第六部 樹王と武双律
深い樹海の中を数人の忍者が風のように駆け抜けていく。強力な敵に追われているのだ。逃げているのは灰色の身軽な忍者たち、追いかけているのは重装備の黒い忍者たちだ。だが、灰色の忍者たちは、疲れ、傷ついていた。徐々に追いつかれ、後ろから気配が迫ってくる。
「うぐっ!」
突然の手裏剣に、最後尾の忍者が倒れる。
「気をつけろ。やつら来たぞ。」
灰色の忍者たちは、四方八方に飛んで、敵の目をくらます。一人はまきびし、一人は煙幕を張り、手裏剣が飛び交い、忍者刀が翻る。
一人の灰色の忍者に手裏剣が当たる。とどめを刺そうと黒い忍者が走りよる。
「うぐ、こ、これは。」
手裏剣が刺さっていたのは、一枚の布だった。変わり身の術だ。木の陰から灰色の忍者が飛び出し、不意打ちをかける。だが、頑丈な鎖かたびらに忍者刀が通らない。劣勢に追い込まれる灰色の忍者。だが、やられるというときに,卍型の手裏剣が飛んできて、命拾いをした。
「おかしら様。」
左の頬に傷がある目つきの鋭い忍者が忽然と現れ、灰色の忍者たちに目配せをした。そして、ぞっとするような冷酷な笑みを浮かべた。その途端。あちこちで火薬が爆発して大きな火柱が立った。さすがの黒い忍者も思わず飛び退いた。逃げ遅れた数人の黒い忍者が吹き飛び、地面に倒れこんだ。
「うぬ? しまった。」
黒い忍者たちが押しかけたときには、もう、深い樹海には人影はなかった。
星照院西妙寺は、今日も大勢の信者や、炊き出しに救いを求めてくる民たち、診療所に列を作る病人たちで賑わっていた。時は流れ、足利義昭と織田信長の関係があやしくなり、またもや戦乱の予感が広がりだしていた。未月もすっかり仕事になれ、最近は診療所の手伝いから、鍋の番や星照院の身の回りの世話までこなすようになっていた。
お市もすっかり皆に慣れ、これならいつ黙っていなくなっても平気かと思われた。
でも未月はここにいる。あんなにいろろな事件があったのに、誰も何も言わない。何か困ったときは家族のように助け合う。不思議な集まりだった。
今日はそんな未月のところに客が来たという。寺男の宗助が、武家の親子を連れてきた。
「あのう、私はここで下働きをしている者ですが、このような者にいったい何用で…。」
すると、父親が神妙な顔で、話し出した。
「ご迷惑とは存じますが、あなたが人探しの名人だとお聞きしまして、なにとぞなにとぞお願いいいたし申す。」
そう言って、父子ともども深々と頭を下げたのだった。とんでもないと思って、宗助の方に助けを求めて目をやると、すべて承知でほくそ笑んでいる。
「まあ、とにかく、未月どの、お話だけでもお聞きしましょう。」
「はあ。」
「実は…。」
武士の名前は、笹原巧拙、隣にいるのは次男の龍二、神隠しに遭った長男の一郎太を探してほしいのだという。
「神隠しですか。」
「長男の一郎太は二十一で、私が言うのもなんですが、剣術の腕が立ち、近くには相手がいなくなり、強い相手を探して、あちこちを飛び回っておりました。」
「では、またどこか旅先で何か…。」
「武者修行の旅やどこかの剣豪の弟子になったというならあなた様にご相談はしません。、そうではないのです。朝、近所に出かけたまま消えてしまったのです。、帰ってこないのです。」
それから、一郎太の服装やら人相やら、持ち物などが説明され、最後にいなくなった時の話が、始まった。
「…と、いうわけで、前日に剣術修行の旅からフラッと帰ってきたところだったのです。今から考えると、帰った時から少し様子がおかしかった。何かあったのか、ほとんどしゃべらず、ただ、もっと強くなりたい、強くなりたいと言っていました。そして当日、久しぶりに昔の剣術の先生の町道場に出かけると言ったまま消えてしまったのです。」
それまで黙っていた弟の龍二が一言付け加えた。
「お願いします。自分勝手な兄ですが、私たちに何も言わず、出て行ったことなど今までに一度もなかったんです。」
「そうですか。剣術修行から帰ってきたとき様子がおかしかったということですが、それでは、昨日まではどこに何をしに行っていたのか、わかりますか。」
「はい、詳しくはわかりませんが、お止め山のそばで足腰を鍛えるための山歩きだと申しておりました。」
…そこは、以前黒武者が山城を立てた場所のそばか…?
「お止め山ですか。そこで何かがあったのかもしれませんね。」
すると、そのやりとりをそばで聞いていた、猿楽師の正が、急にしゃべりだした。
「ああ、ちょっといいかい、俺、この間お止め山のそばを通りかかったんだけれど、雷のような大きな音を聞いてさ、山の中に入っていったんだ。そこで妙なものを見つけちまってさ。」
正はそういって、懐から小さな鉄の塊を取り出した。
「これがさあ、そのあたりの木にいくつか刺さっていたんだ。」
それは、卍型の手裏剣だった。星照院がそれを見て、目を丸くした。
「変わった形をしているのね。初めて見るわ。」
だが、意外な反応をしていたのは雄山だった。顔から血の気が引き、指先が震えている。
「まさか、やつら、すぐ近くに…。」
そして、急に下を向くと、あれだけおしゃべりな雄山が一言もしゃべらなくなってしまったのだ。ただならぬその様子に、未月の胸をいやな予感が横切った。これは何かある。
「わかりました。見つかるかどうかお約束はできませんが、お引き受けしましょう。」
事件は動き出した。
その日、沖に停泊している大きな南蛮船の上で、数人の男たちが密談をかわしていた。カトリック教団の神父のカザルス、明智天輪、そのほかにも軍服姿のひげの男や、商人風の外国人たちも何人もそこにいた。
「では、天輪殿、今は、われわれが軍隊を動かす時ではないと…。」
「はい、あなたたちが黄金の国から金を持って来いと言われて国王から軍隊をたまわったとお聞きしました。でも…。」
「天輪殿、ですから、さっきから何度も言っているように、私はこの美しい国を踏みにじったり、征服・支配するつもりはさらさらないのです。ただ、もし、黄金を少しでも本国に持ち帰らないと、こちらも立場がないのです。沖に待機させている軍隊を上陸させ、弱体化した幕府を攻め、あなた方の目指す新政権樹立のお手伝いをさせてください。われわれの軍隊は強力です。その代価として、幕府の持つ金塊をいくらかいただければそれでいいのですよ。」
「その金塊が問題なのです。今、あれだけ隆盛を誇り、黄金の金閣寺まで立てた室町幕府が、なぜ、弱体化したかご存知ですか。」
「そう言われてみれば…」
「実は、室町幕府は、侍たちを束ね、公家たちを従えるために、莫大な黄金を吐き出させ、それを一手に握っていたのです。しかし、六代将軍が暗殺されたあの赤松の事件の直後、政敵に奪われまいと、幕府の有力な武将の一人が、それをすべて持ち出し、どこかへ隠してしまったのです。しばらくは幕府はそれをひた隠しにしていたらしいのですが、やがて、あちこちにほつれが生じて、幕府は急激に弱体化したのです。つまり、今、あなたがたの探しているものは、幕府にはない。」
「隠し金はいったいどこにあるのですか。」
「それは誰にもわかりません。でも今、各地の大名たちがやっきになって探しています。さほど遠くなく、発見されるでしょう。」
話し合いはしばらく続き、最後はなごやかな空気でしめくくられた。すると、テーブルの上が一新され、そこにカップに入れられた茶が運ばれてきた。外国人たちは、皆珍しそうにそれを口に運んだ。
「黄金はまだまだだが、こっちはある意味、もっと大きな儲け話だ。よいか諸君、美味じゃろう。これは緑茶といって、植物の葉を加工して作った飲み物だ。ヨーロッパにはない習慣だが、この島国の者たちは、支配階級から庶民まで、毎日家族や仲間で集まってパーティーを開き、これを飲む。お菓子と一緒にだ。どうだ、よい習慣だろう。」
皆口々に絶賛した。一人の商人風の男が、天輪にほかにも種類があるのかと質問した。
「この茶を発酵させて味を濃くして飲む地方もある。紅茶といってな、私も越後に行ったときに飲んだことがある。茶の葉はどれも同じだが、味やいれ方は、地方によって様々じゃ。」
皆の反応がいいのを見て、カザルス神父は得意そうに言った。
「この習慣をヨーロッパ全体に広めれば、この茶の貿易でひと財産稼げるぞ。あの気難しいイギリスの貴族たちにも茶の習慣を広めて、金をせしめてやろう。わが教団の海外進出もさらにはずみがつくというものだ。どうかな、諸君。」
拍手喝采だった。お茶会はにぎやかに続いていった。
それから少しして一艘の小船が沖に向かって波を切っていった。はるか沖には、近代兵器に身を固めた軍隊が待機する大きな軍艦が停泊していた。小船は、近づくと軍艦に合図を送った。軍艦の見張りが、目ざとくそれを皆に伝えた。
「上陸は延期だそうだ。」
乗り込んだ軍人たちは顔色一つ変えなかった。それを訝しげに眺めている外国の商人がいた。その男の周りは凍りついたように冷たく、その瞳には例えようのない邪気が宿っていた。男は、何かをひらめき、船の中へと消えていった。
黄昏時、夕焼けの燃え残りの遠い空を見て、一人物思いにふける男がいた。今日の診療を終え、こっそり一人で、外に抜け出してきた雄山である。診療所から、手伝いの未月がささっと何かを持って走りよってきた。
「雄山先生、すいません。この漢方薬どこにしまえば…。」
「ああ、うっかりしていた。すまんなあ、あとでわしがしまうから、薬品棚の前に置いておいてくれ。」
振り返りもせず、気のない、心ここにあらずという返事であった。
「あのう、雄山先生、あの手裏剣、なにか深い訳でもおありですか。」
「ううん、そうじゃのう。わしもえらそうなことを言っても、つい自分の番になるといろいろ考えてしまってな。このまますーっといなくなった方がいいのかと思ったりな。」
「先生。いまさらそんなこと。」
「そうですよ。そんなことは言いっこなし。でも、先生もおつらいのよ。同じことが繰り返されないかって思ってね。」
いつのまにか、星照院が後ろから近づいていた。
「前の時は、あなたがちょっと診療所を空けている間に、診療所にいた家族や弟子が皆殺されてしまった…。」
雄山が振り返り、静かに語りだした。
「そうじゃのう、もう、こうなったら話さないわけにもいくまい。実は、わしは昔、長崎の平戸の近くで、大きな漢方の診療所をやっておってな。中国や南蛮渡来の新しい薬をどんどん取り入れて評判もよく、弟子もたくさんいたものじゃ、だが…。」
ある日、身元不明の一人の武士が、運ばれてきたのだそうだ。長身でよく鍛錬されたすばらしい肉体をしていたが、だまし討ちに遭ったか、痺れ毒で全身がしびれ、いくつか刀傷も負っていた。武士は意識を取り戻しても、決して名を明かさなかった。
ところが、治療中に、その男の体に地図のようなものが彫ってあるので、何かと思い調べてみたのだという。その地図が狙われたのか、雄山が数人の弟子とともに、休養で一晩診療所をあけていた隙に、何者かに襲われ、妻も残りの弟子もすべて殺され、あの地図のイレズミの武士も消え去っていたのだ。その時めちゃくちゃにされた診療所の壁に刺さっていたのが、あの手裏剣なのだという。
「そうだったんですか。」
「だが、事件はそれで終わらなかった。診療所の壁には、雄山よ、隠した地図を出せ、さもないとどこまでも追いかける旨の走り書きが貼ってあった。やつらは地図をわしが持っていると誤解している。わしは確かに見て、いろいろ調べたが、それだけじゃ。地図などない。惨劇は続いている。わしがここにいては、また同じことが繰り返される。わしは、連れていた弟子に後を任せ、夜中に診療所を離れた。そして、やつらのやって来ない遠くへと、場所を転々と変えて、逃げて、逃げて逃げまくった。そして気がつけば、星照院様に拾われておった。だが、ついにやつら、この近くまで来てるとなると…」
「そうだったんですか。でも、まだここが突き止められたわけでは…。」
しかし、雄山の憂いは、少しも晴れる事はなさそうだった。
「時間の問題だろう。」
すると未月が、進み出た。
「私は、どうもこういうのが苦手で。うまく言えないけれど、先生、少しだけお手伝いさせてくれませんか。ここに一緒に身を置いている、同じ家族として…。」
「そうよ。私もできる限りのことはするから。変なことは考えちゃだめですよ、先生。」
その声は輝き始めた一番星のように心にしみた。この人はなんでこんなにいつも明るく、そして強いのだろう、未月は思った。雄山は黙って、しばらく空を見つめていたが、やがて診療所へ帰っていったのだった。
夜が更け、静けさがあたりを包んだ頃、尾張の城では明智光秀が奥の部屋へとそっと訪れていた。何か荷物を持っている。襖を開けると、一人の男が、茶をたしなんでいた。
「約束の茶器をお見せにまいりました。」
「おう、光秀か、まちかねたぞ。どれどれ、楽しみじゃのう。」
そこにいたのは信長の弟、織田遊楽斉、やってきたのは明智光秀であった。光秀は、布の中の木箱から、丁寧に茶器を取り出し始めた。
「はは、まったく兄者ときたら、今日もむちゃくちゃなことを言いおって、お前たち家来も苦労するのう。」
「いえいえ、親方様には、深い考えがあるのです。」
「お前さんのように、ものわかりの良いのもどうかな。ほう、これは見事じゃ、暁の空から新しいお天道様が生まれ出る、その時のような…。」
光秀の差し出した茶器に、遊楽斉は感嘆の声を上げた。
「早速、次の茶会に使わせていただこう。利休様もお喜びになるだろう。」
「ありがたき幸せにございます。」
光秀は深く頭を下げた。すると有楽斉はすこし小声で続けた。
「それで本当の用件はなんじゃ。」
「はは、朝廷の件にございます。親方様は、これから朝廷のことはすべて弟、遊楽斉様を通せと仰せでございます。」
「おぬしも苦労が絶えないのう。そういえば、将軍足利義昭の時も、おぬしが兄者と義昭を結び付けたり、正親町天皇に手を回して苦労してもらったのじゃったのう。だが、兄者ときたら義昭の意に反して、伊勢の北畠を滅ぼし、好き勝手なことばかりしておる。、あの時も、天子様からの密使を、会いもせず追い返しおって。そんなことをすると、あとでややこしいことになるとわしが忠告しただけのことじゃ。そうしたら、朝廷の件はお前に任せると…。わしは、この戦乱の世の中、どんな手を使っても、この織田家の存続を第一に考えておる。やらなくていいけんかや戦は極力避けたい、そうは思わんか。」
「いやあ、私も、そのように考えておりました。」
「非礼をわびて、うまくとりなしてくれるように、公家の有力な者にすぐに頼んで置いた。そのうち動きが伝わってくるだろう。もう、お前さん方が気を揉むこともあるまい。」
「安心いたしました。まさに望むところであります。」
茶器を眺めながら、遊楽斉の目が光った。
「ところで、わしの方から頼んでおいたあの件はどうじゃ。織田家の裏の仕事をあちこちでかぎまわっていた妖しい僧がいたな。どうじゃ、正体がわかったかな。」
「はい、判明いたしました。比叡山の一派で、あの男、名を奏胤といって、密教の不可思議な技を使うと聞きました。」
「比叡山の奏胤か。これはまた厄介なものが関わってきたな。。」
「何を狙って織田家に近づいてきたのかはわかりませぬ。追ってご報告いたします。」
「ご苦労であったな。礼を言う。さらに頼むぞ」
「はは、かしこまりました。」
その時、一人の武士が、さっと襖を開け、入ってきた。
「失礼いたします。」
「何事じゃ。どうせ、その焦った様子からすると、兄者がまた、とんでもないことでも言い始めたか。」
「ハハー。親方様からの伝言にございます。明日の朝一番で、重要な知らせがあるそうです。全員、残らず集まるようにとのことです。」
「ほう、また何を始めるつもりか。わかったと伝えてくれ。」
夜の帳の奥で、密談は静かに続いていった。
月明かりに照らされた、武家屋敷の屋根の上に、一人の若い男が立っていた。木刀を持ち、不敵に構えていた。やがて、少し離れた屋根の上にもう一人の男が上がってきた。バサラ風の派手な衣装に身を包み、かっと目を見開いた。
「いざ、勝負。」
二人は、木刀を構え、じりじりと間合いを詰めていった。先に仕掛けたのは若い男であった。風のように跳び、上段から素早く斬りかかった。はじき返すバサラの男。若い男は、、流れるように退いた。だが休む暇を与えず、斬りつけていく。
「なに?」
バサラの男がさっと後ろに跳び退いたかと思った瞬間、カチッと音がして、袖の中から小刀が飛び出した。小刀は、若い男の方をかすり、後ろに飛んでいった。危なかった。でも両手は木刀を持ったままだ。どうやって小刀を使ったのか、手品のようだった。
さらにバサラの男が攻勢をかける。変幻自在、下から突き上げ、喉元をつき、左右から襲い掛かる。だが、若い男も負けてはいない。すべて、受け止め跳ね返す。
でも、次の瞬間ありえないことが起こった。
間合いを見切り、ぎりぎりでかわしたはずの、バサラの剣がグーンと伸びて迫ってきたのだ。
「ばかな。」
なんと、木刀を持ったバサラの両手が倍ほどに伸びてきたではないか。若い男はやっとのことでかわしたが、木刀をはじかれ、飛ばされてしまった。そこをすかさず、襲い掛かるバサラの男!勝負あったか。だが、若い男が何も持っていない右手を下から振り上げた。次の瞬間、バサラの男は吹っ飛ばされ、屋根の上を転がっていた。若い男の手には、ないはずの巨大な刀が握られていた。
だが、やがてその剣は、夜の闇に溶け込むように見えなくなった。
「勝負あった。見事であった。」
近くの物陰から姿を現したのは、かの寂翠であった。
「ついに力を使いこなしたな、確かに巨大な剣がわしにも見えたぞ。いいいや、相手の団十郎も見事であった、とてもからくり人形とは思えん。」
黒子の楓が、深く頭を下げ、姿を現した。
「カラクリ人形に強力な式神を宿らせる力を授けてくださった寂翠様のおかげでございます。このやり方なら、一度に数体のカラクリを操ることもできましょう。」
若い男は勝ったもののまだまだ満足いかぬ風であった。
「ありがとうございました。でも、まだまだだ。もっとこの力を極めて、手を振るだけ、いや、思っただけで剣が振り下ろせる、神速の剣をめざします。」
若い男は、はじきとばされた木刀を拾うと、静かに腰に戻した。
「寂翠様、あの男は前の時とは、違うんですよね。」
黒子の楓がそっと確かめるように言った。
「そりゃそうだろう。やつは自分から望んで力を受け入れ強くなった。そして、強くなりたいという己の夢を叶えようとしている。これなら星照院も文句は言うまい。」
「それならいいのです。」
楓はほっと胸をなでおろし、からくり人形の団十郎をつづらにしまいこんだ。
「さてこれで見通しがついた。いよいよ、織田信長を打つ。尾張に乗り込むかのう。楓、頼むぞ。そこの剣士よ、お前にも頑張ってもらおう、よいな、一郎太よ。」
一郎太と呼ばれた男は振り返り短く答えた。
「承知。」
やがて三人は夜の闇の中に消えていった。
薄暗い部屋の中に無数の宝玉が妖しい光を投げかけていた。体中を呪文を書いた布で覆った男が、何かをささやきながら、宝石を机上にぶちまけたり、箱に戻したりを繰り返していた。隣では朧な光が揺れ、あの幽鬼丸が姿を現し、盛んに何かを言っている。
「だからさあどうなんだよ,、蝉空(せんくう)よ。黒武者は来るのか、来ないのか。」、
何回かぶちまけた後、まるで魔法のように、宝石が美しい模様を作り出した。
「ほほう、隠し金の精霊が縁(えにし)の糸を手繰り始めよった。これは、近いうちに、とんでもないことがおきる。」
「だからさあ、どうなんだよ。教えてくれよ。」
「ふぉふぉふぉ、焦るでない。黒武者をそんなに呼びたいのなら、やつの獲物を用意することじゃ。やつはまんまとひっかかってやってくることじゃろう。しかし、この隠し金の件は、とんでもない大きな戦いに発展するじゃろう。渦に巻き込まれれば、命を落とすことになるぞ。」
「へへへ、俺様は、銀狼様みたいな凄い力はないが、逃げ足だけは自慢でね。ああ、心するさ。」
蝉空は、最後にもう一度だけ、宝石をぶちまけた。今度はそこに不思議な模様が浮かび出た。
「ふむふむ、きっかけを作るのは、まさかの織田信長か。あやつ自分で戦乱の渦の中へと動き出しおった。つくづく、すさまじい星の元に生まれた男じゃ。」
「へへへ、面白くなりそうだぜ。ありがとよ。またな。」
薄暗い部屋の中で、朧な光りが揺れ、だんだんと遠ざかっていった。やがてすべてが、動き出したのだ。
信長の居城の大広間には、朝早くから、家臣の武将たちが全員正座し、親方様を待っていた。やがて足音が近づくと、皆息を殺して静まり返った。
信長は、蘭丸、坊丸、力丸の華麗な森三兄弟を従え、さらにお気に入りの黒人の家来ヤスケとともに入ってきた。ギシギシと音がする。今日のヤスケはその長身の体に、西洋の鎧をまとい、長い槍を持っている。なんだ、また合戦でも始めるのか、聞いてないぞ、皆訝しげに、黒人の勇猛な姿を見上げていた。
「猿、隠し金の探索はどうなっておる。」
朝の冷気の中に、鋭い声が響き渡った。
「ははー、これをご覧ください。」
小柄な武将が深々と頭を下げ、前に進み出た。手に、なにやら大きな地図を持っている。
「このたび、わが群が占領しました例の山城でございます。この後ろに広がる樹海の中に幕府の隠し金があることは間違いありません。ただ、そこから先の地図を狙って、伊賀の忍者、比叡山の僧侶、修験の者、各大名の探索隊などが入り乱れて暗躍し、予断を許しません。」
