。

 感じていた怒りも、悔しさも、全て消えた。

 俺の頬を滴が静かに伝う。




 そうして俺は






 アランバルド・スターツとして






 全てを失った――。




 ◇◇◇



「……よろしかったのですか?」

「何がだ?」


 森の中を走る馬車の中で、使用人がジルドに訊ねた。


「旦那様の命は、アランバルドを始末することです。なぜ生かしたままこんな森の中で……」

「ここには獰猛な獣の他、未発見の魔物も多数いる。そんな森で無職の男が生き残れるはずもない。わざわざ我らの手を汚す必要もないだろう」

「なるほど。その通りですね」

「旦那様には殺したと報告する。お前たちもこのことは内密にな」

「かしこまりました」


 淡々と告げたジルドは、馬車の中から流れる森の景色をぼんやりと眺めた。

 その横顔が酷く悲し気で、人知れず頬を流れた滴に、気づいた者はいなかった。





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