十六歳からみたフランスとイギリス

春秋 頼

第1話 登校拒否児だった私が感動した世界

 私は十六歳の頃、登校拒否児で学校にも行かず友達とよく遊んでいた。学校からは普通は帰れないようにのためかバス停までも相当な距離があり、通常であれば途中で帰ることは不可能な状態だったが、昔、同級生の彼女だった子がそれとは別れて別の彼氏と付き合っていた。


 その彼氏は年上だったが、強い者には逆らわない世渡り上手な人だった。私と仲良くなり学校までほとんど毎日迎えに来てくれるようになった。仮病で保健室に行くと四十歳くらいの女医さんがいつもいた。今、考えたら私の境遇を知っていたんだろうと思う。明らかな仮病でもいつも帰ってもいいように取り計らってくれていた。私はその学校に登校初日にまず担任に呼び出され一度でも喧嘩をしたら退学だと言われた。


 中学の時の頃の自分が机上の勉のまま伝わっているとすぐに分かった。今考えたら女医さんは私の境遇を知っていたのだと思う。高校入学試験の時にほとんど白紙のまま私は提出したが受験に受かった。また金に任せて私を縛ろうとしていると私は思った。仮にそれを私が望んだとしても、そんな事を欲する大人になっても間違った世界で生きていくことになることを私はそれまでの人生で悟っていた。


 昔は……毎日怯えて生きていた。幼稚園の頃から集団でのいじめにあい、父親には殴られるだけではなく倒れても上から足蹴にされる事が日常に近かった。時間がある時には父親とその囲碁仲間が囲碁をしているのを堅い木の上に正座させられて何時間も無理矢理見せさせられた。小学校に上がったら更に塾や家庭教師や習い事を増やされた日々だった。


 私が小学生低学年の頃、ある塾に一緒に通っていた中学一年生が来なくなった。その弟はいつも通り通っていた。そして中学生に上がった頃、その弟も来なくなった。私は中学生になったから他の塾に移ったのだと思っていた。だが本当は違った。兄は中学生になって首を吊って自殺していた。弟は兄が自殺した一年後に同じように首を吊り自殺していた。


 今、思い出してもはっきりと覚えている。私は小学生の頃は同級生に媚びて生きていた。休みの無い日常で友達を作ることは不可能だった。だが、高校生になった私にいつも通り力の制裁を加えようとした父親の拳を片手で握った。それからはもう私を殴ろうとはしなかった。今思うと高校の女医さんは私の境遇だけでなく不正入学の事も知っていたのかいたわりの言葉をいつもかけてくれた。明らかな仮病の私に帰っていい許可をくれた。そんなある日、いつものように私は一人でいた。似た境遇の友達が私にしか相談できないとよく内緒で訪ねてきていた。


 ある日、私を幼稚園の頃、私に親のお金を盗ませたり私をドブに落として虐めていた奴らに合った。私は数発殴りまわして他の奴らを威圧した。昔のように来ないのか? とそして私を虐めていたリーダーは同じ中学にいる事を知り、記憶に残ってないほど殴りまわした。そいつはそれ以後、私に怯えいたが私はどうでもよかった。


 毎日が休みではあったが夏休みに世間が入った頃、知り合いに何もしてないなら外国へ行ってみないかと誘われた。イギリスにある英語学校に夏休みを使って行ってみないかと。

英語学校なのでフランス人やサウジアラビア人やスペイン人とか主要語学は英語ではない国の人たちが行く学校だった。


 私は結局行かなかった。変わりに弟が行った。珍しく感動して帰ってきてからも良かったと何度も言っていた。

そこで私も行ってみようかと思い、話を進めてもらった。

弟が行ったイギリスは豪華なセレブ旅行みたいなものだと後になって気づいた。何もせず日々を過ごす私には当然安い旅が待っていた。

 

 韓国経由でまずはフランスに行った。絵は家にも何枚も飾っているほどであったため私も弟も絵が好きだった。見るのも描くのもどっちも好きだった。小学生の頃には手本に飾られたほどには上手うまかった。


 一応行く時だけはその英語学校を紹介してくれる人がついてきてくれた。でも現地で仕事があったようでほとんどは一人で過ごす時間だった。ルーブル美術館や、エッフェル塔にも行った。

 正直、エッフェル塔にはびっくりした。低いのは言うまでもないが、すでにさび付いている網目のエスカレーターとエレベーターを足して割ったような感じだった。下を見るといつか落ちる! とよぎらせるほどの錆びようだった。


 フランスは英語が通用しない。映画でいかにも出てきそうなボロボロの部屋を取り仲介者は仕事に出かけた。私は小さなテレビをつけてみた。ドラゴンボールがフランス語でやっていた。何も関係ないのに少しだけ勇気がでた。外に行き、日本なら千円は取られそうなくらいのハムと野菜を挟んだ大きなフランスパン式のサンドイッチを買った。五百円も取られなかったのにはびっくりした。


 私には必ず何かが起こる。良い事も悪い事もどちらでもない事も引き寄せるように何かが必ず起こる。私は何故かどこに行ってもよく道を聞かれる。フランスでも明らかなアジア系である私に道を尋ねてきた。日本でもフランスでも見た目は明らかな日本人なのに何故か聞いてくる。そして私が一番苦手なのが地理であるため全くわからない事も多々ある。

キャップを深くかぶり話しかけられないように努力というか見た目にしているのによくあるから困ったものだ。


 フランスで一番覚えているのは銀杏の並木通りだった。広々とした道路ではないのに日本の道路並みに広い歩道を銀杏が舞い続けていた。そして車で移動式のカフェがあった。机や椅子がいくつか並んでいて、その先が見えないほど真っすぐにその道はのびていた。

一杯のカフェを飲み、日本から持って行った音楽を何度も聴いた。冷たい風が吹く季節であったが日本では感じる事のない解放感に、私は空っぽの頭の中に言葉には出来ないものを感じた。まるで可愛い女の子を見るように

私はその風景にずっと見惚みとれていた。


 一週間ほど経過した頃、イギリスにはフランスから船で入国した。街の名前はもう忘れたが、南のほうの海に近い街にホームステイした。母親と女の子の二人の家だった。

一カ月が過ぎた頃、日常会話は問題なく話せるようになっていた。

 ある日、英語学校の友達にサッカーをしようと誘われた。私は参加してずっと走り続けた。息が上がって私はグラウンドに仰向けになった。気持ちのいい緑の香りがした。

晴れた青い空が見えた。さえぎるものが一つも無かった。視界の全てが青空だった。日本では絶対に見れない風景に私は感動した。起き上がり空を見渡した。

私はその時、世界の広さを初めて知った。


 あの青空の風景や銀杏並木の通りを今でも時々想い出す。

目を閉じて雑音でしかない日本では家でも外でも音楽を聴きながらあの風景を再び見ることが出来るかどうかは分からないが、目を閉じて音楽を聴けば私の心にある風景は変わる事無くいつでも心の中にある。



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十六歳からみたフランスとイギリス 春秋 頼 @rokuro5611

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