「よく突き止め、山城を手に入れた。褒めてつかわす。」
「ははー、ありがたき幸せにございます。」
だが、信長は、表情を固くすると、立ち上がり、前に進み出た。
「しかし、このままでは目の前でみすみす隠し金を奪われてしまうは必至。周りを敵対する勢力に囲まれている現状では、織田軍の本体を動かすことも難しい局面にある。また、樹海のような場所で忍者や修験のものなどとの戦いを得意にするような兵はわが軍には皆無。そこで準備が出来次第、山城で、裏武芸の御前試合を開く。」
「裏武芸…?」
信長の突然の言葉に、あちこちでざわざわと、ささやきが起こった。
「勝家はおるか!」
「ここに。」
「諸国から、暗殺剣、裏武芸の達人、剣豪を集めよ。わしの前で試合をさせ、。勝ち上がったものには褒美は思いのままじゃ。よいな。」
「御意。」
いかつい体をした武将が頭を下げ、自信ありげに答えた。信長は、空気をびりびりと震わせ、さらに続けた。
「その中の実力者で、影の探索隊を組織する。忍者や修験のものに対抗できる戦力を新たに作るのじゃ。隠し金は、決してほかのものには渡してはならぬ。よいな。」
「ははー。」
信長は、そう言い放つと、お供を引き連れ、武将たちの前から去っていった。黒人のヤスケの鎧をつけた後姿に、これから始まる過酷な戦いが予感された。
その日の朝早く、未月はまだ皆の寝ているのを起こさないよう、そっと出かけたのだった。起きてきたお市が黙って、未月を見つめた。
「何日か遠くの山でお仕事があるの。必ず帰ってくるから、心配しないでね。」
「うん、星照院様を手伝って、きちんとお仕事頑張るから、大丈夫よ。」
「これ、持って行って。」
お市が小さなお守りを握らせた。
「ちゃんと星照院様にお祈りしてもらったのよ。」
「ありがとう。これできっと大丈夫ね。」
いつの間にたくましく育ったお市の目に、一点の曇りもなかった。未月を信じて、静かに見送ってくれた。
診療所の外に出ると、朝日がまぶしかった。
星照院が、その後姿を追いかけて走ってきた。
「はいこれ、昨日の今日だから、渡すの遅くなってごめんなさい。」
「いいえ、こちらこそ急に出ることになって、無理なお願いをしたんですから。」
それは、血判の押された真新しい紙だった。
「そんな、こんなに…。」
未月は数人のものを想像していたが、とんでもない、数十人の血判がきれいに押されていた。
「私や、ここに出入りしている仲間たちも皆押したけど、それだけじゃなくてね、雄山先生の診療所の患者の皆さんにも頼んだのよ。だから時間がかかっちゃって…。雄山先生を助けたい。戦乱で家を失ったり、家族と離れ離れになったり、傷ついたりしたたくさんの人たちの思いなのよ。じゃあ、短い間だけど、先生のことよろしく頼むわね。」
「はい。一郎太という人の捜索も同じあたりなので、じっくり調べてまいります。」
歩き出す未月。山門の前では旅支度を整えた雄山が待っていた。
いつの間に来ていたのか宗助が無言で山門を開いた。
「じゃあ、行こう。地図のだいたいの場所はわかっているんじゃが。なんとか、そこまで案内しよう。」
「危険なことがあったら、先生だけですぐ帰ってください。星照院様がいつ戻られてもいいように、食事も用意してお待ちだそうで」
宗助が大きくうなずき、深く頭を下げた。
「…。じゃあ、出発だ。」
二つの影は、夜明けの山道を下って言った。
その日、浜辺に見回りに来ていた一人の漁師が、妙なものを発見した。
(やけに肌寒いなあ、な、なんだこの霧は!)
黄昏時に、かかるはずのない霧が突然、波打ち際を包み込んで広がっている。
(なんだ、あのでかい船は。)
よく見ると沖に見たこともない大きな黒い船が停泊し、そこから、小船でたくさんの人影が岸に向かってどんどん近づいてくるではないか。
(南蛮船だ、た、大変だ。)
漁師は、村の方に向かって走り出した。だが、それより早く、霧が周りを包み込んだ。何が起こったのかわからない。霧の中で悲鳴が起こった。やがて、浜辺に着いた小船の中からぞくぞくと最新の銃器を装備した王国の軍隊が降りてきた。皆青白い顔をして、無表情であった。小船の最後から、あの妖しい商人が降りてきた。
「すべては国王陛下のために。この地の黄金を持ち帰るのだ。」
軍隊は静かに敬礼し、砂浜の上に足跡をつけていった。
あとには凍りついた漁師が、転がっているだけだった。
襖が開くと、そこには異様な空気が流れていた。顔を隠したままの怪しい修行僧が二人、その後ろには、やはり顔を隠した銀髪の高僧、その横には大柄の僧兵。一見すると僧侶の一行のように見えるが、とんでもない血なまぐさい鋭い殺気を漂わせていた。
「会うだけ無駄だったようだな。比叡山に敵対する宗派の一行だと聞いて部屋に通したが、どこまで本当のことなのか。織田は、お前らのような怪しい輩の力は借りぬ。」
信長ははき捨てるように言い放った。だが、銀髪の僧は少しも動じなかった。
「臆しましたか信長様。われわれの裏の武力は、あなたが考ええているより、はるかに上です。ご利用なされ。比叡山の力を抑えてくれればそれ以上の報酬はいりませぬ。」
「臆してなどおらぬ。わが織田軍にそのような加勢は必要ないといっておるのじゃ。」
取り付く島がない信長だったが、銀髪の僧は小さな紙をそっと取り出して見せた。
「それでは、これはどうですかな。ある山城の後ろの樹海の中に何かが埋蔵されている。その地図の一部をわれわれが持っているとしたら。」
「なんと、今、なんと申した。」
あわてて、その紙をのぞきこむ信長。だが、銀髪の僧はその紙をそっとしまいこんだ。
「おっとっと、ご興味はおありのようですね。もちろん、私たちに協力していただければ、情報はすべてお預けしましょう。」
「駆け引きをするつもりか。一切応じるつもりはない。」
「さすが、信長様でございますな。では正々堂々と筋を通しましょう。近々、裏武芸の達人を集めて御前試合を行うと聞き及んでおります。そこにわれらの手勢を一人参加させるというのはいかがでしょうか。本当にお力になれるかどうか、その目で確かめなさればよい。どうですかな。」
「ふふ、おもしろい。その本当の力を見せてほしいものよ。いいだろう。しかし、おかしなまねをしたら、すぐに追い返す。」
「ありがとうございます。それではこの次会うときは、黒い鋼と恐れられた忍者をつれてまいりましょう。それでは。」
不気味な一行は音もなく去っていった。信長は不敵に笑うと謁見の間を後にした。
「じゃあ、この先の村が、地図の入り口にあたるわけですね。」
未月が確認すると、雄山は、大きくうなずいた。
「うむ、間違いないと思うが…。念のため、あの村人に聞いてみよう。」
ここは、あの黒武者の事件のあったお止め山のすぐそば、静かな山村だ。雄山は駆け出すと、山間の畑を耕す農家の男に声をかけた。
「すまん、ちょっと聞きたいんだが、上の沢村はこの道でいいのかね。」
すると、男は、否定はしなかったが、逃げるように走り去って行ったのだ。
「なんじゃ、何かまずいことでも言ったかな? 間違いはないようだが、まあ、行ってみるか。」
雄山と未月は、寂しい山道をどんどん登っていった。山はますます深さを増し、時々せせらぎの音や見知らぬ鳥の声が聞こえてくる。やがて、あたりが開け小さな山里が見えてきた。
「おお、そうじゃ。谷川の上の見晴らしのいいところに上の沢村とあった、ここに間違いない。」
二人は、村の中をどんどん進んで言った。だが、未月の表情は曇っていき、やがて、ぴたっと歩みを止めた。
「ふむ、どうしたんじゃ、未月よ。」
「まだ日が高いから、仕事に出ているのかと思っていたけど、やっぱりおかしい。先生、それ以上、村の中に入らないでください。ここにいてくださいよ。」
未月はそう言うと、雄山をそこに置いて、村の中へ走って行った。そして、少しすると緊張した面持ちで、戻ってきた。
「人の気配がまったくないのです。今、あちこちの家を覗いて来たのですが、やはり人っ子一人いません。」
どの家も、昨日までは普通に暮らしていたようなそのままの有様だった。中には、食べ物が皿の上に乗ったままの家さえあった。だが、人が一人もいないのだ。
「神隠し?」
「いったい、何があったのじゃ。」
上の沢村を抜け、さらに、地図の中の山に分け入ったとき、未月が、炭焼きの煙を見つけた。
「ちょっと聞いてみるか、何かわかるかもしれない。」
炭焼き小屋に行くと、若い男があわてて小屋の中に飛び込んだ。中からは若い男に連れられて、老人が姿を現した。
「昔の幕府のことなど、何も知らんぞ。帰ってくれ。」
「違う、違う、わしらが聞きたいのはそんな話じゃないんじゃ。すまん、上の沢村のことなんじゃが…。」
雄山が悪いものではないとわかったのか、老人はぽつりぽつりと話し始めた。
「悪かったのう。わしらも昨日のことがあったもんじゃから、気が動転しておってのう…。」
実は昨日、村に不気味な侵入者があったのだという。顔に刀傷のある冷たい目をした男が、若い男たちを連れて、突然乗り込んできたのだ。男たちは、その昔、幕府の秘密部隊がやってきて、この里の村人に何をやらせたのか話せというのだ。何人かの年配の村人は、そんなことがあったと思い出したが、細かいことは覚えていないと言ったらしい。
「わしとおいの五作は、小屋に火を入れておったのでその場を離れたが、夕べ村に帰ったら、人っ子一人いなくなっていたんじゃ。」
生きているのか、死んでいるのか、年寄りから子どもまで、かき消すようにいなくなっていたのだという。しかも、この近くの村でも、最近同じことがあったばかりなのだ。
「そんなばかなことが…。もしや…。」
「ただ、皆が行方不明になったころ、わしらはこの炭焼き小屋にいたんじゃが、あっちの森の奥のほうから、一度だけ、村人の悲鳴のような叫び声を聞いたのじゃ。」。
話を聞き終わった後で、未月が、悲鳴が聞こえたという森の奥へと、少しだけ確かめに行った。しばらくして帰ってきた未月は蒼ざめた顔で、言葉少なに話し始めた。
「誰も見つけられなかった…でも、いろいろな持ち物が落ちていた。それに混じってこれが…あったわ。」
未月は、何かを雄山に渡した。それは、卍型の手裏剣であった。
「どうしますか。今、ここから引き返してもいいと思いますが。」
「もう少しだけ、もう少しだけ、行こう。」
炭焼きの老人と若者に見送られ、二人はさらに樹海の奥へと進んで行ったのだった。
柴田勝家は落ち着かなかった。そのいかつい体で、うろうろと何度も歩き回っていた。やてが刻になり山城の前に、お供の武士に連れられて、裏武芸の猛者たちが入ってきた。
「ふう、遅れそうだと聞いていたが、なんとか間に合ったワイ。」
武芸者たちは、横に二列に並ぶと勝家の前で頭を下げた。
「うおほん。予定通り、御前試合は、明日の正午からこの場所で行う。武器は何を使ってもかまわないが、相手を殺すことが目的ではない。勝負に優劣がついたところで試合を止める。」
すると、勝家の言葉に、大柄の侍が問い返した。
「あくまで腕試しということなのでしょうか。」
「その通り。今回の試合は、腕に応じて織田軍に召し抱えるためじゃ。だから必要以上の殺生は控えるのだ。召し抱えた上に、勝ち残ったものには金・銀でも、領地でも、武将の地位でも欲しいものを用意しよう。織田軍の配下になりたくない者、意に沿わぬ者は、今すぐここを立ち去れ。よいか。」
立ち去るものは、誰もいなかった。
「それでは、これから、氏・氏名と技の確認を行う。」
巻きわらが用意され、、並んだ順に、名前が読み上げられ、簡単な技の披露が始まった。
鉄の棒を軽々と振り回す小山のような巨漢、いあいぬきの達人、小刀投げの剣士と妙技を見せ付けたが、最初に度肝を抜いたのは、怪しい中国人だった。
「次、暁金牛。」
その男が取り出したのは、棘のついた長い鞭だった。金牛が技を繰り出すと、生き物のように動いた鞭で、丈夫な巻きわらが、一瞬でばらばらになった。会場が凍りついた。
次の男にも、皆、目を丸くした。
「次、伊吹流、疾風。」
その男は、手ぶらですたすたと進み出た。いったい武器は? と見ていると、男は一瞬笑ったように思えた。
「な、なんと。」
勝家が思わず驚きの声をもらした。手も足もどこも動いたように見えなかったが、小さな音がして、巻きわらにいくつものへこみができたのだ。
武器らしい武器を使わないといえば、こんな男も出てきた。
「次、兵庫屋 俊。」
職人風の衣装に身を包んだその男は、不敵にゆっくり進み出ると、服の内側から、すばやく何かを取り出した。体中にこんなものをいくつ隠し持っているのか、黒い石のようなものを巻きわらに投げつけた。その途端大きな爆発音がして、巻きわらが吹き飛んだ。火薬師の技だ。物陰からそれを見ていた光秀が、遊楽斉に話しかけた。
「なんと、すさまじい。いくら裏武芸とはいえ、あれでは対戦相手の身が持たないでしょう。」
「どうなるかのう。ただ、あやつが織田軍につけば大きな戦力になることはまちがいない。この爆薬男の実力、まだまだこんなものではなかろう。」
「そうですね、皆、敵を警戒してか、手の内をまだまだ隠しているような…。」
「当たり前じゃ、ここで技を出し惜しみしないのは、よほど自信があるか、うつけ者か、どっちかじゃ。」
遊楽斉は、そういって笑った。
「ほらほら、光秀よ、あれが、問題の黒い忍者様だ。」
怪しい僧の手先として送り込まれた忍者は、巨大な手裏剣で、巻きわらを真っ二つにした。
「ほう、なんとすさまじい。途中で裏切って寝返るなんてことはないでしょうね。」
「ありうるかもな。得体の知れぬやつらよ。まったく兄者の酔狂にも参ったものじゃ。」
その後も、豪剣の剣士雷刃丸(らいじんまる)、斧やナタを使う山男タケルと続いた。山男タケルの手にかかると、重いナタがお手玉のように軽々と宙に舞い、少しの狂いもなく的に命中。さらに人間とは思えぬ身のこなしで、すばやく飛び上がると大きな斧で巻きわらを真っ二つにした。
「いやあ、どの武芸者も凄いですなあ…お?!」
が、次の一人を見た光秀はわが目を疑った。
「まさか…、あやつは!」
次の男がすっくと立ち上がった。
「次、鬼流門波流貴。」
そう、それは紛れもない、未月の弟、波流貴だったのだ。
次の日、織田信長が山城に入り、御前試合が今まさに幕を開けようとしていた。ちょうど同じころ、山城を遠くに望む峠道を、早馬で駆け抜ける三人がいた。明智天輪、坂本天外、そして、カザルス神父である。やがて三人は分かれ道に差し掛かり馬を降りた。
「どちらですかな、カザルス殿。」
天輪の言葉に、カザルスは分かれ道に立ち、銀の十字架をはずして鎖を持って静かに揺らした。
「おお、これは?」
十字架は急にくるりと回転すると、大きく左の方にふれたのだ。
「まちがいありません。この方向です。」
その言葉を聞いて天外が言った。
「やはりそちらですか。先ほどから身も心も凍りつくような邪気がひたひたとそちらから伝わってくるのです。」
天外の言葉を聞いて、カザルスがぼそっとつぶやいた。
「もしや…アスモデウス…?」
三人は、また馬をとばし、山城の方向へと走り去っていった。
樹海へと続く道をもくもくと歩き続ける二人組がいた。
「その侍の背中に彫ってあった地図には、このあたりのことがいろいろ書いてあったんじゃが…。」
「こんな深い山の中なのに、つい今しがたたくさんの人が歩き回ったあとや気配があります。なにかありそうですね。」
雄山と未月は、なにやら胸騒ぎを感じながら山道を登って行った。
急に未月が立ち止まった。
「遠くから、誰か来る? 先生、静かに。」
二人が、近くの大岩の影に未を隠して、息を潜めていると。鎧ををガシガシと鳴らしながら、足軽を連れた武将が通り過ぎていった。武将のそばには修験のものがつき、道案内をしているようであった。
「ほう、あんなに鉄砲を持って!物騒だな。」
「しっ!」
やがて、隊列が遠くに消え、二人はやっと道に戻った。
「どこぞの大名の探索隊といったところだな。あの地図にはいったい何が隠されているのだ…。」
「忍者の手裏剣に、神隠し、そして大名の鉄砲隊…、予想以上に面倒なことになってきましたね。先生、そろそろお帰りいただくことになりそうですね。」
「もう少しだけ、一緒にいさせておくれ。あとどうしても確かめたい場所があるんじゃ。」
「わかりました。そのかわり、危なくなったら、すぐにお帰りくださいね。」
それから二人は、山道をさらに登り、尾根道のほうに出た。見晴らしのいいところで、地図の記憶を確かめたいとの雄山の提案だった。雄山は険しいがけの上に進み出て、遠くをあおいだ。
「…どうですか、先生。」
「うむ、まちがいない、お止め山があそこで…、あれが、目印の双子山じゃ、二股の川も流れているし、そうそう、あれじゃ、小さな山城じゃ。おや、あれは…。」
山城の近くに、白い天幕がたなびき、人が集まっているようだった。
「この山城は、もう久しく使われていなかったそうだが…。いったい、何が始まろうとしているのだ。」
山城の前の草地が整備され、天幕が風にはためいた。御前試合を取り仕切る勝家、隠し金の探索の任を追う藤吉郎が、早くから顔を出し、落ち着かない様子であった。やがて、太鼓が鳴り響く。信長がお供を連れて入ってきた。
森三兄弟は今日は白で着衣をそろえ、黒人のヤスケは、中国の武芸者風を装い、手に見慣れぬ武具を持ち、くるくると回しながらやってきた。
「なんじゃ、あれは。」
勝家がそれを見てつぶやくと、藤吉郎が小声で答えた。
「なんでも、シナの国からつたわってきた武具でトンファーとか申すものらしい。」
信長が席に着くと、藤吉郎が深く頭を下げ、一枚の地図を差し出した。それは、あの怪しい僧侶が持ってきたものだった。
「おお、こ、この地図は。」
「あの僧侶が、この御前試合の記念にと差し出したものでございます。親方様のお役に立てればと申しておりました。」
「ハハハ、おもしろい。今日の優勝者にこれを与え、探索隊の初仕事としよう。」
「はは、かしこまりました。」
地図は信長のかたわらに並べられ、いよいよすべての用意が整った。
再び太鼓が打ち鳴らされ、武芸者が入場してきた。あらかじめくじ引きで決められた順番通りに対戦が始まった。最初は物静かな仕込み杖の居合い抜きと、小刀投げの若い男だった。
「神風流い合居合い術、徳永功、九竜流谷口兆次。」
小刀の兆次は、いったい体中にいくつ小刀を隠し持っているのか、急所めがけて、つぎつぎと小刀が宙を舞う。しかし、すべての小刀は、閃光のような徳永の居合い切りにはじかれる。そしてだんだんと間合いをつめていく。さすがに投げる小刀が尽きるかと思われたとき、兆次が仕掛けた。
「八方封剣!」
兆次はそう叫んで、九本の小刀を高く放り投げた。そして、正面から、小刀を構えて間合いをつめていったのだ。
「ぬん。」
居合いの徳永は、瞬間たじろいだ。正面からの攻撃を受ければ、上からの小刀が降ってくる。上からの小刀を振り払えば、正面の攻撃にやられてしまう。さっとよけるにも、上野小刀は、九本、真上と八方向を封じている。兆次が、必殺の剣を投げようと小刀を振り上げた。
「そこまで。」
九本の小刀が、はじかれ、地面に落ちた。居合いの徳永はくやしそうに剣を振るわせた。小刀の兆次は勝ち名乗りを受け、小刀を納めた。
「次、剛電流、小宮山権佐、極影流、狐塚桐斗。」
巨漢の権佐は、ごっつい手袋をはめて、手をパンパン鳴らすと、背中に刺したいくつかの武器のうち、巨大な鉄の棒を取り出し、ぶんぶんと振り回した。長針の狐塚切斗は、無表情なまま、黒い仕込み槍をかまえると、静かに進み出た。
土煙を巻き上げ、凄い勢いで迫ってくる鉄の棒、狐塚は、ぎりぎりでそれを交わしながら仕込みやりを打ち下ろす。
「おう? こ、これは!」
仕込み槍は鉄の棒にあたると同時に鞭のように折れ曲がり、鉄の暴徒権佐の腕にからみついたのだ。いったい、どういう仕掛けなのか。狐塚は鋼のような腕に満身の力をこめ、仕込み槍を手元でねじりながら、権佐の動きを止めた。すると狐塚の袖の中から二本の長い針が飛び出し、早くもとどめにかかった。宙を舞う狐塚。審判役の勝家が勝負ありの声をかける直前、権佐が、反撃に出た。
「うおおおおおおおおお。」
からみついた仕込み槍ごと鉄の棒を投げ捨て、返す手で巨大な金槌を取り出すと、思いっきり叩きつけた。はじけとぶ二本の金属の針。その巨大なハンマーは、狐塚の体をわずかにはずれ、地面に突き刺さったが、一瞬地面が揺れて、大きな土煙がたった。狐塚は少しもあわてず、仕込み槍をさっと拾うと、くるくるとふりまわした。すると今度は、槍の穂先が、鎖とともに飛び出し、空中を襲い掛かってくる。
巨大なハンマーに鎖がかかり、ピーンと張り再びこう着状態に…。
鎖を少しずつたぐりよせ、勝機をうかがう狐塚。そして間合いに入ると見るや、今度は左手の手甲から隠し刃を突き出し、ふところにとびこもうとする。だが、怪力の権佐は、ハンマーを片手に持ったまま、自由になった右手を大きく突き上げた。
「そこまで。勝負止め!」
あの隠し刃が急所をついていたのか、あの巨大なグローブが、狐塚の骨を砕いていたのかわからないが、勝負はつかないまま預かりとなったのだ。
次は剛剣の侍と、謎の男だ。
「七星流、雷刃丸、木隠流、疾風。」
雷刃丸は、大柄な若い侍で、大きな剛剣をかまえた。疾風は、あいかわらず、そでに手を隠したまま、かすかにほほえみながら立っていた。
「く?!」
何の前触れもなく、何かが発射された。かろうじて、刀ではじき落とす雷刃丸。何かが地面にぽとりと落ちる。
(こ、これは?)
