第2話 一転

 あの洗礼の日から一週間。俺の日常は大きく変化した。

 まず、これまで与えられていた俺の部屋から私物が全て廃棄され、薄汚れた白いシャツとズボンという服装で、屋敷から少し離れた陽光すら届かない小さな小屋に押し込まれた。

 ご丁寧に俺の脚を鎖でつなぎ逃げられないようにして。

 どうやら父は俺を視界に入れたくもないらしい。差別意識がここまで酷いとは思ってもいなかった。


 俺が〝無職〟という噂は瞬く間に広まった。

 スターツ侯爵家の神童が〝無職〟というのは非常に体裁が悪い。

 たとえ忌避されていても、この帝国ではより良い〝職業〟を持っていることが全て。

 スターツ侯爵家は歴史ある大家。それも武において他と一線を画するほどの。

〝狂戦士〟という職業を得た弟の評価は鰻登りだ。

 そして、弟の望み通り立場は一転した。


 横柄な態度で使用人たちからも嫌厭されていたフェルは英雄扱い。

 対して〝無職〟の俺は、慕ってくれていたはずの使用人たちから鼻で笑われる始末。

 差別思想と言うのは、こうも人の認識を変化させるものだったのか。


 そうして小屋に閉じ込められてから、俺の下には最低限の食事と時折水を運んでくる者以外、誰も訪れることはなかった。

 真っ暗な小屋の中に一人、寂しいというよりむしろ惨めだ。

 あの日の父の冷たい眼と女神の言葉が気になって眠ることもままならない。

 女神はなんであんなことを……。


 女神の言葉の意味を考えていると、建付けの悪い扉が乱雑に開かれた。

 突然の光に目を細める。

 ずかずかと入ってきたのは小柄な少年の影。足音だけで誰か判別できる。

 隔離されて以降初めての家族の御来訪だ。


「ハッ! 随分と憐れな姿になったな。お兄様よぉ」

「……やあ、フェル。一週間ぶりだな。そっちは元気そうで何よりだ」

「気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇよ! この無職野郎!!」


 俺の顔をフェルが蹴り上げる。明らかに十歳の膂力ではない。

 これが女神の恩恵というやつか。


「がはっ……はぁ……はぁ……」

「俺の言葉通りになったなぁ。お前よりも良い職行を得て立場が逆転する、ってな。逆転どころか天と地ほど差もできたみたいだが!」


 そう言って弟は高らかに笑い声を上げる。

 そして倒れ伏す俺の体を踏みつけた。


「ぐぅ……っ」

「最高の気分だ。こうしてお前を見下せる日が来るなんてな。どうだ? 見下していた男に見下される気分は。悔しいか? 悲しいか? 苦しいか? どうした。何とか言ってみろよ!」

「うっ……!? ……弟を、見下したことなんて、ない……」

「っ……! お前のその善人ぶった面が一番気に入らねぇんだ!! お前がそんなだから、俺が、笑われるんだ!! 全部お前のせいだろうが!!」


 俺との接触は禁止されているだろうに、ここに来た理由は今までの鬱憤を晴らすためか。

 俺はただ、弟と仲良くしたかっただけだった。しかし、それが余計に傷つけていたのかもしれない。


「……悪、かった……」

「……ちっ。興醒めだな。つまらないよ、お前。いっそここでぶっ殺した方が、父上も喜ぶだろうな」


 そう言ってフェルは腰に提げていた短剣を抜いた。


「くたばれ、クソ野郎」

「――邪魔」


 突然現れた小柄な少女が、フェルを掴み小屋の外まで放り投げた。

 受け身も取れず地面に落ちたフェルは、すぐさま立ち上がり顔を真っ赤にして少女へ怒りの声を上げる。


「てめぇ! 何しやがる!?」

「邪魔なガキをどかしただけ。私が用があるのはアラン。うるさいガキはいらない。とっとと失せろ」


 冷たい声でそう言い、少女がフェルを睨む。

 フェルは体を震え上がらせ、逃げるように去って行く。


「私がいない間に、随分と酷いことになってる。アラン、どうしてこうなった?」

「根付いた差別思想の結果、だよ。久しぶりだね、姉さん。旅に出ていたんじゃ?」


 俺の姉――アリシア・スターツ。

 最上位職〝戦神〟を持つ、スターツの最高傑作。

 母親譲りの長く美しい黒髪を一つに束ね、弟の俺でも見惚れるほどの美人。

 世界を見ると言って父の反対を押し切り、家を飛び出した奔放者。


「アランと双子の顔を見るために帰ってきた。またすぐに出る」

「忙しいね。こんな姿を見せてしまって申し訳ないよ」

「この国の人間は視野が狭い。アラン――女神の声を聞いた?」

「っ!?」


 察しが良い。いや、姉も経験しているからわかるのか。

 誰にも言っていなかったのに。


「……ああ、聞いたよ。それでも尚、何も得られなかった。その程度の男だってことさ。女神も俺に呆れたんだろうね」

「アラン。考えることを止めたら人間はそこで終わり。世界は謎に満ちている。女神の意図も、きっと何かある。アランなら大丈夫」

「……姉さんは、俺を助けようとは思わないんだね」

「? そうしているのはアランの選択。私はアランの意思を尊重しただけ。それに……アランに私の助けは必要ない。いつか、私がアランに助けられる日が来ると思ってる。アランはできる子。自分を信じなさい。それじゃ」


 そう言い残し、姉は去って行った。

 俺があの姉を助ける? 何を馬鹿なことをっ。

 相変わらず姉の言葉は理解不能だ。

 姉の悪態を付き、痛む頬を抑え眠りについた。


 そして、街の喧騒が止み人が寝静まった夜半。

 数人の使用人を連れた老執事のジルドが俺の下へ訪れた。


「……こんな夜更けに何か用か、爺?」

「……アランバルド・スターツ。旦那様は決断されました。ついてきなさい」


 使用人が足の鎖を外し、俺を無理矢理立たせる。

 そして馬車に乗せられ、目と耳を塞がれた俺はどこかへと連れていかれた。






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