白黒猫は黒が多いほど素っ気ないという噂がある

筋肉痛隊長

白黒猫は黒が多いほど素っ気ないという噂がある

 どこかの町の駅近住宅地。小さな庭の物干しにシーツを干す、どこにでもいそうな中年の女の人がため息を吐いた。


 僕はその悲しそうな顔を見ると、胸がざわざわする。

 毛玉を飲み込んだみたいなこんな気分は、もう何度目だろう。


 大好きな『ママ』がいなくなって、随分経つ。

 しばらく僕もあの人たちも目が回るような時間を過ごした。あの人たちにとってもママは大切な人だったようだ。当然だ。

 訳が分からないままこの家に連れてこられて、落ち着いて考えられるようになったのは最近のことだ。


 待遇に不満がある訳じゃない。閉じ込められたりはしないし、ご飯はちゃんとくれるのだ、ご飯は。

 でも、僕はご飯を食べるだけで生きているんじゃない。

 あの人と、もう一人いる中年の男。どっちも僕を見ると何か言いたそうな顔をする。何を言っていいかわからない顔にも見える。

 しっぽをどっかに置き忘れてきたような顔だ。


 そう、僕は猫だ。知り合いは僕の外見をありふれた柄だと言う。

 ママは「白と黒のバランスが素晴らしい被毛だ」と、くしゃくしゃになるまで撫でてくれた。そんな時はママからハッカのような臭いがした。

 ママが褒めてくれたから、白と黒が同じだけある被毛は、僕の誇りだ。


 あの人たちもご飯をくれる点はママに近い個体と言える。でもあまり僕に近付いてこないし、話もしない。僕からも話しかける気にはなれなかった。

 決定的に何かが足りなく感じる。

 たまらず僕は庭を飛び出した。首輪に付いた小さな鈴が鳴る。

 去り際に見た女の人の顔はいっそう悲しそうで、僕は走る脚に余計力を込めたのだ。


   ***


 外に出て、どうしようかと考える。

 ここは駅前と呼ばれている辺りだ。気付けばいつもより遠出してしまったが、空には雲が多い。髭も重たいのでもうすぐ雨が降る。

 あの人が干した洗濯物は乾くだろうか?


 立ち止まって毛繕いしながら考える。

 雨を知らせに戻ろうか、と思ったが、もっと遠くへ行ってみたい。あの家から離れる程、ママに近付けるような気がしたのだ。


 そうだ、ママ。ママを探そう。いないなら探せばいいじゃないか。

 やはり毛繕いはいい。冷静になれる。

 僕は帰り道を背に線路沿いを歩き始めた。臭いと記憶が頼りだ。


 どのくらい歩いただろう。

 何度か物陰に入って雨をやり過ごしたり、眠ったりした。それでも寝足りないから、かなり歩いたと思う。

 ようやく元の町に帰ってきた。ここも『駅前』と呼ばれている。


 近くにはママが縄張りにしていた『年金』という大きな家がある。

 僕は駐車場の車の下からその様子を窺った。

 中には入るまでもない。ママがいるかどうかくらい、気配でわかるからだ。散歩中、ここにママの気配を見つけると、僕はママが出てくるのを待って一緒に帰ったものだ。

 だが今日はママの気配がない。他を当たろう。


 商店街のおいしそうな臭いも我慢して歩くと、『病院』という家がある。大きさは『年金』より小さくて、何よりここは臭いがひどい。

 でもママの縄張りの一つだから、僕はできるだけ近付いて気配を探る。

 ここにもいない。


 ママと僕の家まで、もうすぐだ。

 あの人たちの家より古くて小さいが、居心地のいい家。

 どのくらい帰っていなかったのか、ひどく懐かしい。あそこなら待っているだけでママは帰ってくるはずだ。

 思えば、どうして今までこうしなかったんだろう。

 何か理由があったはずだけど、思い出せない。

 連れ出された時の僕は、それくらい混乱していたのだ。


あれ? 家が、無い?