それは、人差し指の先ほどの銃弾のような手裏剣だった。急所に当たったら致命傷だ。だが、その凶弾が矢継ぎ早に、何発も打ち込まれる。でも、普通なら防戦一方になるところを、この雷刃丸は、とんでもない男だった。体の急所を豪刀で隠しながら、前に飛び出し、傷を負うことを覚悟して、そのまま攻撃に転じたのだった。数発の凶弾が、顔や肩をかすめたが、そのまま間合いに近づくと、巨大な豪刀がうなりをあげた。しかし、疾風は不敵に微笑を浮かべたまま、後ろに大きく飛び退き、今度は両方の袖の中から鋼線のついた鉄の爪を発射した。鞭のようにしなり、突き刺さる鉄の爪がえぐりとるような破壊力、しかも、細い鋼線にふれれば肉体はすぱっと切断されてしまう。しかも、それが、左右から休むまもなく襲い掛かる。だが、雷刃丸は少しもひるまず、何度も襲い掛かる鉄の爪をぎりぎりでかわしきると、重い剛刀を右手に持ち替え、左手で小刀を抜いた。
「うぉおおおおお!」
そして、小刀で鋼線をからめとり、剛刀で、鉄の爪をはじきながら斬りかかった。だが、疾風はわざと鋼線を切り離すと、試合を楽しむように、背中に隠し持った仕込み槍を取り出した。そして伸縮自在の仕込み槍で、剛刀と互角に渡り合った。
「す、すごい。この二人、どちらも予想以上ですね。」
「ここまでやるとはのう…。」
奥で見ていた光秀と有楽斉も感嘆の声を上げた。
その時、草陰で遠目に御前試合をじっとうかがう人影があった。
「ま、まさか、あの剛刀の侍は…。」
「どうかなされたんですか? 先生。」
山城に近づいてきた未月と雄山であった。雄山は、なぜか雷刃丸を見つけると、目を丸くして唇を震わせていた。
剛刀がすさまじい威力で、仕込み槍をはじきかえし、疾風は、バランスを失った。
「もらった!」
そこを逃さず、大きく振りかぶる雷刃丸。だが、疾風はわざと誘ったかのように倒れ込むと見せかけながら、刀を振り上げた雷刃丸をめがけてあの銃弾のような手裏剣を放った。あわててはじき返す剛刀。
「くっ!」
かろうじて、急所をはずしたものの肩や袖が切れて、着物がずたずたになった。
だが、試合は、突然終わりを迎えた。なんとすぐ近くで銃声がとどろいたのだ。
「何事だ。」
勝家がいきりたった。
山城の奥の樹海の中から、次々と足軽が出て来て、銃を構えている。あの、どこぞの戦国大名の探索隊が、織田信長がいると知ってか知らずか、攻勢をかけてきたのだ。
さすがの雷刃丸も疾風も試合をやめ、身構えた。信長は少しも臆せず、立ち上がると、大声で命じた。
「武芸者は全員召抱える。今すぐ織田の探索隊として初仕事じゃ。やつらを迎え撃て、隠し金をわが軍のものとせよ。」
「親方様は、早く城の中へお入りくださいませ。」
勝家が駆け寄った。黒人のヤスケと森三兄弟に守られながら、信長が移動を始めた。
斜め後ろから鉄砲隊の援護射撃を受けながら、数人の武将と足軽が切り込んできた。武芸者達は、急なことに戸惑いながらも、早くもそれぞれに動き出し迎え撃つ準備を始めた。
「先生、危険です。ここは引き上げましょう。」
未月が雄山の袖を引き、うながしたが、雄山はずっと雷刃丸を見たまま動こうとしなかった。
「先生、どうしたんですか、先生。」
未月の言葉に、雄山は、指差しながら言ったのだ。
「あの剛刀の侍を見ろ。着物が破け、胸がはだけている。ほら、見えるだろう。」
「あれはもしかして…。」
雷刃丸のはだけた胸に、不思議なイレズミのようなものが見え隠れする。
「そう、やはり間違いない。平戸の診療所で私が診察した例の男だ。体の数箇所に地図が描かれている…。」
その時、大きな爆発音がした、兵庫屋俊介が、物陰から走り出し、爆薬をばら撒いたのだ。その背中を爆風が追いかける。爆弾男の不意打ちで、援護射撃の鉄砲隊は吹っ飛ばされた。それを合図に武芸者舞台が反撃に転じた。
「おい、権佐、金牛、俺たちで突っ込むぞ。」
雷刃丸が、先陣を切って飛び出し、そこに大金槌ととげ鞭の両巨漢が従った。
剛刀がうなりをあげ、大地を揺るがす巨大な槌が土煙を上げる。そして竜巻のようにうねりながらとげ鞭が押し寄せる、敵の武将たちの隊列が崩れ、吹っ飛ばされ、転がり、ちりぢりになっていく。そこをすかさず狙っていく武芸者たち。
大 きくジャンプして飛び掛ったのは、斧を使う山男、カブトや鎧を一発でかち割っていく。兆次の小刀が、鎧の継ぎ目を突き通し、狐塚の仕込み槍が、かくし針がとどめを刺す。
あちこちで、乱戦に突入したころ、信長はすでに城に引き上げ、周りに置かれていた台や荷物が片付けられ始めた。その時、一人の灰色の影が、武芸者たちの集団から飛び出し、荷物を片付けていた勝家の配下に襲い掛かった。
「しまった。敵の手の者だったのか。」
あわてる勝家、だが、その時、武芸者隊の中から、巨大な手裏剣が追い討ちをかけた。
灰色の裏切り者は、その手裏剣をひょいとかわし、何かを探し始めた。
手裏剣を放った男が、駆けつけ、切りかかった。
「やはり正体を表したな、逃がしはせぬ。」
勝家の配下に襲い掛かったのはあの雷刃丸と死闘を繰り広げたまさかの疾風、そこに斬りつけたのは、あの不気味な黒い忍者、鋼であった。
だが、一瞬早く、疾風はあの隠し金の地図を懐にしまいこんでいた。
「もう、ここに用はない。」
疾風は、さっさと逃げにかかり、煙だまを使って目くらましをかけ、樹海へと走り出した。
「おのれ、逃がすものか。」
黒忍者の鋼がかじりついて追いかけると、その後ろから、鬼流門の波流貴が追いかけて、とんで行った。
「波流貴、なんでここに。」
目を丸くして驚いたのは、姉の未月であった。裏の世界の暗殺業を生業とするもう一人の総帥がなんでここに!
やがて、どこから沸いて出てきたのか、灰色の忍者たちがあちこちの物陰から姿を現し、疾風のまわりを固め、追跡を阻もうとする。それに答えるように、城のあちこちから黒い忍者たちが集まり、地図を取り戻そうと、乱戦となる。
疾風は走りながら着物を脱ぎ去り、他の忍者たちと見分けのつかない灰色の忍者姿となり、樹海へと消えていった。
それを追いかける黒い忍者たち、集団で樹海へと飛び込んでいく。
「地図が盗まれたぞ! あっちだ、あっちだ。」
さらに武芸者たちも、苦戦していた大名の探索隊も、目の色を変えて樹海へとなだれ込んでいく。
戦いは、緑の海の中へと広がっていった。
「雄山先生、ここにいると戦いに巻き込まれるかもしれません。大急ぎで、離れなくては!」
「おう、わかった。急ごう。」
「こっちです。」
未月は、雄山の手を取ると、慌ただしく走り出した。
「これは? いったい何が起こったのじゃ。」
山城へと馬を飛ばしていた天輪一行は、突然の銃声と時の声に戸惑っていた。三人は馬を降り、峠から、それを眺めていた。
「幕府の隠し金の亡霊が、上洛した織田信長や忍者たち、武将や悪鬼羅刹の類を呼び寄せたのですよ。」
ふと気がつくと、旅の僧が、三人のそばに立っていた。まさか、いくら銃撃に気をとられていたとはいえまったく気配を感じなかったが…。天外は、驚いて目を見張った。自然体のすがすがしい若い僧であった。
「比叡山の嶺の法師の傘下、奏胤と申します。」
「そうであったか。それならば話がはやい。明智天輪です。」
山城の戦いは、樹海の中へと広がって行き、激しさを増していった。
「…なるほど、織田信長の集めた裏武道の武芸者たちと、二つの忍者たち、大名の探索隊が隠し金の地図を奪い合い、そこにあやつらの影が…。」
「はい、間違いなくやつらが関わっています。冥道衆です。」
それを聞いていた天外の目がギラッと光った。
「やつらは以前から幕府の隠し金を狙っていた。やつらはその金を元に、この世を裏から支配する気だ。やつらに隠し金を渡したら大変なことになる。」
「しかも、そのほかにも、修験のものや、まさかの鬼流門の者、さらには正体不明の軍勢まで紛れ込んでいて、非常に危険な状態です。」
「なんと鬼流門まで…。魔がさらにおおきな魔を呼び寄せたか。これはただではすむまい。」
天輪の言葉を、カザルスが遮った。
「正体不明の軍勢とは、きっとわが母国の精鋭部隊ではないかと…。」
「われわれも心してかからなければなるまい。奏胤殿、お力を貸していただけますね。」
「もちろんです。こちらからもお願いいたします。」
「ところで、なんで、あの鉄砲の部隊は、織田信長が武芸者を集めた中にわざわざ攻めていったのでしょう。」
「実は、織田信長は、御前試合の勝者に隠し金の地図を与えると言ったそうです。ですから、きっとあの会場に…。…」
「そうか、あの場所に隠し金の地図が!」
「ただ宝の地図には、壱の地図と弐の地図があるといい、弐の地図は行方不明といわれています。無駄な血が流されなければよいのですが。」
「天輪様、急ぎましょう。」
天輪たちは、馬を隠し、静かに峠を下って行った。
すぐ近くで爆発音が聞こえ、あちこちでただならぬ殺気が交差する。戦いは乱戦状態になり、山の中腹まで広がってきた。
「予想以上の早さだわ。このままでは危ない。先生、急いでください。こっちです。」
さすがの雄山も顔色を変えて、必死に未月について走る。
「危ない、伏せて!動かないで。」
二人は、茂みの中に身を隠し、息を殺した。二人の灰色の忍者とそれを追いかける黒い忍者が、すぐ近くを戦いながら駆け抜けていく。
「う!」
「しまった!」
飛び交う手裏剣がいくつか、風を切り裂いた。忍者たちが去った後、苦痛に顔をゆがめる雄山を見れば、右足に手裏剣が突き刺さっているではないか。
「先生!」
「大丈夫。この程度なら自分で治療できる。」
急いで手裏剣を抜き、止血する。あっというまに手当てはできたが、激痛で歩くのはとても無理だ。
「先生、肩を…。」
「す、すまん。」
よたよたと歩き出した二人。だが、また茂みがガサガサと揺れたかと思うと、二人の大きな人影が飛び出してきた。まずい、今、敵に見つかったら命がない。未月は身構えた。
「…ようよう、あんた平戸の診療所の確か雄山先生だろう。やっぱりここに来ちまったか、どうした、やつらにやられたか。」
「おぬし、やはり…。」
巨漢の権佐を引き連れて現れたのは、雷刃丸だった。
「先生は手裏剣を受けて歩けないのだ。いったい何の用だ。」
未月がきっと見据えると、雷刃丸はさっさと近づきながら言った。
「命の恩人が困っているのを放っておけないからな。この近くに炭焼き小屋がある。そこまで案内する。ほらほら、どうしようか迷っているひまはないぜ。」
雄山はすすんで身を預けた。権佐が進み出て、雄山を軽々と担ぎあげた。
「先生、すぐだから、我慢してくれよ。」
雷刃丸は、あたりを警戒しながら山道を進み始めた。未月は人型の書かれた呪符を取り出すと、それを空中に投げた。
「お願い。波流貴を呼んできて。力を借りたいの。」
呪符は、風に乗って、樹海の中へと消えて行った。
小さな炭焼き小屋に、雄山は運び込まれた。
「ここでしばらく休むといい。すぐ下に谷川があるから、今水を汲んでくるからさ。」
「おらが行ってくる。あんたがたはここで先生をみているといい。」
権佐がやさしく言葉をかけ、すっと小屋を出て行った。
「この小屋は安全なのかしら。」
未月が心配してつぶやくと、雷刃丸が静かに話し出した。
「まず平気だろう。やつら、壱の地図を手に入れたということは、一の沢の方向が、今頃たいへんなことになっているだろうよ。」
「壱の地図? おぬし、知っているのなら、教えてくれ。いったい何が起ころうとしているのじゃ。」
「先生、あんたももしや…。」
雄山の真剣なまなざしに雷刃丸は表情を固くした。
「ああ、お前さんを治療したあと、何もわからぬままに事件に巻き込まれ家族も殺され、診療所も失い、毎日びくびくしながら暮らしてきた。お願いじゃ、教えてくれ。いったい何が起きようとしているのじゃ。」
「あん時はへたこいてしびれ毒を盛られて、生死の境をさまよった。もうだめかと思った時、担ぎ込まれた診療所で命拾いをした。あんたは本当に命の恩人だ。だが、俺と関わったばかりにそんな目に遭わせちまって、本当にすまない。許してくれと言ってもすむようなことじゃないことはわかっているが、本当にすまなかった。俺のまわりでは人が死に過ぎた。だから今度こそ決着をつけようとここに来たんだ。」
「決着をつけるって、おぬし?」
すると、雷刃丸は着物をはだけ、厚い胸板を見せた。そこにはあの戦いのときにチラッと見えた不思議な刺青があった。さらに雷刃丸は上半身を脱いで背中を向けた。そこにはこのあたりの鮮やかな地図と弐という文字が彫られていた。
「これは? 弐の地図…。」
「いつか隠し金を役立てるために、俺の親父は幼い俺の体にこの地図を掘り込んだ。わが藤堂家が守ってきた室町幕府の隠し金の秘密を。」
「幕府の隠し金…。そんなものがここに…。」
「おれは秘密を守るため藤堂家を出され、人知れず育てられた。身を守るため剣術修行にあけくれ、自分の本当の素性も知らずに育った。だが、幕府の隠し金を狙うやつらが暗躍し、中でも灰色の忍者を操る、刀十郎という男が動き出してからは山のように死人が出た。おれの知らぬ間に、藤堂家はすべて惨殺、関係した者もことごとく命を絶たれた。おれは成人し、遺言の手紙ですべてを知ったものの、隠し金を受け取るはずの人間も、成すべき正義もすべては失われていた。やつらは怪しいとは思いながらも、この背中の地図には気づいていない。だが、ここで決着をつけなければ殺戮が繰り返される。これ以上、無益な血を流したくないのだ。」
「そんなに恐ろしいやつらなのか…。」
その時、炭焼き小屋の戸口がすっと開き、誰かが静かに入ってきた。
「おぬしは?」
「波流貴、来てくれたのね。」
波流貴は、小さくお辞儀をすると、慎重に口を開いた。
「灰色の忍者の頭領、卍の刀十郎は、ある大名に大金で雇われ、隠し金探しに闇を動き回った。その手口は残虐非道、証拠が残らぬように、関係したものすべて息の根を止めるというやり方で、その悪行は数知れず。京の刀道化惨殺、雷刃丸の育った山里の村は飲み水に毒を入れられた上に根絶、その後平戸の診療所、将軍の隠し金探索隊全滅に続き、つい最近ではこの樹海の近くの二つの山里から村人が全員消えた。何人もの民たちから、天誅の依頼が私の元に届き、その黒い影を追ってきたら、ここに行き着いたのだ。」
「…波流貴、雄山先生が大怪我して、力を貸してほしいのよ。」
「もちろん。俺のほうも今度ばかりは姉貴の力を借りなければと思っていた。卍の刀十郎に恨みを持つ者は、数え切れぬほどいる。やつは、見た目異常に警戒心が強く、灰色の忍者たちに二重、三重に守られていて、近付くとさえ容易ではない。」
波流貴はそう言うと、小さな紙を懐から取り出した。その小さな紙には埋め尽くすように血判が押されていた。
「これだけ血判があれば、強力な魔神を呼び出せる。いいわ。すぐにやりましょう。でも、その前に…。」
「わかった。雄山先生をすぐに安全な場所まで逃がしてくる。まかせてくれ。すぐに帰ってくる。それから実行だ。」
波流貴はすぐに雄山へと駆け寄った。そこに小山のような権佐が帰ってきた。竹筒に谷川の冷水を入れている。
「すまんな。みんなの足手まといになっちまって。」
「仲間が助け合うのは、当然のことだ。」
雄山は、再び権佐に背負われて小屋を出た。
「未月、よいか。今のわしらには帰る家がある。待っていてくれる皆がいる。決して命を粗末にするではないぞ。」
「はい、先生。では、お気をつけて…。」
星照院様が、お市が、宗助が、いつもの皆が胸いっぱいに浮かんでくる。そう、今の私たちは、私は、昔とは違う。
雄山は、波流貴と権佐に送られ、沢を下って行った。
「お願いです。刀十郎を討ち、この血塗られた戦いを終わらせるために教えてください。地図の秘密を。隠し金のありかを。」
未月はまっすぐに雷刃丸の目を見て言った。
「ああ、隠し金の秘密を、俺の知っていることをすべて話そう。俺の運命に決着をつける時が近づいたようだ。」
雷刃丸はあの剛刀をぐっと握り締めると立ち上がった。未月は、血判の押された神を握り締めて、それに続いた。時は風雲急を告げた。
一郎太は、山城の裏門から忍び込むと、まんまと城の中へと足を踏み入れた。ねらうは織田信長の首のみ。
「曲者だ。であえ、であえ!」
剣士の団十郎、含み針の鬼姫、髑髏の駕羅陀の三体のカラクリ人形が城内に出没し、見張りの武士たちをひきつける。変幻自在の動き、伸縮自在の剣技で撹乱する団十郎、たおやかな立ち姿のまま微笑んで毒針を飛ばす鬼姫、そして、不気味な駕羅陀の体中に見え隠れする骨は小刀や手裏剣、仕込み針になっていて一度に大量の相手を撃破する。
その間に、一郎太はまんまと城の奥に忍び込んだ。
「うう、何者だ。であ?!うぐ!」
お付きの武士を一突きにし、さっと階段を駆け上る。いよいよ織田信長のいるはずの上階だ。寂翠様の透視によれば、やつはこの奥にいるはず…。
だが、最初の大広間で待っていたのは、蘭丸、坊丸、力丸の森三兄弟であった。
「曲者!」
いきなり斬りかかる力丸、だが一郎太はすばやく刀を抜き、斬り返した。
