第1話 洗礼

 ――洗礼。


 この世界に生まれた子供は、十歳を迎えると聖堂教会にて洗礼を受ける。

 洗礼によって得られるものは、〝職業〟。

 与えれた〝職業〟によってそれぞれ異なる能力を扱えるようになる。

 平民も貴族も関係なく、平等に。

 俺の住む帝国は職業至上主義国家だ。〝職業〟次第でその人間の価値全てが決まる。

 たとえ平民だとしても、洗礼で有能な〝職業〟を得ることができれば近衛騎士になれる可能性すらある。

 よく言えば実力主義国家ともいえるが、見方によっては酷い差別思想でもある。

 まさに、子供たちにとっては人生の転機となり得るほどの重大事なのだ。


 一説では、争いの絶えない時代、我々人間の行いを見かねた秩序の女神が、施したまさに神の恩恵。

 だが、それは新たな基準が制定されただけに過ぎず、結局今もなお争い合う国は残っている。

 我々人間に変化がないことを悟った秩序の女神は、それ以降見守ることに徹し干渉することはなくなったそうだ。

 それでも洗礼という慣習は今なお続いている。一度与えたものを今さらなくすことはできないのだろう。

 俺はそう思っている。


 俺の前には、洗礼を受け一喜一憂する子供たちの姿があった。

〝職業〟は主に三つのランクに分けられる。

〝高位職業〟〝中位職業〟〝低位職業〟。どのように評価されるかは言わずもがな。

 稀に、〝最上位職業〟〝特殊職業〟を与えられる子供も現れる。

 確率的には数万人に一人、百年に一人と言われているほど。

 俺の姉がそのうちの一人だった。

 確かに姉の力は凄まじいものだ。他とは比べるのもおこがましいくらい差がありすぎる。

 しかし、その力を目の当たりにすると、憧れないわけにはいかない。

 自分もそんな〝職業〟を与えられれば……などと一度は考えた。


「俺は絶対に……良い職を受けるんだ」

「気持ちはわかるが、あまり気負うなよ」

「黙れ! お前に俺の気持ちがわかってたまるか!」


 フェルが声を荒げ指を突き付けてくる。


「俺は絶対にお前よりも良い職を得るんだ! そうすれば……そうすれば、俺とお前の立場は逆転する! 今に見ていろ! そのへらへらした面を歪ませてやるっ……!」


 フェルの俺に対する対抗意識は年々激しさを増す。

 兄弟で優劣など付けたくないのだが、俺の想いは届いてはくれないみたいだ。


「次の方、こちらへ」


 神官が俺たちへと視線を向けた。

 ついにフェルの番が来たようだ。

 弟は荒々しい足取りで神官の前まで行き、膝をついて祈りを捧げた。


「ほぉ、あれがフェルドナッド様ですか」

「スターツ侯爵家の御子息ですな」

「かの家は優秀な方が多いと聞きます。楽しみですな」


 周囲で見守っている貴族のささやきが耳に届く。

 いや、見守っているというよりも見定めていると言った方が正しいかもしれない。

 貴族は特に職業差別の思想が強い。

 ここでハズレ職と言われているものでも与えられでもしたら、変な噂が即座に広まることだろう。

 女神の意思に当たりはずれなどないと思うのだが、一度根付いた思想は簡単には消えない。

 そんなことを考えているうちに、フェルの洗礼が終わったようだ。


「あなたの〝職業〟は?」


 神官にそう問われると、フェルは笑みを浮かべて告げた。


「――〝狂戦士〟だ」


 聖堂内がざわつく。

 高位職業ではあり、戦場では驚異的な力を発揮することもある。

 だが、稀に理性を失い暴走する危険性も秘めている職業だ。

 素直に喜べないというのが、ギャラリーたちの感想だろう。

 当の弟は実に嬉しそうだった。


「……この力があれば俺は……」


 フェルは含み笑いを浮かべ、ざわつく聖堂から一人出ていった。

 ……少し心配だな。


「次の方、こちらへ」


 とうとう俺の番。フェルの心配をしている場合ではない。

 神官の下へ、ゆっくりと進んでいく。


「おお、あれは……」

「闇夜のような漆黒の髪。噂の神童」

「アランバルド・スターツ様ですな。佇まいからして別格ではありませんか」


 雑音が聞こえる。

 そんな大層な人間ではない。あまり持ち上げないでほしい。

 耳に届く貴族の声を無視し、膝をついて目を閉じた。

 ふと姉から聞いた話を思い出した。


『他の子たちはただ魂に〝職業〟が刻み込まれたのを感じただけ。私は違う。周囲の音が消え、いつの間にか何もない白い空間に立っていた。目の前には白い光を纏う美しい女性。たぶんあれが女神だったんだと思う。私は彼女の声と言葉を賜った。だから特別な力を得た。――アラン。覚えておきなさい。で人間の本質は決められない。たかが職業。人の価値は、自分で作り上げるのよ』


 あの時は良くわからなかった。今でも完全な理解には至っていない。

 俺も洗礼を受ければ、姉の言葉の意味が分かるのだろうか。


 ――気づけば周囲の音が消えていた。

 あれだけ騒がしかった声が無くなっている。

 何事かと目を開けると、何もない真っ白な空間がどこまでも広がっていた。


「これは……姉さんが言っていた……?」


 いつの間にか、俺の目の前には例えようのないほどの美女。

 その美しさを言葉に出来ない。ただ、美しい。魂がそう感じている。

 白い光を纏うその美女は、両手で優しく俺の頬に触れた。

 そして耳元で何かを呟いた。


『――――――』

「え……それってどういう――――」


 俺の言葉は彼女に届かず、喧騒が戻ってきた。

 呆然と辺りを見渡す。

 誰もが固唾を呑んで見守っている。

 事務的な神官の言葉が耳朶を打つ。


「あなたの〝職業〟は?」


 これを口にしていいのか。少し逡巡する。

 しかし、神官に嘘は付けない。

 意を決し口を開いた。


「……な、なにも」

「? それはどういう」

「……何も変化が、なかったです……」


 聖堂内が静まり返った。

 まさかの事態。歴史上初。女神から何も与えられなかった子供。

 それがまさか、神童と謳われたあのアランバルド・スターツだなんて。

 そんな驚きが伝播していく。

 ふと振り返り、後方で見守っていた父の顔を見た。


 

 初めて見る父の酷く冷めた眼が、俺の心に深く突き刺さった。





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