 道は……合っているはずだ。隣の家の庭に覚えがあるし、斜め向かいの犬は今日も頭が悪そうだ。トゲトゲの柵を立てた家は猫に厳しくて、嫌な臭いがする。

 でも家があったはずの場所はロープで囲われて、あるのは何かの立て札や土管などの少しの資材だけだ。


 やっぱり、ママと僕の家だけが無い。


 そう結論付けるまでに、僕は町内を五周もしてしまった。

 訳が分からない。

 途方に暮れているとまた雨が降り出したので、僕は仕方なくロープを潜って土管の中に入った。

 土管とは良い物だから、何か思いつくかもしれない。段ボール箱があればなお上等だ。


   ***


 ママに呼ばれた気がして目が覚めた。というか寝てた。もう雨は上がっている。

 ママの声は夢だったか、と気落ちしそうになる。

 でもなんだろう、夢にしてはハッキリしすぎていたし、実のところまだ呼ばれているような気がしている。耳を澄ませてもママの気配はしないのに。


 二回伸びをした後、僕は歩き出した。

 あっちの方から呼ばれている気がする。


 また随分と歩いて家と人の少ない場所まで来た。山の手前だ。

 気配はしないのに、ママの声は近くなったように感じる。


 家が少ない代わりに、ここには石がたくさんある。

 河原や砂利道よりも大きな石で、やけに四角いから人間が作ったものだ。人間は四角が好きだから。

 一つ選んで飛び乗ってみる。

 辺り一面に石がキッチリ並んでいて、町のようにも見える。けれど家の屋根から見る町よりもずっと灰色で、電線も土管も段ボール箱もなかった。


 ふと気になる石を見つけ、僕はそろりと近付いてみる。何が気になったかって、ママの声はここから聞こえていたのだ。

 それに気づいた途端、ママの声が止んだ。

 僕は慌てて石に前足をかける。ママの脚にしていたように、そのまま爪を伸ばして引っ張ってみる。話しかけてみる。

 でも石はびくともしないし、冷たいままだ。それに普通、石はしゃべらない。


 噛みついてやろうか、と思った時、人の気配を感じた。びくりとして思わず隠れる。

 どうして僕が隠れなきゃ……いや、あれはあの人たちだ。隠れて正解。

 きっと僕を捕まえに追ってきたにちがいない。


 もう一人いるのはお坊さんだ。

 僕はあまり出ないが、猫には集会がある。その会場によく使う『寺』を管理している人間がお坊さんだと聞いた。よじ登りやすそうな服を着ているから、すぐにわかる。

 今いるお坊さんは集会会場の人よりずっと若くて、笑顔なのに目つきが鋭かった。この人によじ登るのはいい考えじゃない。


 中年夫婦、つまりあの人たちはどんどんこっちに近付いて、ママの声がした石の前で止まった。

 ひょっとして、ここで猫の集会を開いて僕をおびき寄せるつもりだろうか?

 やめてくれ。

 ここはせっかくのママの手掛かりなのだ。荒らしてほしくない。

 その手に持っている小さな白い壺。そこに入っているのがマタタビであっても、今なら僕は屈しない。

 爪に力を入れると、話し声が聞こえてきた。男の人がお坊さんに頭を下げている。



「一周忌なのに、二日も遅れてしまって申し訳ありませんでした……」


「構いませんよ。故人……お義父様からすればもう一年も経っていますから、一日や二日など変わりません。それにご事情も理解しております」



 今度は女の人が小さな壺を見せて言う。ついに本題、ニセ集会の計画か。

 そういえば二人とも、今は黒い服を着ていた。僕が家を出てどのくらい経ったのだろう?



「この子の納骨お許しいただいて、本当にありがとうございます。この子が父の命日に逝ってしまった時は……父を二度亡くしたような気がして……」


 お坊さんは神妙に頷き、女の人が目をハンカチで押さえたので、僕は例の表情を見ずに済んだ。

 男の人がその肩を支えながら言う。



「元々この子も高齢でしたから、家内とは死んだら義父の墓に入れてやりたいと話していたんです。それが両方の供養になると。でも、本当は駄目なのでしょう?」


「宗教的には、まぁ多少。ですが法律で禁じられてるわけではありませんし。なにより故人と同じ日に旅立つ程のご縁です。ご一緒の方が喜ばれるでしょう」


「ありがとうございます。雨に濡れて帰ってきてからずっと調子が悪くて……でも一昨日まで頑張って生きてくれたんですよ。もう、その日に父さんが迎えにくるって、わかっていたみたいに……」



 女の人はしゃがみ込んで泣いてしまった。

 僕はつい、前に出る。隠れるなんて大人げないことをしたと反省する。僕の肉球を触ったら泣き止むかもしれない。

 泣かれるくらいなら家出なんてしない方がいい。ママのことは時間をかけてすり合わせていこう。


 そう思って伸ばした前脚はあの人の膝をすり抜けた。それどころか二人とも僕が見えていないみたいだ。僕を捕まえに来たんじゃなかったの?


 キョトンと見上げた僕は、若いお坊さんと目が合う。なんだ、見えてるじゃないか。

 その瞬間、全部思い出した。


   ***


 ママはもう一年も前に死んだのだ。ママはあの人のお父さんだから、結構な歳だった。

 そして遺された僕はあの人たちの家に引き取られた。


 ある日、家を飛び出した僕は雨に降られずぶ濡れで帰った。

 翌朝には苦しくて起き上がれなくなっていた。僕もこう見えて結構な歳だ。

 一日のほとんどを寝て、目が覚めるとママを探して目玉を動かす。

 それしかできなくなった僕に、あの人はスポイトで水を飲ませたり、トイレの世話をしたりと子猫のように世話してくれた。

 そして僕は死んだ。


 あの時も今も、この人は悲しそうな顔をする。

 僕はそれが嫌われているように感じたけれど、きっとこの人なりに愛情があるから、この顔なのだ。

 だってこの人はママのことが好きなのだから、ママと仲良しだった僕を嫌いなはずがないじゃないか。


 ごめんね。怖がらずに、もっと甘えてもよかったんだよね。


 ――僕は最期まで幸せだったよ。


 もう声は出ないけど、そう話しかけてみる。小さな壺の中で、鳴らなくなった僕の鈴が転がる音がした。

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