「こやつできるぞ。三位一体剣だ。」
蘭丸の掛け声に、三人はさっと並び替える。右斜め前に蘭丸、左斜め前に坊丸、そして背後に力丸、三人は押しては引き引いては押し、、一定の間合いを保って、一郎太をじりじりと追い詰めていく。隊列を崩そうと一郎太がすばやく跳んだり、回ったりしても、三人は顔色一つ変えることなく三方から、一撃を狙って動き回る。
「三位一体の攻撃かわせるかな。」
こいつら、三方から一度に斬りつけるつもりだ。しかも、一人ひとりがかなりの腕前だ。焦った一郎太は、一人を倒して、突破しようと、右斜め前の蘭丸に切りかかった。
「かかったな。」
それが合図だった。一瞬も遅れることなく、坊丸と力丸が斬り掛かった。
「うぉ!」
だが、吹っ飛んだのは、三人の方だった。しかも三人同時に刀に強い衝撃を受け、吹っ飛ばされたのだ。床に倒れながら、蘭丸は、唇をかみしめた。
「な、なぜだ。今、われらの攻撃に一部の隙もなかったのに…。」。
一郎太は刀を莢に戻すと、すぐに次の部屋へと歩を進めた。
「おや、ここは…。」
その部屋は静まり返り、誰もいなかった。だが次の瞬間、一郎太の背後で、静けさを切り裂いて、何かが打ち下ろされた。
それは、戸口に隠れていた、巨大な黒い影の放った強烈な鉄拳だった。
「ぐほ!」
一郎太の体は宙を舞い、手ににぎっていた大刀は飛ばされて手元を離れた。
「し、しまった。」
長身の黒人ヤスケは、鋼の手袋をつけ、胸の前で拳をかまえた。
「ヘイ、ボーイ!」
慌てて刀を拾おうと手を伸ばす一郎太。だが、そこに容赦なく黒い稲妻のような鉄拳がつきささる。もう少しで手が届くというところで、大きく振りかぶった横殴りの拳が、こめかみの辺りを捉え、倒れこむ。さらに襲い掛かってくる拳を避け、一郎太は、ヤスケの下半身につかみかかり、何とか倒そうと突進する。だが、今度は強烈な膝蹴りで動きを止められ、上から二つの拳に打ちすえられ、長い大きな足が蹴り上げる。
ぼこぼこにされ、吹っ飛ぶ一郎太、しかしその目は死んでいなかった。
とどめを刺さんと向かってくる黒い影。一郎太はゆらりと立ち上がった。
「斬る!。」
拳が突き刺さる直前、一郎太が小さく、しかしはっきりとつぶやいた。その時、ヤスケの顔が瞬時にして驚愕の表情に変わった。
一郎太の体の回りに、二本の巨大な剣が現れ凄い勢いで振り下ろされたのだ。
「ばかな!」
何が起きたのか、ヤスケは、鋼の拳で頭と胸を守るだけで精一杯だった。全身に衝撃がはしり、後ろに吹っ飛ばされたのである。
倒れこんだヤスケに目もくれず、一郎太は、さっさと最後の部屋へと進んで行った。
今なら、やれる、今ならどんな剣豪でも、魔界の手先でも打ち破ることができる。自分には神速の剣があるのだ。
だが、最後の部屋はなぜか薄暗く、織田信長の影はすでになかった。ただ不気味な銀髪の怪僧が一人、座っているだけであった。
「遅かったのう。信長様は、もう安全なところに移られた。」
「お前は、いったい?」
怪僧は、その問いには答えず、底知れぬ殺気を放ちながら続けた。
「だが、ここでおぬしも終わりじゃ。ここまでよく来たと褒めてやる。」
「どけ。どかないと、容赦せぬ。」
「ほほう、おぬしにこの私が斬れるかな。」
「斬る!」
その直後、一郎太の全身から、殺気がほとばしり、巨大な剣が現れるや否や、振り下ろされた。
「うぉおおお!これは!」
な、なんと脳天から真っ二つにされた怪僧は、にやっと微笑んで言葉を続けた。
「ほう、鬼人おろしか。さすがだ。だが、おぬしまだまだ若いのう。」
巨大な剣が消えると同時に真っ二つになったはずの怪僧の傷が見る見る元に戻っていく。
「こ、これは、幻術か。」
「ほう、幻術というか。それならば、これはどう説明する。」
その瞬間、怪僧の顔に鋭い狼のような恐ろしい影が重なって見えた。そして、突き出された右手のひらから、まがまがしい紫色の光の球が発射された。
「わああああああ!」
一郎太は壁まで吹っ飛ばされ、そのまま気を失い、前のめりに倒れ伏したのだった。
気がつくと、一郎太は、がんじがらめに縛られ、首を押さえつけられたまま、山城の前に引き出されていた。まわりには織田の家臣が出陣のいでたちで集まり、鎧のぶつかる音や、馬の蹄の音が響き渡っていた。
そこに、ひときわ立派な黒駒が表れ、近づいてきた。その周りには、あの森三兄弟やヤスケが従い、馬上には、西洋の鎧に身を固め、マントをひるがえす信長がいた。
「信長様お気をつけなされ。そやつ、魔界の技を使いますゆえ。」
「ほほう、こんな若者が命を狙って城の奥まで来たとは。」
蘭丸たちが、一郎太のまわりを取り囲み、身構えた。
「少しでもおかしなまねをしてみろ、首を斬り落とすぞ。」
信長は、一郎太をしげしげとよく見た後、一言言い放った。
「この若者を差し向けた黒幕をはかせろ。言わなければ即刻打ち首にせい。」
「はは、かしこまりました。」
「もう、こうしてはおれん。猿、地図に記されていたという、壱の沢まで案内せい。」
藤吉郎が、さっと進み出て顔を上げた。
「どうしても参りますか。危険ですぞ。」
すると信長は、怒鳴りつけた。
「ばかもの、この山城にいても今、命を狙われたばかりぞ。」
「はは、すぐに出発いたします。」
信長は、おもだった武将を引き連れ、馬を走らせた。
上洛はした。だが、足利将軍は勝手なことばかりするし、今や敵対する勢力に囲まれるし、ここが正念場じゃ。隠し金を見つけ出すことが、どうしても必要なのじゃ。
だが、一の沢に向かう隊列の中には、あの怪僧の一行の顔があった。
信長は黒い影を背負い込んだまま、樹海の中へと消えて行った。
二人の灰色の忍者を追いかけ、数人の黒い忍者が樹海の中を飛び回っていた。樹海の奥は、巨木が茂り、昼間でも薄暗かった。その時、先頭の黒い忍者が立ち止まった。
「どうした!」
「気をつけろ、やつだ。」
灰色の二人の忍者の近くに姿を現した人影、顔に深い傷がある。
「く、刀十郎、のこのこ出てくるとはなあ、死ぬがよい。」
だが、刀十郎は、黒い忍者を十分ひきつけると、あのぞっとする冷酷な微笑を浮かべた。
「な、なに!」。
突然刀十郎の周りを囲むように数人の忍者が姿を現した。そして、さっと背中の忍者刀に手をかけ、身構えた。そこに前後左右から飛び掛る黒い忍者たち。
だが、それと同時に、銃声が響き渡ったのだ。
「われらの、鋼の忍者カタビラを突き通すとは…。ば、ばかな。」
黒い忍者は一人残らず、地に伏し動かなくなった。なんと灰色の忍者の持っていた忍者刀は仕込みカラクリとなっていたのだ。鞘から引き抜くとそれは銃の銃身だった。そう刀十郎のまわりを固めていたのは、忍者鉄砲隊だったのだ。
「刀十郎様、お怪我はありませぬか。」
「ふふ、これで邪魔なハエは大方片付いた。壱の沢の探索隊に合流するぞ。」
「はは。」
灰色の忍者たちは、あっという間に、樹海の奥へと消えて言った。
だが、再び静けさのもどった森の木を踏みしめ、巨大な人影が近づいた。
「やはり、刀十郎はおとり、誘導作戦であったか。だが、これで勝ったと思うなよ。」
それは僧兵の衣装をつけた冥道衆の鋼猿だった。
「壱の地図をおとりにして、弐の地図をあぶりだしにかかったが、これ以上時間をかけていたら、銀狼様に叱られてしまう。」
鋼猿は、僧兵の衣装を脱ぎ捨てた。鎧に包まれた忍者の姿である。
(わしが手塩にかけて育てた鋼の忍者たちを…。魔界忍術…怨念甦り。)
そして低い声で、呪文を唱えた。すると、今まで倒れていた黒い忍者たちの体に、まがまがしい血管が浮かび上がり、手足がぴくぴくと動き出した。
そして筋肉が盛り上がり、体に打ち込まれた銃弾がボロリと飛び出し、ぞっとするような力を得て、立ち上がったのだ。
「刀十郎への憎しみを力とせよ。これよりやつらを追って、壱の沢に向かう。よいな。」
「ガウ。」
黒い忍者は獣のような唸り声を上げ、魔界の邪気を振りまきながら、人間とは思えない素早さで、樹海の中へと消えて行ったのだった。
「お、あれを見ろ。ついに見つけたぞ。」
そこは壱の沢、木々に隠された険しい崖の下を苔むしたせせらぎが流れていた。先発の灰色の忍者たちが、手に入れた壱の地図を解読し、探し回っていたのだ。
「天狗岩の上、鬼の口とある。あの岩があやしいぞ。」
苔むした巨岩がごろごろしているこの辺りで、天狗や鬼を見つけるのは至難の技だった。だががけのきわに鬼の角のような二つのでっぱりのある岩があったのだ。
「鬼の口というとこの辺りか…。お、動くぞ。」
鬼の岩の下に手をかけると岩が容易に動く。下が整地されているのだ。
「間違いない。早く、お頭様にご報告だ。」
岩が半分ほど動くと、その裏に、小さな洞窟のようなものが見えてきた。やった、もうひとがんばりだ、と岩を押す手に力が入ったとき、静けさを切り裂いてほら貝の音が高らかに響き渡った。
「いたぞ、見つけたぞ。みなの衆!」
「く、あと一息のところを…。」
樹海の中から、修験の男と、雑兵が飛び出した。その後ろには、鎧の武将も見える。今度は、あの探索隊が、鉄砲隊のほかに新手の弓矢隊も引き連れ,体制を整えて乗り込んできたのだ。たちまち飛び交う弓矢や銃声,忍者たちも、手裏剣や弓矢銃で応戦する。だが、その時、突き進む武将たちの前に、爆音とともに火柱が立った。
「く、やつらまで追いついてきたか。」
忍者たちは唇をかんだ。そう、裏武芸者隊も、沢の下流の方から迫ってきたのだ。火薬師の俊介が早速得意の爆薬で、足止めをかけた。
「接近戦に持ち込まれると負けだ。やつらを近づけるな。」
探索隊の鉄砲と弓矢がいっせいに向きをかえる、沢の大岩の陰に身を寄せる武芸者隊。その隙を縫って、鬼の口から宝を持ち出そうと動き出す忍者たち。それを阻止しようと、また弓矢が狙い打ちする。
「く、くそ。」
鬼の口の灰色の忍者、樹海の探索隊、巨岩の砦の武芸者隊、戦いは三すくみ状態となり、三者の睨み合いが始まった。
天外は走っていた。あの異形の軍隊の先回りを命じられ、ひたすら走っていた。
「このままでは、あの樹海の中に入られてしまう。その前になんとかせねば…。そうだ、あの山城の前をつっきって…。」
天外は、方向を変え、覚悟を決めて、山城の前に飛び出した。
「うう、なんだ、これは?」
山城の留守を預かっていた織田信長の配下の武士たちが、ばたばたと倒れていた。天外は、まだ息のある一人の武士に駆け寄った。
「おい、大丈夫か。いったい何があった。」
「カラクリの化け物が…。あの大罪人を連れ去った。信長様に、このことを…。」
武士は事切れた。そのそばには罪人を縛る縄が、切られて転がっていた。
「いったい、何が…。いや、こうしてはいられない。急がねば。」
天外は、樹海の入り口に走り出すと小さな宝刀を一箇所、二箇所と地面に打ち込んで行った。近くの藪の中を、底知れぬ冷気に包まれた魔界の隊列が近づいてくる。
「天輪様、整いました!」
天外が合図を送ると、近くの崖の上にカザルス神父と僧の奏胤と控えていた明智天輪が動き出した。
「雷神来撃決壊。」
天輪が院を結ぶと、その瞬間、藪の中に電撃が走り、火花と煙が立ち上り、隊列の行進が止まった。
「滅せよ。」
兵士たちの体が、電撃で痙攣をおこす。蒼白い兵士は、次々に力なく倒れていく。だが、あの不気味な商人は、体を震わせ、倒れることなく立ち続けていた。
天輪が真言を唱えると、さらに激しい雷撃が、つきささる。
「もう、これで銃は使えまい。ううぬ、なんと強力な西洋の魔神よ。滅するがよい。」
その時、苦痛に顔をゆがめながら、あの商人が右手を振り上げた。いつの間にか、その顔には二重に恐ろしい悪魔の顔が見える。すると、あたりを揺るがす、不気味な羽音。右手から、何羽もの黒い鳥が飛び出し、決壊の壁に突進していく。
「簡単に決壊を敗れると思うな。天外、心せよ。」
兵士の最後の一人が、ひざから崩れ落ちる。黒い鳥が、雷撃に次々に打ち落とされる。だが、魔界の冷機の中兵士たちはまだぴくぴくと体を震わせ、悪魔もしぶとく天輪をにらみつける。戦いは熾烈を極めていた。
未月と雷刃丸が駆けつけたとき、壱の沢では、三者の睨みあいが続き、一触即発の戦況であった。大岩の陰で金牛たちが、二人を出迎えた。
「ご覧の通りだ、忍者の本体屋あの探索隊と違って、こっちには飛び道具がない。このままじゃ、どうにもならない。」
「まずかったわ。波流貴はまだ来ない。でも、のんびりはしていられない。」
兆次が、灰色の忍者たちを見回して言った。
「どうも、あの鬼の岩の奥にお宝がありそうなんだ。間違いはないのかねえ。」
未月は雷刃丸を振り返り、問いただした。
「そうだ、隠し金には、壱の地図と弐の地図があるって言ってたわよね。宝が本当にあそこにあるのかどうだかあやしいものだけど。どうなの、雷刃丸。」
すると雷刃丸は、神妙な顔をして答えた。
「たぶん、隠し金はあそこで間違いねえ。壱の地図は、親父が見せてくれたことがある。だが、謎の言葉が少し異なるだけで、あとは弐の地図と、まったく同じなんだ。二つの地図の意味はわからないが、場所は同じ、あそこに間違いはない。」
金牛が、進み出た。
「ぐだぐだ言ってる時間はない。早くしないと、あの忍者どもにお宝を運び出されちまうぞ。俺は、あんたに従う。どうしたらいい。」
いつの間にか、皆の視線が雷刃丸に集中していた。一匹狼の寄り集まりだった武芸者隊は、今、一つにまとまろうとしていた。雷刃丸は、未月に確認した。
「で、その魔神ってやつを呼び出すには、どうすればいいんだい。」
「そう、魔神を呼んでいいのね。」
未月はさっと走り出すと、呪符を取り出し、大岩を中心に大きな結界を作った。
「これで準備は整った。。でも、もう一つ厄介なことがあるわ。」
未月は、鬼の岩を指さして言い放った。
「最大の魔神の一つを呼び出すの。でも、そのためには、あの岩のすぐ前まで行かなくてはならない。」
兆次が思わずつぶやいた。
「あの岩の前? 今飛び出したら死にに行くようなもんだぜ。」
でも、未月はきっぱりと言い切った。
「別に、誰もついてくる必要はないわ。私が、一人で行ってくるから…。」
歩き出そうとする未月を雷刃丸が止めた。
「待て待て、俺が一緒に行こう。タケルとかいったな、おまえも一緒に来てくれ。この大岩づたいにそっと近づく。兵庫屋は爆薬で、あの山武士たちをここで牽制してくれ。徳永は俺たちが帰るまでこの場所を守ってくれ。兆次と金牛、狐塚は後ろから、俺たちを援護してくれ。いいな。」
あの山男、タケルが、音もなく未月の前に進み出た。皆無言で、それぞれに動き出した。未月が、ここを守る徳永に振り返って言った。
「これから、鬼流門の術で魔神を呼び出すわ。安全なのはこの大岩を中心にした結界の中だけ。後から仲間が来たら、結界の中に入れてあげてね。お願い。」
「よし、出発だ。」
山男タケルは、慣れた足取りで、険しい沢の大岩をものともせず、先頭に立って、物陰から物陰へと、二人を導いた。せせらぎの音が足音を消し、少しずつ近づいていく。突然大きな爆発音。兵庫屋が、爆薬を投げつけたようだ。さきほどの大岩の辺りに向かって、銃弾や矢が飛び交う。タケルが、振り向いてつぶやく。
「すぐ右の岩に見張りの忍者がいるだ。」
雷刃丸が後ろに目で合図を送る。兆次がさっと小刀を投げ、再び姿を消す。見張りの忍者は、胸を押さえて流れの中に落ちた。
「やばい、気づかれたぞ。」
二人の忍者が鬼の岩を離れ、手裏剣を放ってきた。
かろうじてかわす。だが、二人の忍者は、やられた仲間の位置からこちらの接近を察知し、一直線に向かってくる。雷刃丸が飛び出し、剛刀で応戦しようとした。だが、忍者はせせら笑った。
「ばかめ、そんな長いものを、ここで振り回す気だ。」
せせらぎやぐらぐらする石で足場が悪いうえに、大岩の隙間を縫って進んでいるので剛刀を振り回すのはかなりの制限を加えられる。
「そんなこと、承知の上よ。」
雷刃丸は、長い剛刀を正面に構え、槍のように突きまくった。
「ふ、少しはやるな。」
だが、忍者は岩の隙間をうまく使い、難なく交わしてしまう。そして大岩に飛び移ると岩陰から、刀を振り下ろした。剛刀が岩にぶつかり、腕が止まる。
「しまった!」
さすがに雷刃丸もここまでかと思われた。が、それ以上に身軽なタケルが、さっと飛び出し、ナタではねかえした。二人目がせせらぎの方から、未月のすぐ前に走り寄る。
「水陽炎の術!。」
未月がすばやく呪符を使うと、水しぶきがきらきらと辺りを包み、その刹那、大岩に照り返す水陽炎の中に、未月の姿が消えて行ったのだ。目標を失い、立ち止まる忍者。だが突然岩の間から伸びてきたトゲの鞭によってぐるぐる巻きに去れ、流れの中に引き込まれた。金牛だ。大岩の陰から、水しぶきを上げ、忍者を引き寄せにかかる。
さらに、タケルと飛び回っていた忍者が、突然首を抑えて、もがきだす。岩の上から、顔を出した狐塚が、仕掛け槍の鎖のついた穂先を伸ばし、その首を吊り上げたのだ。
その時、鬼の岩の方からのろしが上がり、叫びが起こった。
「岩が動いたぞ。やった、財宝だ、財宝だ。」
やはり鬼の岩に宝はあったのだ?!
周囲の視線が一瞬、その声の方に注がれた。今だ!一刻の猶予もない。未月が鬼の岩めがけて、走り出した。追う雷刃丸。
「今しかない、雷刃丸、私を、この天狗岩の向こうに飛ばして。」
「よし、俺の肩に飛び乗れ。」
未月が背中から肩に飛び乗ると、一瞬にして、雷刃丸が、投げ出した。岩の上で弧を描く未月。岩と岩の間にくるりと着地すると息を殺して岩陰に走った。探索隊と撃ち合いをしている忍者たちのすぐそばだ。そしてさっと鬼の岩の近くに身を隠すと、懐から小さな種のようなものを取り出した。そして、それを、岩のすぐ前、樹海へと続く土の中へと静かに埋めた。
「帰るわ。みんな急いでここから離れるのよ!」
そして、転がるように、もとの大岩を目指しかけだしたのだ。その時、地鳴りがおこり、樹海がざわめいた。鳥たちが一斉に飛び立ち、山が唸りを上げた。ただならぬ気配に、武芸者隊の面々も、急いで戻り始めた。
その時、沢を見下ろす尾根に、灰色のもう一つの忍者たちが姿を現した。
「お頭様、赤の狼煙が上がっています。宝が見つかったようです。」
だが、顔に刀傷のある男の顔は厳しかった。
「なんじゃ、この地鳴りは? しかも、あちこちに敵がうじゃうじゃしとる。」
「いかがいたします。」
しかし、刀十郎は、冷酷に即答した。
「いつもどおりじゃ。すべて始末せよ。」
そして、忍者たちは、斜面を駆け下りて言った。
だが、すぐ近くの山道を黒雲とともに、近づいてくる者たちがいた。魔界の黒い忍者たちである。
「止まれえ。なんだこの地鳴りは…。まさか…。おや、あれは? 追いついたぞ。刀十郎め。思い知らせてやる。」
冥道衆の鋼猿が、黒忍者の鋼を呼びとめ、まがまがしい小刀を手渡した。
「強い魔力を持った魔剣だ。これで、刀十郎の心の臓にとどめをさせ。わしは、もう一人呼びに行かねばならない。存分に暴れまわれ。」
「グルルル、はは、かしこまりました。」
獣人忍者たちは、斜面を駆け下りて言った。鋼猿は、山の中腹に向かうと、大声で呼びかけた。
「幽鬼丸、どこだ、来ているのだろう。」
しばらくすると、おぼろな光が揺れ、人影が静かに降り立った。
「はあ、待ちくたびれちまったよ。いよいよかい。」
「あの地鳴りを聞いたか。また鬼流門が動き始めたようだ。あいつはいるか、来ているか。」
「鬼流門?まちがいないだろうな。ああ、呼んであるぜ。」
「うむ、この気配は鬼流門に違いない…。」
その鋼猿のことばを聴いた途端、近くの闇がうごめいた。
「鬼流門だと!本当か。あの小娘は来ているのだろうな。」
闇が大きな鎧武者の姿となり立ち上がった。
「黒武者よ。いきりたつな。やつらはまちがいなくここに来ている。おまえの力を借りるぞ。」
黒武者の闇の鎧がガシャガシャと思く音を響かせ、巨大な魔剣が妖しく光る。
「今、行くぞ。鬼流門め!」
不気味な一段は山を一直線に下って言った。
「ほう、いったい何が起ころうとしているのじゃ。」
馬にまたがり、マントをひるがえして、人影が近づいてきた。誰でもない、信長が到着したのだ。沢の入り口に藤吉郎や勝家、光秀などの武将を置いて後ろからの敵に備え、少数の配下とともに前線にやってきたのだ。
大岩を守っていた徳永と兵庫屋がかけつけて頭を下げた。
「鬼流門の手のものと、わが武芸者隊が敵を一掃するために、魔神を呼び出しました。」
信長は、首をかしげた。
「魔神? そのようなものがこの世にいるはずもない。」
「信じる、信じないはご自由です。しかし、敵の種子島も危険ですので、ここから先は決してお近づきになりませぬように。こちらの大岩のそばが安全でございます。」
ますます激しくなるあたりの異様なざわめきが、信長を包み込む。
「よかろう、それでは、ここでしばらく見させてもらおうか。」
信長はそう言うと馬を下り、大岩の陰に武将を従えてどっしりと腰を下ろした。
そして、その瞬間、何かがはじけ、地面が大きく揺れた。
未月は、途中で振り返り、おびただしい血判の押された紙を取り出した。
「雄大なる木星の魂よ。人々のかけがえのない命に、流されたおびただしい血と悲しみに、行き場のない怒りと涙に答えよ。行け、魔神 樹王!」
その瞬間、種を植えた鬼の岩の地面から、物凄い勢いで何かが吹き上がった。あちこちで地面が割れ、揺れ、うねった。それは巨大な木となり、根が、枝が、どんどん樹海の中へと広がって行った。
「いったいなにが起きたのだ。ま、まずい、結界の宝刀が!」
すぐ近くの森で天外が叫びを上げた。突然の揺れに、西洋の悪魔を封じている宝剣がはじけ跳んだのだ。
あわてて、宝剣を戻しに駆け出す。だが、不気味な黒い鳥が、黒い流のように群れを成し押しかけてくる。
「うおおおおおお、天輪さまあああ!」
蒼白い兵士たちはピクピクと動き出し、再び隊列を作り始める。悪魔は耳まで裂けたその口で高らかに笑うと、再び前を指差した。
「国王陛下の名誉のため、進め、黄金はすぐだ。フハハハハハ。」
魔の行進が再び始まったのだ。
ちょうどその時、鬼の岩の洞窟の奥では、松明をもった灰色の忍者が、歓声を上げていた。目の前には金銀財宝がきらきらと輝きを放っていた。
「壱の地図だけで行き着いた。やった。ついに見つけたぞ。」
その時、洞窟が揺れ、天井から土砂が降り注いだ。
「また揺れた。揺れがだんだん大きくなる。誰か外を見てきてくれ。」
一人の灰色の忍者が鬼の岩の入り口に近づく。
「な、なんだ、これは。」
今まで大岩とせせらぎしかなかったこの沢が無数の枝と葉で埋め尽くされている。そして見ているうちにどんどん枝が広がり、みるみる樹海の一部と化しているのだ。あわてて飛び出そうとすると、つるや枝が手足に絡みつき、逃げても逃げても、体に巻きついてくる。
「そんな、ばかな…。」
忍者の足が宙吊りになり、やがて、動かなくなったのだった。
「ひけえ、ひけえええ!」
山武士や鉄砲隊の隠れている樹海はもっと悲惨だった。元からある森そのものが、枝を伸ばし、動き出し、襲ってくるのだ。東西南北どこへ逃げても逃げ場がない。つるがからみつき、根が足場を奪い、枝が進路をふさぐ。山武士が大きな声で真言を唱えると一瞬動きが止まり、逃げ出す。すると今度は落ち葉が生き物のように舞い上がり、顔に口に貼りつく。息ができない、言葉もしゃべれない。どんどん追い詰められていく。弓も火縄銃も役に立たず、津波のように押し寄せる緑のうねりの中に飲み込まれていく。足軽も、武将も関係ない。刀で斬ろうが、槍で突こうが、勢いを止めることさえできない。
「火だ、火をかけろ!」
刀十郎は、動く森を見て言い放った。忍者たちは火矢をつがい、松明を手にした。そして、押し寄せる緑の渦、その先端に火をかけた。パチパチと火がまわり、煙が立ち上り、あっという間に炎が広がって行く。
「ははは、いけるぞ。爆薬も容易しろ。風上だ、風上にまわれ!」
枝がざわめき、つるが炎を避けていく。刀十郎と配下の忍者たちは、確実に宝に向かって進み始めていた。
その頃、武芸者隊は大岩のそばにもどり、動く樹海をそっと伺っていた。
「おい、未月。ここは本当に平気なのかい。後ろには、織田の総大将まで来ちまったみたいだぞ。」
「樹王は、樹木を操り、周囲の森一体に力を及ぼすわ。でも、本体がやってきて、結界を破壊しない限り、ここの中で樹木を操ることはできないのよ。」
「おいおい、その本体がやってきたらどうするんだ。」
「フフ、安心して。樹王の弱点は、一度根をおろすと、移動できないこと。でも、それだけに、守りにまわったら、絶対的な力を発揮するわ。」
雷刃丸はそっとうなづいた。
「なるほど。でも、こんなにすさまじいと、肝心のお宝にはこちらもとてもじゃないが近づけないぞ。」
「すべてが終われば、どうにでもなるわ。ただ、まだ樹王は本体すら見せていない。これから何が起こっても不思議じゃない。それに、ここだけが安全だとわかったら、面倒なことが起こってくる…。」
その言葉が終わらないうちに、樹海から岩場に転げるように飛び出してきた人影があった。身軽な影と大きな影、そう弟の波流貴とあの巨漢の権佐だ。やっと追いついて来たのだ。さらに樹海を引きちぎるように不気味な一団が結界に足を踏み入れていた。
「ほほう、ここだけ魔性の力が働いていないと見える。」
一人の若い剣士が、あやしい三人組を連れて、あたりを見回した。
「ここにいたか織田信長。お命頂戴つかまつる。」
樹海から飛び出してきたのは、あの一郎太とからくり暗殺組であった。
大岩の織田信長のまわりは、ざわめきだった。森三兄弟が、ヤスケが武具をかまえて前に出た。だが、織田信長は不敵に笑った。
「よく、抜け出してきた、褒めてつかわす。裏武芸者隊よ。さっきの御前試合の続きじゃ、おぬしらの本当の力を見せてみよ。」
岩陰から、裏武芸者隊が立ち上がった。大岩の前は、瞬時に殺気を帯びた空間へと変わっていた。
「また、赤い狼煙が上がった。宝はすぐだぞ。急ぐのだ。」
火矢や爆薬を使い、枝やつるを切り払い、刀十郎たち、灰色の忍者たちの本体が、じわじわと宝に迫っていた。さらに、動く森の中を、まがまがしい火の玉が飛び交い、つるや枝が遠のいていく。魔界の獣人と化した黒い忍者たちも、どんどん近づいてきていた。
だが、その頃いっぱいまで巨大に枝を伸ばしきった樹王の本体に変化が起こった。そのごつごつした太い幹の中ほどに巨大な魔神の顔が浮かび上がったのだ。それと同時に、長く伸びた枝のあちこちに大輪の白い花が開き始めた。目のさめるような、美しいしかし妖しい花であった。
そしてがっしりした顎をびくんと動かし、目をかっと見開き、森全体を揺り動かすような言葉を発した。
「ウオオオオーン。」
すると、大地が大きく揺れ、地割れが走り、木々が激しく揺れた。
「な、なんだ。」
動揺する忍者たち。その直後、どこからともなく霧が立ち込め、地面のあちこちから、水が噴出した。
「く、くそー、火が、火が!」
「ひるむな。火薬を使え。」
突然の霧と、噴出した地下水が、忍者たちの炎を消し、その歩みを止めた。さらにその機に乗じて、動く枝やつるが再び押し寄せてくる。
「ウオオオーン。」
魔神が次の言葉を発した。
すると今度は、森中がガサガサとざわめき、霧の中に異様な殺気が渦巻き、黒い影が押し寄せてきた。
「なんだ、こ、これは?」
突然、一人の忍者の足元に黒い弾丸のように大きな塊が突進してきた。
「おおー!」
それは、牙を立てた猪だった。何頭も何頭もぶつかってくる。あわてて避けると、今度は鹿の群れがあたりをけちらして押し寄せる。狼も、うなりをあげて飛び掛る。吹っ飛ばされ、樹上に逃げ、地面に転がれば、蜂の大群が、ありの群れが襲ってくる。そう、森中の生きとし生けるものすべてが牙を剥いてきたのだ。
「ウオオオーン。」
もう一回森が震えた。すると、本体のそばの大きな建物ほどもある高い木が根を持ち上げ、ゆっくりと地面から立ち上がったのだ。そして、人間の手のように大枝を前方に伸ばし、地響きとともに歩みだした。何本も、何本もまるで軍隊のように隊列を組み、忍者たちに向かって動き出した。樹木の巨人たちは、走りぬけようとする忍者たちの行く手を阻み、唸り声を上げながら押し寄せた。
大きく広がった枝が腕のように押さえつけ、指のようなつるが体を締め付ける。下からすり抜けようとすれば、巨大な根に踏み潰される。刀も、手裏剣もまったく歯が立たない。
「刀十郎さまあああ。」
「宝はもう、目と鼻の先じゃ、爆裂弾を使って一気に走り抜けるぞ。」
森の一角に大きな火柱が立った。忍者たちは、最後の賭けに出た。
大岩のそばでは、寂翠の連れてきた若い男が不敵に進み出た。
「笹原一郎太、参る。」
一郎太が突き進む。その前に立ちふさがったのは居合い斬りの徳永だった。細い仕込み杖が冷たく光る。バサラの団十郎の前には狐塚が、髑髏(しゃれこうべ)の駕羅陀の前には少刀投げの兆次が立ちふさがった。後ろの岩陰には顔を隠した陰陽師とつづらを背負った黒子がじっと見守っていた。樹海から、大きな地鳴りと火柱の爆発音が合図の太鼓のように響き渡る。織田信長が見下ろす大岩の前、第二の御前試合が火蓋を切ったのだった。
一郎太は、木刀を下段に構えたまま、ずんずんと進み出た。徳永は仕込み杖を構え、一瞬の隙も見逃さないと、気合をこめて立ちふさがった。
一郎太は、不敵な態度でかまわず間合いをつめてくる。徳永の仕込み杖がひるがえり、一郎太を切り裂く…。かと思われたが、跳ね返され、宙に舞ったのは、細身の仕込み杖の方だった。木刀はそのまま下段に構えたままであったが、巨大な剣が頭上できらめいていた。
「そんな、ばかな…。徳永の剣の方が速かったのに…。」
皆、声を失った。
「まずは、一人。次は誰だ。」
岩陰から鋭い視線が一郎太を伺う。次に立ち向かったのは、自然を縦横無尽に駆け巡る山男のタケルであった。右と思えば左、下から来るかと思えば、岩の上から飛び掛る、変幻自在の動きに、さすがの一郎太も、簡単に手が出せない。だが、その戦いを見ていた未月と波流貴の兄弟は、険しい表情となった。
「姉貴、まさかあやつ、鬼人おろしを?」
「ああ、後ろにいるのが陰陽師の寂翠だ。一郎太、こんな形で姿を現すとは…。」
「姉貴、俺…。」
「そうね、そろそろ用意しておいたほうがよさそうね。」
その脇では、団十郎と狐塚が、一歩も譲らぬ戦いをしていた。団十郎の袖の中から、突然小刀が飛び出す。それを仕掛け槍で跳ね返す狐塚。二人とも岩の間をぬって走り出す。走りながら、今度は狐塚の細い針が団十郎を襲う。岩にはじかれ、刀ではじき返されるが、確実に追い詰めていく。大岩の陰に身を置くと、狐塚は、仕掛け槍の穂先に、狼の顎のような金具をはめ込んだ。これで挟み込めば肉は裂け、骨は砕ける。だが、狐塚より先に、団十郎が仕掛けてきた。なんと、岩と岩の間をぬって、刀を持った手が蛇のように伸びて迫ってくるのだ。二人はさらに攻撃を続けながら、結界のぎりぎりまで走って言った。
その頃、兆次は、不気味な駕羅陀に苦戦していた。駕羅陀は、くの字に折れ曲がった鋭い刃物を振り回し、ゆっくりと近づいてくる。そして、突然、骨だらけの体のあちこちから仕掛け武器が攻撃をしてくる。左手の指先から毒針が打ち出され、右肩の上からは砲弾が撃ちだされる。肋骨が開くと小刀が打ち出され、腰や口からは手裏剣が、飛び出し、兆次の小刀をことごとく跳ね返していく。
「八方封剣!」
兆次が早くも勝負をかけた。駕羅陀の頭上に九本の小刀が降り注いだ。兆次は、とどめの小刀を右手に持つと心臓に狙いをつけた。
「今だ!」
だが駕羅陀は少しも動ぜずその場から動こうとしなかった。体に九本の小刀が刺さるかと思った時、体のあちこちが開き、手裏剣や針が飛び出し、すべての小刀を打ち落とした。兆次が正面から投げた小刀は開いた肋骨の奥の闇に吸い込まれていった。
「やったか!」
だが、次の瞬間、兆次の投げた小刀が、そのまま兆次に向かって胸の奥から発射されたのだった。悪夢のようだった。小刀は、兆次の左肩をつらぬいた。
だが、とどめを刺そうと駕羅陀が近づこうとすると後ろの大岩が爆発した。爆風を受けて駕羅陀の動きが止まった。兵庫屋だ。兆次の窮地を救ったのだ。だが続けて投げた火薬は、爆発する前に手裏剣で打ち落とされた。
「くそ、空中で撃ち落とされちまうと、どうにもできねえ。」
「すまん兵庫屋、でもまだ俺はやれる、やらしてくれ!」
兆次の目はまだまったく光を失っていなかった。肩から小刀を引き抜く。兆次は、不気味に前進する駕羅陀に血染めの小刀を握り、食らいついていったのだ。
歩く巨木を突っ切った時、灰色の忍者たちは、もう数人しか残っていなかった。
「おお、あれが、鬼の口か。ついに来たか。だが、なんだ、この静けさは…。」
枝の茂った奥に鬼の形の岩があり、その入り口に運び出されかけた金銀財宝が輝いていた。だが、そのすぐ前に、魔神の顔の浮かび出た巨木が妖しい大輪の花をつけ、枝を広げていたのだ。
財宝の周りで、つるにからめとられ、動きの止まった忍者たちの姿が哀れであった。
巨木に浮き上がった魔神の顔は目を閉じ、静まり返っていた。先ほどまであれほど襲い掛かってきていたつるや枝までもが、何かを恐れるように押し黙っていた。
「お頭様、どうしましょう。鬼の口まで、一気に走りますか。」
「待て。この静けさの裏には何かある。うかつに近づくまいぞ。うむ?誰か来る。まさかやつらか?」
刀十郎は、残りの忍者たちを集め、なにやら耳打ちをした。
黒雲を従え、口から、炎の球を吐き、うなり声とともにまがまがしい影が近づいてきた。
獣人と化した黒い忍者たちがすさまじい殺気とともに追いついてきたのだ。さすがの獣人も、樹海に襲われ、霧にまかれ、獣や虫に追い立てられ、木の巨人に踏み潰され、数を半減させていた が、その憎悪のエネルギーはますます強く、すさまじいばかりであった。
あの鋼と呼ばれた黒い忍者が雄たけびを上げた。
「刀十郎はどこだ! もう、誰も俺たちを止められない。おまえを地獄から迎えに来た。出て濃い、決着をつけてやる。」
だが、確かに追いかけていたはずの灰色の忍者たちは刀十郎ともどもかき消したように、姿を消していた。
「どこだあ、刀十郎。鬼の口にもう入ったか。」
獣人忍者たちは、たけり狂いながら鬼の口を目指して、飛び掛った。
「ウオオオーン。」
だがその時、魔神の顔がかっと目を見開き、唸り声を上げた。その途端、魔神野巨木のあちこちの枝の大輪の花が妖しく揺れた。
「なんだ、この花は…。」
あっという間に妖しい香りが広がり、吹雪のように花粉が降り注いだ。
「ギャア!」
花粉を浴びた獣人の体から、白い煙が立ち上りみるみる毛皮が、皮膚が焼けただれ 、白骨化していく…。
「香りを吸い込むな! 花粉から逃げろ。」
あの黒い忍者の鋼が叫んだが遅かった。香りを吸い込んだだけで、体がしびれて動きが止まり、花粉がついたところから皮膚が焼けただれ、骸と化して行く。
「くそー、鋼猿様、お力を、私にお力を!」
鋼は、燃え上がる憎悪のまま体中から炎を吹き出し、巨大な火の球と化した。そして、鬼の口に向かって突進していったのだ。
「刀十郎、待っていろ!」
猛毒の花粉も焼き尽くし鬼の口を閉ざした鶴や枝を灰と化し、魔神の力を押しのけてたけり狂ったのだ。
だが、近くに来るのを待っていたように、ひきつけてから魔神の顔がうなりをあげた。
「グオーオオン。」
いつの間にか枝のあちこちで白い花が散り、家の柱のような、しかし先のとがった実がなっていた。うなり声とともに、その長い凶器のような実が、きしむような音を立てた。
「な、なに?」
大きな音とともに、その長い実がはじけ、打ち出され、宙を舞った。そのまま大きな木の杭となって打ち込まれたのだ。杭は鋼の胸を貫き、そのまま串刺しにして、地面に突き刺さった。
「ぐほっ!」
鋼は大きな唸り声を上げ、牙をむき、爪を立て、ひきぬこうともがいたが、やがて、がくんと動きを止めた。
黒い獣人忍者たちは再び全員むくろと化した。それを見届け、刀十郎たちが姿を現した。土遁の術で、土中に隠れていたのだ。
「ふ、口ほどにもないやつらよ。だが、この白い花があってはうかつにこれ以上近づけないな。」
刀十郎は、その刀傷のある顔に冷たい微笑を浮かべた。
「あともう一押しか。疾風よ。」
刀十郎は疾風に何か耳打ちした。
「な、なんと死人花の術とは…。それでは、お頭さまは…。」
「その時は、その時よ。お前は、お前の使命に命をかけよ。」
「ははっ。」
疾風は覚悟を決め、魔神の大木に向かって行った。
刀十郎は残りの爆薬をすべて集め、自らの体に巻きつけた。そして鬼の口に向かって進みだしたのだった。
沢の入り口では、樹海の猛威に足止めを食った一団が、立ち尽くしていた。
すぐ目の前で、枝がつるが、生き物のように動き、襲ってくる。
「藤吉郎よ、これはなんなのじゃ。殿は、殿はどうなったのじゃ。」
勝家が怒鳴り散らした。藤吉郎はおたおたとしながら、動き回っている。
「焦るでない。先ほどの偵察隊が、今全滅したとの連絡がはいったばかりじゃ。」
「もう、こうなったら、わしが出陣する。殿、待っていてくだされ、すぐお助け申す。誰か馬をひけえ。」
「待て、待つのじゃ、勝家殿。誰じゃ、殿が先陣を斬るのを許したのは…。」
織田の家臣がざわめき立っているところに、別の人影が近づき、声をかけた。
「安心召され。織田信長殿は、安泰じゃ。強力な結界に守られておる。」
「この非常時に、いい加減な気休めはやめてくれ。その方は何者ぞ。」
藤吉郎が目をぎょろりとさせて覗きこんだ。
その人影を見るや、光秀がささっと駆けつけ、ひざまづいた。
「叔父上、明智天輪様、それは本当でございますか。」
「な、なに!明智天輪といえば、利久様の師にして、鬼神を従えるという神通力の者と聞き及ぶが…。」
「これは失礼した。明智天輪と申します。織田信長殿は、しばらくは安心です。無理はなさらないよう、お願いします。」
聡明にして堂々たるその風格、織田の軍団が静まり返った。
勝家が進み出た。
「天輪殿、本当に殿は無事なのですね。しかし、しばらくとは…。」
「私の心眼には、織田殿の姿がはっきりと見えます。しかし、いくつもの邪気が、近づいている。」
「われらはどうしたらよいのじゃ。教えてくだされ。」
天輪は、天外、奏胤の二人を指し示し、言った。
「今、修練を積んだ配下を二人送り込みます。あなたがたは、ここで、殿の帰りを待つのです。」
天輪が進み出て樹海に向かって印を切った。すると、怪物のようにうごめいていた茂みが左右に分かれてそこに道ができたのだ。
カザルス神父がそっとつぶやいた。
「織田信長を助けるのですか。」
「織田信長が魔界に魂を売ったその時は、息の根を止めなければなるまい。でも今それをやったら隠し金をねらう、冥道衆の思う壺だ。やつらは、家来にまぎれて、織田信長の傍らで、機をうかがっておる。すぐ手を打たねば。」
天外と奏胤が樹海の中に進むと、また、歩いた後から、枝がつるが、生き物のようにうごめきだす。二人は、みなに見送られ、樹海の奥へと姿を消して言った。
狐塚と団十郎は、結界のぎりぎりまで追いかけ追い詰め、とどめをさそうと互いを狙っていた。狐塚の牙の金具をつけた穂先が、鎖とともに伸びて、岩陰を襲う。
「蛇鉄牙!」
それは、まるで鎌首をもたげた蛇のようにするするとくねりながら岩陰にまわりこんだ。
岩陰で大きな金属音が聞こえ、手ごたえがつたわってきた。狐塚は鎖をたぐりよせながら駆け寄って行った。
「しまった。」
蛇鉄牙が牙を立てていたのは、岩に挟まったちぎれた袖だった。横の岩の上から、団十郎が飛び掛った。危機一髪!ぎりぎりでかわし、もつれて転がる二人、団十郎はさっと離れると、大きく見栄を切り、隣の岩陰に消えた。その直後だった。めきめきガシッと音が聞こえ、静かになった。何があったのだ、またも罠か。慎重に近づく狐塚。だが、覗きこむと、岩陰に砕け散ったカラクリの体が転がっていた。そして、その後ろで、底知れぬ恐ろしい黒い影が揺れていた。狐塚は本能的に危険を感じ取り、あわててその場を走りだした。
とんでもない殺気とともに黒い影が出現したのだ。
不敵にゆっくり前進する駕羅陀。鋭い視線でにらみながら、後ろに回りこむ兆次.…やつに弱点はないのか?その時、ふと気がついた。駕羅陀の首の後ろに小さな呪符が貼られている…もしや…。兆次は足元の小石をたくさん拾うと狙いをつけた。
「かすみつぶて剣!」
一度に数十個の小石を投げ、それに隠れて、小刀で狙う変則技だ。
「ウォ…。」
小石が飛び散る。呪符が切れてちぎれ風に舞った。その途端、糸の切れた凧のように駕羅陀は苦しみ、もがき、暴走を始めた。兆次はさらに食らいつき、追いかけて行った。
山男タケルが、右、左と岩をとび、斜め後ろから、一郎太に音も無く襲い掛かる。今度こそ、とどめをさすかと思われたが、また、飛ばされたのは、タケルのほうだった。一郎太の頭上で巨大な剣がひるがえる。
「これで二人。次は誰だ。」
立ち上がろうとするタケルを未月が止めた。
「魔界の力を使っている。卑怯よ。勝てるはずがないわ。あんなやつ相手にしちゃだめよ。あたしらがなんとかするから…。」
しかしそんな未月とタケルの横をすり抜けて、雷刃丸が名乗りを上げた。
「大事な仲間が二人もやられちまった。おい、金牛はいるか?金牛よ、あんたは強い。あんたと 権佐が最後の砦だ。おれに何かあったら、後を頼む。」
「どういうつもり? やつは魔界の力で襲ってくるのよ。」
「そこが、気に食わない。俺だって、楽して、勝てたことなど一度もないのさ。」
雷刃丸は、破れた上半身を脱ぎ捨て、地図の描かれた胸と背中をあらわにした。弐と書かれた、見事な刺青に皆声を失った。
「雷刃丸だ。参る。」
あの織田信長が、域を飲んで見つめていた。雷刃丸は、剛刀を振りかざし、走り出した。
一郎太は、刀を下段に構えたまま、微笑んだのだった。
「刀十郎様、お先に…。」
疾風は、一足先に魔神のまん前に飛び出すと、爆裂弾を使い、辺りの木の葉を舞い上げた。
「風牙木葉隠れ!」
風が巻き起こり、毒の花粉が吹き飛ばされ、一瞬にして視界が遮られた。命懸けの術だった。吹雪のように降り注ぐ木葉の中、その姿はかき消すようにいなくなっていた。
「花粉が流れた!今のうちじゃ。疾風の術をむだにするな…。」
刀十郎は、木葉の吹雪の中を飛び出した。
生き残りの忍者たちも、走り出し、魔神を撹乱する。
もうすぐだ。目と鼻の先に財宝が輝いている。刀十郎は、まだ弐の地図のことが気にかかっていた。まだ気を抜くことはできない。これで終わるわけがない。
だが、もうこれ以上あとがない。
「ウオオオーン。」
毒の花粉が渦巻き、木の杭が打ち出される。。
一人が白骨化し、一人が、杭で胸を貫かれた。
「く、あと一息じゃ。」
だが次の瞬間、魔神の顔が唸りを上げた。それと同時に巨大な実が雨のように降り注いだ。巨人の鉄槌だ。地響きが起こり、 地面が揺れた。
「ギャア!」
木の葉の中に人影がゆれた。
疾風の断末魔が、かすかに聞こえた。
壮絶な最期であった。
刀十郎は、ぎりぎりでかわすと懐から卍形の手裏剣をすばやく取り出した。そして、魔神の両目にめがけて撃ち込んだ
「ウオオオーン!」
魔神は目をつむったまま、めちゃくちゃに枝を震わせた。
そして刀十郎は、その機をのがさず、変わり身の術を使い、体中にまきつけた爆薬を服ごと脱ぎ去ると、魔神の本体にぶつけたのだった。
「砕け散れ!」
ぶつけたはずだった。だが、完璧のはずの変わり身の術がうまくいかず、足に、脱いだ火薬を巻きつけた忍者の服がまとわりついて離れない!
「なんだこれは、このままでは自爆だ。」
その時、目をつぶされたはずの魔神がカッと目を見開き、刀十郎を見据えて言葉を発した。
「大地をけがした血の報いを受けよ。」
「くっそー、離れろ、離れろ!」
刀十郎はまとわりつく布を蹴り飛ばそうとした。だが、取れなくて下を覗いた時、顔が真っ青になった。白い手が何本も伸びて、足をつかんでいるのだ。いつの間にか、刀十郎の足元に深い穴ができて、いた。そして、数え切れない血まみれの手が白い腕が、引き込もうとしているのだ。
「離せ、もう少しだ、離せ!。」
刀十郎の体は、突然、地面から伸びてきたつるによってぐるぐる巻きにされていた。だが、刀十郎の目には、血まみれの白い手に見えるのだ。
「はなせ、うう、苦しい。おお、財宝が、財宝が!」
何重にも巻きついたつるの中で、鈍い爆発音が起こった。砕け散ったつるや木葉が周囲に飛び散った。刀傷の男は、つるに巻かれたまま、がくんと仰け反り、血を流した。
すぐ目の前に、金銀財宝が輝いていた。刀十郎は両手を伸ばし、何かをつかみとろうとした。そこに毒の花粉が雪のように静かに降り注いでいった。刀十郎は手を伸ばしたまま白骨化していった。
魔神の周りは、また恐ろしい静けさに包まれていった。
そこに、ただならぬ冷気とともに重い靴音が近づいてきた。その通ったあとはすべて凍りつき、動く命は何もなかった。蒼白い兵士たちは、一人も欠けることなく、姿を現した。死の商人は、隊列を止め、腕を組んだ。
「なんという強大な魔力よ。このまま突っ込めばこの最強の部隊と言えど犬死じゃ。どうしたものかのう。」
死の商人は進み出ると、串刺しになった、あの獣人の鋼に近づいた。
「なんと凄まじい憎悪と怒りじゃ。その煮えたぎる思い、いただこうか…。」
さらに、白骨と化した刀十郎に目をやった。
「恐ろしき執念と底知れぬ冷徹な魂よ。わしの力となるがよい。」
死の商人が呪文を唱えると、鋼と刀十郎の骸から黒いオーラのようなものが立ち上った。そして、死の商人の取り出した二つのギヤマンの小瓶に吸い込まれて行った。
悪魔は満足そうに小瓶をしまいこむと、ふと、何かをひらめいた。
「ハハハハ、そうじゃ、思いついた。この大木の魔神を呼び出した術者を殺せばよい。簡単なことだ。ふふふ、このそばにおるな。よし、行くぞ。ハハハハハハハハハ。」
力を得た悪魔は、部隊を引き連れ、あの結界の方向へと、一直線に進んで言った。
一郎太はほくそえんだ。もう、誰にも負ける気がしなかった。この裏武芸者隊の一番の剣士らしきこの男にも恐怖は感じなかった。あんな大きな刀、振り上げる間に、こちらの刀が斬りすててやる。
雷刃丸はその若い剣士に向かって、無心で走っていた。自分の運命を切り開くために。自分自身で扉を開けるために。
「俺は最強だ。神速の剣は無敵だ。来い。」
待ち構える一郎太、走りこむ雷刃丸、両者はついに間合いに入った。
両者の剣が振り下ろされる。剛刀がうなり、魔の神速の剣が翻る。
「な、なんと!」
信長がはたと膝を打った。両者の剣は、ほぼ同時だった。どちらだ。一郎太が、ぐらつき、刀を落とした。
「ばかな、思っただけで斬れる剣が敗れるはずは…。」
一郎太は、前のめりに倒れた。雷刃丸の胸も斬られたが、浅かった。
「頭の中で考えてから斬っていたら、生き延びられないぜ。」
だがその時、岩の間から、未月が立ち上がって、叫んだ。
「雷刃丸、逃げて!邪気が渦巻いている。危険だわ!」
前のめりにうずくまった一郎太の体がびくびくと動き、筋肉が盛り上がり、低いうなり声が聞こえる。
「おれはまだ、負けていない。あいつの剣が少し長かっただけだ。俺は最強だ。俺は…グルルルル。」
その時、後ずさりした雷刃丸のところに、誰かが走ってきた。
「な、なんだ!」
狐塚だった。あの冷静な狐塚が、顔色を変えて走ってくる。
後ろからガシャガシャと音を立てて、黒い闇が迫ってきていた。未月が目の色を変えた。
「…お、おまえは…、黒武者!いったいなぜ、ここに!」
「問答無用!」
巨大な魔剣がうなりを上げた、近くの大岩が真っ二つになり、砕け散った。
雷刃丸も、狐塚も、深手を負った徳永やタケルたちも、一斉に避難を始めた。だが、立ち尽くす未月の前に進み出て、黒武者の前に立ちふさがるものがいた。
「俺の勝負はまだ終わっていない。俺は全然負けていない。おまえから先に片付けて…やる。」
それは、体が剣の修羅と化した一郎太であった。顔が、皮膚が鉄の塊のようになり、着物のあちこちから刃が飛び出している。
後ろで見守っていた黒子の楓が、陰陽師の寂翠にそっとつぶやいた。
「一郎太が、闇の化け物と勝負しようとしています。よろしいのでしょうか。」
「我々のもともとの目的は、織田信長を討つことに加え、その影で暗躍する冥道衆を討つことだ。向こうから来るのなら好都合というもの。それより、駕羅陀が暴れまわっている。いったいどうしたのか。」
「カラクリを操る式神の呪符がはがれたようです。残念ですが、力ずくで止めるしかありません。」
未月は、その隙に岩の間に滑り込むと、波流貴から預かった血判を取り出し、さらに鼓を出して波流貴に渡した。
「行くわよ。一刻の猶予も無いわ。」
「まかせてくれ。」
「お前から先にあの世に送ってやる!ガルルル。」
刃物の怪物と化した一郎太が襲い掛かった。右手と左手が巨大な剣となり、神速のすばやさで斬りつける。それをかろうじて受け止める黒武者。巨大な剣と剣とが火花を散らす。だが、圧倒的に力に勝る黒武者が押し返し、返す刀で斬り付ける。振り回すだけでいくつもの竜巻が起こり、辺りのものが吹き飛ぶ。この間より、確実に力が増している。だが、その魔剣を受け止める一郎太の剣。見れば、両腕だけでなく、両肩、腰からも剣が飛び出し、竜巻を切り裂く。
「ウガガガガアアアア!」
今度は体中の何本もの剣を立てて、一郎太が、黒武者に襲い掛かる。
「神速の剣、乱れ斬り!」
全身の剣が目にも止まらぬ速さで打ち下ろされる。刀をはじく金属音、鎧にぶつかる鈍い音、何かが折れて飛び散った。
「まだまだ!」
傷だらけの黒武者は、しかし、何事もなかったように刃物の怪物を押し返し、突き飛ばす。ぶちあたった岩が砕け散る。今度は一郎太が、両手を上げる。すると全身の剣が合わさり、巨大な剣となり、そびえ立つ。
「神速の剣、摩天楼剣。」
そびえ立つ巨大な塔が一気に倒れ去るように、神速の、剣が轟音を立てて、振り下ろされる。凄い衝撃と金属音!
ここが、何もない平地だったら、ここで終わっていたかもしれない。だが、巨岩がごろごろするこの沢、黒武者は大岩を盾に使っていた。
「ぐおおおおおお!」
岩を真っ二つにし、さらに黒武者に突き刺さる摩天楼の剣。だが、大岩のおかげで、黒武者の首の皮一枚つながった。
魔剣はきしみ、黒武者のカブトに大きなヒビがはいった。危ない、もう一撃食ったら、確実に終わりだ。だが、黒武者はまったくあきらめない。底知れぬ執念で、逆転を狙う。
「暗黒嵐皇剣、地竜剣。」
気合とともに地面に魔剣をつきたてると、地割れが走り、衝撃波が吹き上がる。
その凄まじさにバランスを崩す一郎太。
「ばかめ!」
そこをのがさず斬り付ける黒武者。切れめの無いその技の連携はさすが武の黒武者である。
「暗黒嵐皇剣、怨霊剣!」
その言葉とともに、魔剣のまわりに、黒い人魂のようなものがわいて出た。
そして気合とともに魔剣を振り下ろすと、そのすう獣の黒い塊、怨霊弾が一直線に飛び出した。
腕と肩の剣で受け止めようとする刃物の怪物だったが、バランスを立て直す前に、怨霊が体に食らいついたのだった。
「グォー!」
「ふん、若造が!」
一郎太はぼろぼろになり、地面に崩れ落ちた。闇の黒武者は、体中に傷を負い、おどろおどろしさを増して、こちらに向き直った。
「鬼流門め、出て来い。そこにいるのはわかっておる。」
未月は少しも臆した様子も無く、岩の上に立ち上がった。
「本物の冥道衆を相手に、よくそこまで戦ったものね。でもね、寂翠、本当の魔具を使った本当の鬼人おろしはこんなものじゃない。見せてあげるわ。」
未月は呪符を取り出し、波流貴に何か合図を送った。だが…。
その時、鋭い機械音が響き渡った。
未月と黒武者の前に、暴走したカラクリの駕羅陀が突っ込んでいく。いったい、どうなるのか。皆、息を飲んで、目をこらした。
「ガラクタが、邪魔だ、うせろ!」
黒武者が、なぎ払うように魔剣を振った。竜巻が巻き起こり、駕羅陀は大きく吹き飛び、いくつもの大岩を越えて、遠くの岩に叩きつけられた。
だが、砕け散るかと思われたが、なんということ、突然ふわっと浮かび上がり、静かに岩の前に着地した。
「な、なんと?」
皆自分の目を疑った。何が起きたのか。
「なんだ、あいつは?」
駕羅陀の後ろの大岩から、大柄な男が出てきた。革靴を履き、黒いマントをひるがえす、そう南蛮人の商人であった。
「ほう、これは面白いオモチャだ。光栄に受け取って置こう。ふむふむ、お前さんが、あの大木の魔神を呼び出した女だな。今すぐあのばかでかい魔神を消し去れ。あれのおかげで先に進めない。」
未月は毅然として答えた。
「いったい、何者なの?」
商人は、何食わぬ顔で答えた。
「スペイン国王の命を受け、はるか海原を越えてやってきた。この極東の黄金の国ジパングの隠し金を探索に来たものだ。」
「名を名乗れと言っているのさ。」
「それほど聞きたいのなら教えよう。公爵、アスモデウスだ。」
「…アスモデウス公爵?」
「さあ、ではもう一度だけ言おう。あの魔神を消し去るのだ。」
「いやだといったら…。」
「命はない…。」
だが、突然の邪魔をされた黒武者が、黙ってはいなかった。
「鬼流門は俺の獲物だ。死ね。暗黒怨霊弾!」
また、魔剣の周りに怨霊がうずまき、一斉に、南蛮人めがけて飛んでいった。
「ダダダーン。」
いくつもの銃声が響いた。岩の陰から、ぞろぞろと出てきた、兵隊たちが、怨霊めがけて銃を撃ったのだ。一斉にうめき声が聞こえ、怨霊弾の黒い塊が、撃ち落とされ、一匹も残らず消えていく。
「ばかな、人間の武器で怨霊弾がやられるはずが…。」
黒武者が声を荒げた。
「うぐ!まさか、この俺まで…。」
黒武者の胸に銃弾が突き刺さる。あの黒武者が、がくっと膝をついた。
「もう、この兵隊は、普通の人間ではない、銃弾もただの銃弾ではないのだよ。」
しかし、なんという執念、黒武者は、魔剣を杖に立ち上がり、その巨大な刃を振り上げた。だが、銃口が一斉に火を放ち、体中に何十発もの銃弾がめり込んだ。それでも凄まじい殺気を発し、立ち向かおうとしたが、どす黒い地を掃いて、そのまま倒れた。
兵隊の銃口は、今度は一斉に未月のほうを向き、火を噴いた。大岩の陰に未月は滑り込んで難を逃れた。飛び散った銃弾の一発を、兆次が拾った。なんと、その黒い銃弾の先には、口が開き、牙が生えていた。さらに南蛮商人は、一羽の黒い鳥を呼び出し、それを倒れていた駕羅陀にとまらせた。駕羅陀に溶け込む黒い鳥。すると駕羅陀は、むっくりと起き上がり、底知れぬ冷気をまとい、起き上がった。さらに悪魔はギヤマンの小瓶を二つとも取り出し、近くにいた兵士を捕まえると、右肩に青い小瓶を左肩に赤い小瓶を傾けた。中からはどす黒い液体がこぼれ、兵士の両肩から煙が上がった。
「ウオオオオオオオ!」
兵士は苦しみ悶えた。体中がぴくぴく動き、筋肉が盛り上がり、やがて、右肩を突き破って、青い竜の首が、左からは赤い竜の首が生えてきた。長い尻尾もしなやかに伸びて行き、双頭の竜神は雄叫びを上げると、炎と冷気を吐きながら、進みはじめた。
さらに何十羽という黒い鳥が不気味な羽音とともに突っ込んでくる。
「さあ行くがよい!。わが最強の軍隊よ。ここにいるもの共を食らい尽くせ。」
重い靴音と邪悪な羽音が響き渡る。
竜のうなり声と、機械音が冷気とともに突き進む。死の軍隊が、魔界の怪物が、進みだしたのだ。
「信長様、怪しいものどもが進入してきました。どうぞ、こちらへ。」
蘭丸が岩陰に、信長を導いた。坊丸、力丸が周りを固めた。
ヤスケが大岩の陰に新しい台座を用意していた。信長は、危険を感じながらも、勝負の行方が気になってしょうがないようだった。
「おあぶのうございます。お気をつけください。」
「うむ?」
信長は、その時、背中にたとえようのない殺気のようなものを感じた。いつのまにいたのか、あの銀髪の僧であった。
「魔の者たちは、この私らにお任せください。ええ、私らと一緒にいれば、何も心配することはございません。」
「おぬしらにそんな力があるというのか。」
「必要とあらば、いつでもお見せしましょう。とりあえず、あの南蛮人の銃弾の一発、怪物の一匹たりとも信長様のいるこの大岩に近づくことはないでしょう。」
「ならば、この目で確かめようぞ。」
信長はどっしりと腰を下ろした。戦いは新しい局面を迎えていた。
飛び交う銃弾、重い冷機とともに、靴音と羽音が迫ってくる。雷刃丸が岩陰の未月に近づき、何かをささやいた。未月は毅然と雷刃丸を見つめ、何かを伝えた。仲間のもとへ、走り去る雷刃丸。未月は、岩陰に波流貴を立たせると呪符を取り出した。波流貴は鼓を取り出すと、呼吸を整え、一つ大きく叩いた。その途端、波紋が広がるように、空間が揺れた。
「死を司る冥王星の魂よ、流されたおびただしい血と悲しみに、行き場のない怒りと涙に答えよ。行け、魔神 武双律(むそうりつ)!」
その瞬間、波流貴の体は、深い闇に包まれ、おぼろな黒い影だけになった。顔も形もわからない、刀さえもっていない。ただ、重い太鼓の音と高く響く鼓の音がその人影の中から、響きだす。まるで心臓の鼓動のようにズッシリと…。そして、その太鼓のリズムに合わせ黒い陰の形が、刻々と変化を遂げるのだ。時に鎧姿の武神のように、時に薄衣の修行僧のように。荒々しい海のように、静かなる月光のように。
武双律はふわっと飛び上がると、すいっと湖面を滑るかのように軽やかに空中を進み、軍隊の前に降り立った。すぐさま一斉に火を噴く銃口。だが、軽やかな鼓の音が響くとともに、あの恐ろしい銃弾は、力を失い、勢いを失い、パラパラと地面に落ちて言った。
「なんだと! ええい、行け、使い魔よ。」
すると、何百羽という黒い鳥が、黒い竜のように連なり襲い掛かる。しかもいつの間にか邪悪に化身し、腕が生え、人間のような顔が浮かび上がっている。体も一回り大きくなり、闇の鳥人と化しているのだ。鋭い爪を立て、一直線に向かってくる。
すると今度は、かろやかな鼓と重い太鼓の音が複雑に絡みながら鳴り響く。かろやかな音とともに、爪を嘴を風のようにかわし、重い太鼓の音とともに拳を打つ。ある鳥は吹き飛び、ある鳥は叩きつけられ、ある鳥は羽毛を撒き散らし粉々になる。みるみる黒い竜は崩れ去り、やがて、黒い灰になって消滅していく。
「うぬう、撃て、撃つのだ!」
死の軍隊が銃口を再び向ける。だが武双律は同時に身構えた。
そして全身の気合をこめて、右の拳を打ち出した。それと同時に重い太鼓の音が響き渡り、空間が大きく揺れた。凄まじい衝撃波が兵隊たちを襲った。帽子が吹き飛び、皮ひもがちぎれた。そして、なんということ、すべての銃口が、一瞬にしてひん曲がってしまったのだ。その途端、岩陰から裏武芸者隊が飛び出し、兵隊たちに襲い掛かった。金牛と権佐が、飛びだす。鞭がうなり、鉄槌に岩が砕ける。
戦いは混戦状態となった。
「虫ケラどもめ。何人でかかってこようと同じこと。」
悪魔がそうつぶやくと、不気味な金属音が、地を這うような唸り声が響いてきた。髑髏のカラクリ魔人と双頭の竜人だ。左肩の赤い竜が、怒りに燃えた炎を吐き、右肩の青い竜が凍りつくような冷気と氷の刃を吐く。体中から激しい冷機と骨の刃を飛ばすのは髑髏だ。
さすがの裏武芸者隊も、さっとみをかわした。
だが、その二匹の魔物の前に、すっくと立ちふさがった者がいた。それはそう、武双律である。
武双律は、立て続けに、重い太鼓を二つ鳴らした。空間がゆがみ、その衝撃波に二匹の魔物は一瞬仰け反った。そしてなおも近づく魔神、怒り狂う魔物は、すぐに凄まじい反撃を開始した。双頭の竜神は首をグルグルと回しながら炎を吐き、巨大な炎の渦を作り出し、迫ってきた。
駕羅陀の胸の骨が開くと、中からはしごのようなものが伸び、その根元に大きな刃が光っていた。両手の先にも大きく反った刃が飛び出した。いわゆるギロチンである。
悪魔は意味ありげに笑うとその鋭い爪のある指で合図した。
「よし、行くがよい。」
その途端、駕羅陀の体から、一斉に刃物が飛び出した。
さっと身を翻しよける武双律。するとそこを逃さず襲い掛かる駕羅陀。すばやくよけなければ、ギロチンの刃で、体が真っ二つだ。武双律は、さっとよけながら右手を突き出した。かろやかな鼓の音に重い太鼓が重なる。
「ガガガ!ガシャー!」
空中で光るギロチンの刃、だが太鼓の音とともに空間がゆがみ、駕羅陀は吹き飛んだ。だが、たたきつけられる直前、突然大きな黒い羽が伸び、ぎりぎりのところで、地面に降り立った。そして、岩の間に逃げ込むと、岩に隠れながら、髑髏の口から、冷気を吐き、残りの手裏剣や小刀を打ち出し、反撃に出た。だがその様子を後ろで見ていた未月は、底知れぬ殺気を感じた。
「しまった。」
いつのまにか、双頭の竜人が、未月のすぐ横まで近づいていたのだ。二匹の竜が、大きく口を開いた。まずい、この距離ではよけきれない。やつらの作戦だ。最初から私を狙っていたのだ。
「グオオオオ!」
だが、冷気と炎が噴出すのとほぼ同時に、剛刀が赤い竜の首に突き刺さった。雷刃丸だ。未月の危機に飛び出したのだ。だが、さすがに竜の首、剛刀は突き刺さったが、切り落とすことはできなかった。悲鳴をあげ、力なく、うなだれる赤い竜の首。だが、鞭のようにしなる尻尾が,あっという間に、雷刃丸を打ちのめし、剛刀をへし折ると、鋭い爪の生えた足が、その背中を押さえつけた。
炎はよけたものの、冷気をよけきれず、足元が凍り付いて未月はすぐには動けない。
青い竜は、冷酷な笑みを浮かべると、とどめに入った。口から冷機があふれ出る。武双律は、まだ駕羅陀と戦っている。兆次と狐塚が異変に気づいたが、足の下に押さえつけられていては、打つ手がない。だが、青い流派急に冷機を吐くのを辞めると、押さえつけた雷刃丸の背中の着物を爪で引きちぎった。弐の地図が鮮やかに浮かび上がった。青い竜は、一瞬目をかっと見開き、それを食い入るように眺めた。そして、その恐ろしい竜の顔にうすら笑いを浮かべ、雄叫びを上げたのだ。
「何をしている、早くとどめをさすのだ。」
悪魔が顔を歪めた。だが、青い竜は、何かをしゃべるように、何かを伝えるように、長い叫びを上げたのだ。そして叫びが終わると、再び、冷気のあふれる口を大きく開き、とどめにかかった。
「な、なに?」
だが、それより早く、今まで血を流してうなだれていた赤い竜が、突然たけりくるって暴れだし、なんと、青い竜の首に噛み付いたのだ。いったい何が起こったのか、わからなかった。
「今よ、逃げて!」
未月と雷刃丸は、転げるように逃げ出した。
駕羅陀は、体中の小刀や手裏剣を撃ちつくすと、あちこちの骨をトゲのように逆立て、ギロチンの刃を突き立てて高く飛び上がった。
すると、武双律の体が、変幻自在に変形し、細長く伸び上がり、その攻撃をかわすと、次の瞬間には十二神将のような鎧姿に変わり、手刀を振り下ろした。
「ガガ、ガギー!」
駕羅陀は空中で真っ二つになり、砕け散った。
「なんだい、あの魔神は、どんな体をしているんだい。」
命拾いをした雷刃丸が、未月に尋ねた。
「武双律はねえ、圧倒的な武力、すべてを打ち滅ぼす陽を司る魔神と、忍の力、敵の力を無となす、陰の力を司る魔神の二つが鼓の音によって合体した姿なの。隠と陽、二つの波動が響きあって、自由に姿を変えるのよ。もちろんそれを可能にしているのは、弟の波流貴の鍛錬の賜物よ。」
双頭の竜神は、黒忍者と刀十郎の争いさながらに、炎と冷気の渦の中に身を投じた。目を血走らせ、炎とともにくらいつく赤い流、なんとか引き離し、自分だけでも助かろうとする青い竜。
「おやおや、こういうのはやめてほしいなあ。」
悪魔がカッと目で睨みつけると、双頭の竜人は一瞬で凍りつき、全身にヒビが入り、崩れ去った。
「よろしい、私が、アスモデウス公爵がお相手いたそう。」
悪魔はそういって、黒いマントを翻した、マントの奥には底知れぬ闇が広がり、その中から何か巨大なものが顔を出したのだ。
「ウオオオ、いったいなんだこれは?」
あらかた死の兵隊を取り押さえた裏武芸者隊が後ずさりした。まず、出てきたのは巨大なクモの足、そして頭。長い牙をむく、黒豹、巨大サソリ、コブラ、カラスなど、どれもとんでもない大きさだ。それらが唸り声を出しながら、合体し、おぞましい姿となりながら膨れ上がった。アスモデウスの高笑いが響いた。
先ほどの凍りつき、崩れ去った竜は、あっという間に体内に飲み込まれ吸収されてしまった。
「私はすべての動きを止め、すべてを食らい尽くす。おまえも私の体の一部となるがよい。」
だが、武双律は何も恐れることもなく、アスモデウスの前に立った。
「武双律、海の調べ。」
体の中から、漣(さざなみ)のような絶え間ない鼓と太鼓の音が響きだした。
アスモデウスはかまわず歩みだすと、武双律に冷気を吹きかけた。
武双律は少しも逃げずに、冷気を浴びた。
「愚かな。どうだ、もう一歩も動けまい。」
悪魔は勝ち誇り、その巨体で迫ってきた。武双律は体の変形も止まり、本当に微動だにしなかった。だが、鼓と太鼓の鼓動だけは止まらなかった。
黒豹がうなり、サソリが、コブラが毒液をしたたらせた。毛むくじゃらのクモが糸で魔神を捕らえた。悪魔の高笑いとともに、武双律は、そのおぞましい体内に飲み込まれていった。
「フハハハハハハ…。」
だが、不思議なことに、あの鼓と太鼓の音が止まらない。いや、音はだんだん大きくなり、アスモデウスの巨体を揺るがすほどに響きだした。寄せては返す、漣のように。静かだが力強い、海の生命力そのままに。
「な、なんだ、こ、これは。」
けたたましい叫びとともに巨大なカラスが体から飛び出し、もがき、黒い灰に変っていった。アスモデウスの体が、苦しそうに膨らみ、よじれ、崩壊を始めた。
鼓の音が、全身を震わせ、時々重なる重い太鼓の音で、内部から崩れ去って行く。
「ぐぬう、苦しい。いったい、これは?」
次の瞬間、体を突き破って、武双律が飛び出した。そして空中で止まると、そこで大きく両手を広げた。
「武双律、天空の舞い。」
武双律は空中でゆっくりと、穏やかな舞いをはじめた。今度は静かな鼓動ではなく、高らかに激しく、しかし透き通った音が響き渡った。
そして舞うほどに、天空の太鼓が鳴り響くほどに、空間が歪み、アスモデウスの体をズンズンと揺るがすのだ。
「グアアアアアアア!」
アスモデウスの体が爆発し、黒い灰になって消え去っていく。悪魔は、もとの商人の姿にもどり、もがき、苦しむ。
「武双律、浄光双剣。」
武双律がそう叫ぶと、右手に光の剣が、左には銀色に輝く刃が伸びていった。
その時、アスモデウスの体から伸び上がった黒豹が牙を剥き、大サソリが毒針のある尻尾を突き立てた。
光の剣が豹に振り下ろされると、黒豹は、途端に力と凶暴性を失い、弱々しく引き下がった。銀の刃が振り下ろされると、鉄のように硬いサソリはその体を真っ二つにした。
「武双律、空の剣。」
そして気合を込め、伸ばした右手と左手を体の前で合わせた。二つの剣は螺旋を描きながら一つの剣となった。陰と陽、静と動、二つの力が脈打っていた。
そして、一気に空中を駆け下りると、悪魔の体に振り下ろした。
「こんなところで、まさか…。」
空の剣で真っ二つにされた悪魔の体は、一瞬光に包まれると、黒い灰になって崩れ去り、風の中に消えていった。
だが武双律も、ほどなく岩の間に倒れ、静かに横たわった。未月が駆けつけた。波流貴の体が限界を通り越したのだ。急いで鬼人おろしを解かないと命が危ない。
「信長様、魔物はすべて討ち滅ぼされたようでございます。」
蘭丸がほっと一息ついて振り返った。信長は興味深そうにそれを眺めていた。裏武芸者隊によって、スペインの兵士たちは縛り上げられ、暴れまわっていた黒武者は倒れたままピクリとも動かなかった。一郎太のまわりには陰陽師たちが駆けつけ、すっかりもとの青年に戻っていた。
「余は、神仏は信じない。だが少なくともこの世に魔物はいるということじゃな。」
すると、あの銀髪の怪僧がそっとつぶやいた。
「ならば、信長様が、魔を打ち払う神になればよいのです。簡単なこと。」
「なるほど。」
だがその時、信長一行の後ろから、大きく足音が響いてきた。今頃誰が? 振り向くと樹海を抜けて、若い侍と修行僧が現れた。坂本天外と比叡山の奏胤である。
「おぬしらは、いったい何者じゃ。」
信長が立ち上がり問い詰めた。
「私めは、坂本天外。明智光秀殿の一族のものでござる。隣におるのは比叡山の奏胤でござる。」
天外が名乗りを上げると、奏胤が後を続けた。
「我々は魔物を倒す、特別な術を心得ております。柴田勝家様と木下藤吉郎様の命により、織田信長様をお守りに参りました。」
すると信長は笑いながら答えた。
「ハハハ、大儀であった。だが、わが裏武芸者隊と、仲間のものの力によって、あらかたの魔物は滅びてしまったぞ。」
だが、奏胤は、毅然として言い放った。
「いいえ、一番恐ろしい魔物が残っておりまする。」
「なんと、どこじゃ、どこにおる。」
すると奏胤は密教の経を唱え始めた。そして、目を閉じて右手を伸ばし、人差し指を左右に振った。
「そこだ!」
その指は、なんと信長の方を指したではないか。
「何をばかな。」
信長は声を荒げ、激怒したのだった。
その時、未月は息せき切って、陰陽師の前に駆け出していた。
「寂翠、あなたならとうにわかっているでしょう。あの信長のそばにいる冥道衆のことを。このままでは隠し金はやつらに横取りされてしまう。力を貸してほしいのよ。」
すると陰陽師は覆面をはずしてその貴公子の素顔を見せた。
「とやかく言い争っている暇はなさそうですね。よろしい、力をお貸ししましょう。」
「礼を言うわ。しかし、やつらのことだ、二重、三重に仕掛けをめぐらしているでしょう。単なる魔具や式神は返されてしまうと思うの。」
寂翠はうなずいた。
「そうですね。あれだけの魔物がつめかけても、あの大岩の辺りには銃弾の一発もかすっていない。で、どうします。」
未月は、寂翠に一枚の呪符を渡すと、何かをささやき、再び走り出した。
「忙しい娘ですねえ。でも、なかなか面白いかもしれない。欅、一郎太を頼む。」
寂翠は、岩の陰に消えていった。
「後は天外さんに力を貸してもらえば…。」
「余のことを、魔物と申すか。」
信長は激怒した。だが奏胤は涼やかに答えた。
「いいえ、あなた様のすぐそばにとても強い邪気を発する者がいるのです。どうぞ、動かないで、すぐに正体がわかりまする。」
自分のそばにいるのは、蘭丸たちとヤスケ、あの銀髪の僧ぐらいである。この中に魔物がいるのか…。比叡山の若い僧は、密教の経を唱えながら、右手でなにやら印をきった。その刹那、銀髪の僧は苦しそうに胸を押さえた。
「くそう、信長に取り憑くために、不死身の術を解いたのが裏目に出た。あと一歩というところで。」
槍で刺されたような激痛である。しかし、僧はうめき声をもらさないよう激痛に耐え、信長に何かささやいた。
「あやつの言う事はすべて罠。あなた様を陥れようとするものです。見るのです。」
信長はどちらを信じていいものか、二人の僧を見比べた。だがそのとき、銀髪の僧は一瞬のすきをつき、後ろで、密かに呪文をかけたのだった。
「な、なんだこれは!」
突然の出来事に、信長はわが目を疑った。密教の経を唱える若い僧の姿に、おぞましい魔物の姿が重なって見えるのだ。銀髪の僧の単純な幻術だとも知らず、声を張り上げた。
「ええい、経をやめい。この、魔界の回し者が!」
銀髪の僧がほくそえんだのを、天外は見逃さなかった。
「だめだ、あの怪僧が何か術を使っている。このままでは、こちらが悪者にされてしまうぞ。どうする奏胤殿!」
「む、無念。」
奏胤は経を唱えるのをやめ、信長に向かって一礼した。だが、その時、天外は見た。信長の後ろに近づいてくる小さな影を…、それは未月だった。
「護法童子、この呪符を天外殿に運んでおくれ。」
未月が叫ぶと、空中で子どもの笑う声が聞こえ、呪符がかろやかに空中を舞った。
「五芒星結界の呪符?! 委細承知。」
天外は未月に手を振って合図を送ると、奏胤とともに走り出した。
武双律の上体をとかれたばかりの波流貴は、まだふらふらしていた。だが、姉から渡された呪符を握り締め、すっくと大地に立ち上がった。
「…確か五芒星結界は、高度な修練を積んだ最低五人の術者が必要では…? ま、姉貴の言うことなら間違いはないか。よし。」
突然慌ただしく駆け出した天外たちを見て、銀髪の僧、いや魔界の武将銀狼はただならぬ胸騒ぎを感じた。すぐに懐から小さな鏡を取り出すと、信長に告げた。
「信長様、あやつらだめだと知って逃げましたが、またいつ魔界の力で攻めてくるかもしれません。これから、魔物封じの祈祷を行いたいと思います。」
「うむ、好きにせい。」
銀狼は礼をするとさっと側近たちの死角になるような大岩の陰に身を隠した。そして、先ほどの鏡を取り出すと、小声でささやいた。
「幽鬼丸、幽鬼丸はおるか。」
すると鏡のまわりに朧な光が揺れ、鏡の向こうに幽鬼丸の顔がのぞいた。
「ハハ、銀狼様、なんの御用で…。」
銀狼はあたりを気にしながら続けた。
「ふむ、隠し金をあと一息で手に入れられるというところで、とんでもない邪魔が入った。鋼猿を呼んでくれ、それからいざというときは、お前の力を借りたい。」
すると鏡の向こうで幽鬼丸が、にやっと笑った。
「逃げ足だけは誰にも負けねえ。逃がすのもね。よござんしょう、おまかせください。」
「頼んだぞ。では…。」
話がつくと、銀狼は、怪しい経を唱え、祈祷の真似事を始めた。
ちょうどそのころ信長一行の真後ろに、未月が現れ、呪符を取り出し、印をきった。
「一の星角、鬼流門未月。」
その左斜めに波流鬼がすっと立ち上がり、同じように印をきった。
「二の星角、鬼流門波流貴。」
さらに織田信長の右斜め前と左斜め前に、天外と奏胤が立ち、天外は豪快に、奏胤は複雑な密教の印をきった。
「三の星角、坂本天外。」
「四の星角、奏胤。う、な、なんだ?。」
奏胤の顔が曇った。大きな何かが近づいてくる。姿は見えない。ほとんど気配も立てず、邪気さえも伝わってこない。未月も気づき、何やら取り出した。
「やはり、仲間が来たか。姿を消している。どこだ?」
「わからない、だが、魔界の冥道衆の中には、気配や邪気さえも消し去る魔界忍術を使う者がいると聞く。ここで見逃したら、五芒星結界が崩れ去る。」
奏胤が、密教の経を唱える、うめき声が聞こえ、大きな影が浮かび上がった。重い甲冑をまとった毛むくじゃらの巨体だ。
「そこね。よし、力冠者!」
未月は、取り出した仮面を近くの岩にかぶせた。すると、近くの岩がくっついて、重厚な石人間になって、進み始めた。
毛むくじゃらの巨体、鋼猿は、その体からは想像もできない身の軽さで音も無く近づく。
「面倒なのが来ちまった。仕方ない。黒丸よ。!」
鋼猿の背中から、鎧をつけた小猿が飛び出した。岩でできた力冠者が、思いっきり右手を振り上げ、殴りかかった。鋼猿はあえて逃げず、その拳を受け止めた。鈍い金属音が聞こえ、巨体が激突した。なんと力冠者の石の拳は、片手で止められていた。
「なるほど、石の力冠者か。たいした馬鹿力だな。」
しかし鋼猿はその手をはねあげ、頭突きをかました。なんと、岩にヒビがはいった。左手で殴りかかる力冠者。だが、それより早く、小猿が飛び出し、岩にはりついた仮面を剥がしたのだった。力冠者は元の岩に戻り、崩れ去った。
「なんという力だ。しかも忍者のように身が軽い。どうする?」
焦る未月、しかしその時、それを見ていた寂翠が近くの枯葉を一枚手に取ると、後ろから、鋼猿の背中に飛ばした。
「な、なんだ、いったい」
木の葉が背中にヒラリと舞い降りる。その途端、鋼猿の動きが止まった。急に体が重くなり、押さえつけられているような凄い力を感じたのだ。
「陰陽道、神将の木の葉」
あの鋼猿が、重さに耐え切れず、膝をつき、地に伏した。
「うう、なんだこの重さは?こちらが力を出すと、同じ力で押さえつけてくる。」
小猿がなんとか抱き起そうと、あちこちを引っ張るが、どうにもできない。木の葉には気付かない。体はますます重く、巨大な神の手に押さえつけられているようだ。
「む、無念。」
鋼猿は、そのまま呪文を唱えると、黒い霧に代わり、遠ざかって言った。あとに残った木の葉が一枚。風邪に吹かれて、飛んで言った。
そして、最後に満を持して、陰陽師の寂翠が岩の上に姿を現し、華麗に印をきった。
「五の星角、寂翠。ここに五芒星の結界を発動するなり。」
その瞬間五つの星角に光が走り、巨大な五芒星が完成した。そしてその中心には、信長一行が座していた。
「いったいなんだ。この光は。」
異変に気づいた森蘭丸が、心配して辺りをうかがったが、側近たちには何も起きてはいなかった。
「何事もないようだな。いったいナンなのだ、この…、うむ?」
蘭丸には、しかし祈祷を上げているはずの銀髪の僧の声が途絶えたように思えた。だが、まずは信長様の安全が第一だと、周囲への警戒をおこたらなかった。
銀狼は、体中の血管が浮き出し、血の汗が噴出していた。
「なんと強力な結界、しかもあっというまに…。まずい、急がねば…。…幽鬼丸よ、頼む。」
「よしきた。すいません、銀狼様、ちょっとの間の我慢でさあ。」
やがて朧な光が鏡からあふれ出し、銀狼の体を包んでいった。そして、銀狼の体は鏡に吸い込まれるように消えていった。
「おかしい。もう邪気が消えた。早すぎる。おや、こ、これは…。」
その時、樹海の方から、ただならぬざわめきが聞こえてきた。振り返ると、枝が動きつるが迫ってきている。
「しまった!強力な結界を発動させたがため、樹王封鎖の結界が破壊されてしまったのか。」
寂翠も、天外たちも異変に気づき、顔を見合わせた。
未月は考える間もなく、いったん五芒星結界を解くと、樹海に向かって走り出した。
「護法童子、この呪符を樹王に届けて。」
すると、子どもの笑い声とともに、一枚の樹符が空中を舞った。
「急ぐのよ。」
動く樹海が荒波のように押し寄せ、地響きとともに、大きな建物ほどもある樹木の巨人が、何人も姿を現した。呪符は軽やかに空中を舞うと、樹王の本体に近づいていった。そして大木に浮かび上がった巨大な顔にぴたりと貼りついたのだった。樹王がカッと目を見開いたとき、護法童子から連絡を受けた未月が魔神封印の呪文を唱えた。
「グおおおおおおん!」
森がざわめいた。樹海が大きく寄せ返した。風向きが急に逆になり、あちこちに伸びていった枝やつるが、みるみる引き返して行った。樹木の巨人たちは、あっという間に地響きを立て、元の場所に帰って言った。
あの巨大な樹王の本体は、まるで幻のように、消えていった。戦いの後は、緑や枯れ葉に埋もれ、すべては土に還っていった…。
「殿―信長様―!」
静まりかけた森を駆け抜け、勝家が、光秀が、藤吉郎が家来とともにかけつけた。
「おお、無事だ。ご無事であったぞ。」
勝家が唇をかみしめた。光秀が周囲をうかがった。
「邪気ははらわれたか。天外殿、奏胤殿、ありがとうございました。」
少し遠めに有楽斉が、ほっとため息をついた。
「よかった。兄者が家督を譲る前に命を落としたらと考え、気が気でなかった。織田家の行く末をどうしようかと真剣に悩んでいたところじゃ。」
先頭に立って走ってきた藤吉郎が大声を張り上げた。
「宝は、どうなりましたか。この藤吉郎が命に代えましても…。」
信長は立ち上がると、元気な姿で合図を送った。
「心配をかけた。大儀であったな。敵や魔物はすべて撃ち滅ぼしたぞ。そうじゃ、裏武芸者隊の者よ、宝はどうなっておる。」
権佐と金牛を引き連れ、雷刃丸がさっと走り出た。
「すべての魔物がいなくなった今、この壱の沢のすぐ奥に見えます、あの鬼の口にあると存じます。」
織田信長は、大きく右手を伸ばし、鬼の口を指し示した。
「ようし、裏武芸者隊よ。藤吉郎とともに、隠し金を探索せよ。この織田のために財宝を手に入れるのじゃ。」
「ハハー。」
裏武芸者隊は木下藤吉郎の一行とともに駆け出して言った。
その頃、倒れたとはいえ、ときどきびくびく動いていた黒武者のそばに人影が近づいた。闇の力はすでに弱まり、風前の灯だった。
「誰じゃ、この無様な姿を笑いに来たか。」
「いいや、お前は強かった。その執念と剛力は凄まじかった。」
それは、未月だった。手に魔神封印の呪符を持っていた。
「とどめを刺しに来たか。どういうつもりだ…。、もうじき俺は消え去る。」
「おまえのその強さが消え去っては、もったいないと言っておるのだ。」
「なに?」
黒武者は、最期の力を振り絞って未月を見上げた。未月は、まっすぐに黒武者を見つめていた。
やがて、さほど時間もかけずに、織田信長の前に金銀財宝が運び出された。なぜか、その一団に、未月の姿があった。
「あっぱれ、日の暮れる前によくやった。褒美を取らすぞ。これで、織田に敵なす勢力にわが力を示せるというものじゃ。」
すると、未月が一人の若者を連れて進み出た。
「ほほう、おぬしは鬼流門の魔神使い。なかなか見事な仕事ぶりじゃった。望みを申してみよ。」
「褒美はいりませぬ。が、しかし一つだけお願いがございます。」
「なんじゃ、申してみよ。」
「ここにいる罪人を連れて帰りたいのです。」
「二度にわたって余の命を狙ったそやつを許せというのか?」
いままで上機嫌だった信長は、急に表情を固くした。
「この者は一度も、信長様を襲ってはいません。この者に取り憑いた魔物のしわざなのです。この者に取り憑いた魔物はすっかり撃ち滅ぼしましたので、この者はそれすらも覚えていないのです。」
「なんと? 本当か。信じられないがのう。」
剣の修羅と化した時の記憶は確かにまったくなかった。だがそこまでの記憶はある。でもそれ以上に一郎太は自分の軽はずみな行動に、すっかり自信を失っていた。
「お願いです。お許しください。」
一郎太は深々と頭を下げた。信長はしばらく考え、最後にこう告げた。
「よかろう、連れて行くがよい。」
近くで聞いていた勝家が、あわてて意見をした。
「殿、それはあまりに危険です。そのような男を逃がすとは。」
だが、信長は未月に向かってこう言ったのだ。
「そのかわり、鬼流門はこの織田の軍に決して歯向かうことはなきように。それでよいか。どうじゃ。」
それは、魔神の凄まじさを見た人間の、素直な言葉だった。
未月は深々とお辞儀をし、信長の目を見て言った。
「ありがとうございます。このご恩は決して忘れません。」
やがて、織田軍も帰り支度を始めた。信長は勝家にぼそっとつぶやいた。
「しかしお前は違うと言うが、あの比叡山の僧は、どうも信じられない。私は、正体を知っている。危険だ。比叡山め、いつかその化けの皮をはがして、目に物を見せてくれるわ。」
やがて、宝は山城に運ばれ始め、そのあまりのきらめきに、皆の顔は自然にほころんでいた。一郎太を連れて未月が歩き始めると、そこに天外、奏胤、そして寂翠たちがやってきた。
「やっと異国の兵隊が、正気にもどりました。やはり記憶はほとんどないようです。カザルス神 父と私たちで、あのスペインの兵士は責任を持って連れ帰ります。」
「あなたのおかげで、最悪の事態が避けられました。ありがとうございます。星照院様によろしく。」
「天外さん、奏胤さん、突然の無理なお願いをきいていただいてありがとうございました。寂翠、素直に言うわ。あなたの術は素晴らしい。ありがとう。でも、私はこの子の家族から頼まれていて、どうしても連れて帰らなければならないのよ。お願い。」
寂翠は黙って静かにうなずいた。一郎太がそっと話し出した。
「寂翠様、なんと言ったらよいのかわかりません。私は、強さの本当の意味を取り違えていたような気がいたします。」
未月が皆に向かってきっぱりと言い放った。
「こんな戦乱の時代だから、本当の善も本当の悪も私にはわからない。あなたがたとも、いつ味方になるか敵になるのかわからない。でも、今日を精一杯戦い抜いて、本当に心から言うわ。ありがとうございました。」
寂翠がそっと話しかけた。
「今日のそなたの言葉、しかと受け取った。…しかし、自分の身を危うくまでして、なぜ一郎太を助けるのだ?」
「だから、こんな時代だからこそ、大事に思ってくれる家族がなによりのよりどころなのよ。一郎太の帰りを、首を長くして待っている父君たちの思い、無碍にはできぬ。」
未月の手には、いつのまにか、お市からもらったお守りが握られていた。星照院や仲間たちの顔が浮かんでくる。
皆短く別れを言い、散っていった。未月と一郎太の列に、波流貴が加わった。
「ここから少し離れた農家に、雄山先生を預かってもらっている。急ぎましょう。あの怪我だ。きっと心細くして待っていることでしょう。」
「わかったわ。」
未月の足取りが少しだけ軽くなった。
「よう!」
荷物を担いだ、雷刃丸と権佐が声をかけてきた。
「いろいろありがとう。雷刃丸はこれから、どうするの?」
「ああ、この隠し金事件が完全に片付くまでは、織田軍にいるよ、それからあとはわからねえけどな。」
未月は一瞬、顔を曇らせた。
「ちょっと待って。隠し金が片付いていないって、どういうこと?」
すると雷刃丸は、刺青のある胸を押さえてこういった。
「さっき、藤吉郎様に壱の地図の写しってのをもう一度見せてもらったんだが、二の地図とほとんど同じだった。でもばってんの位置が明らかに少しずれていることと、謎の言葉が一文字だけちがっている、まだ謎は残ったまんまさ。」
「一文字違うの?」
「壱の地図では、鬼の口、弐の地図では、鬼の喉とあるのさ。じゃあ、元気でな。今度あったら一杯飲もうや。ハハハハ。」
強く、明るい男だった。巨漢の権佐が体を小さくして、お辞儀をして去っていった。
一日がたち、人影が絶え、静まり返った壱の沢、鬼の口のすぐ前で、何かががさがさと動き出した。枯れ葉をはらい、土の中から、灰色の忍者が姿を現した。体中傷だらけでふらふらしている。
「…すべては終わったようだな。宝も運び出された後とみえる。」
それは凄絶な最期を遂げたはずの疾風であった。秘術死人花を使い、仮死状態になって、すべてが終わるのを、ひたすら土の中で待っていたのだ。
「…しかし、不思議なものだ。夢の中で、刀十郎様の声が聞こえた。鬼の口ではない。鬼の喉だ。もっと奥だ。確かそう言っていた。」
疾風は、ゆっくり歩きながら、天狗岩を超え、鬼の口の洞窟を覗きこんだ。
「見事にからっぽだな。」
しかし、あの刀十郎の声を思い出し、一番奥まで行くと、奥の壁をあちこち叩いた。
「こ、これは?」
疾風の顔色が変わった。火遁の術で使う爆薬を取り出すと、壁にあなを彫って、火をつけた。
「な、なんと!」
壁が大きく崩れ、奥にもう一つの部屋が現れた。しかも最初に見つかった財宝より多い。いや倍はある。まさしく壱の宝に対する弐の宝だった。
「だれかおるのか、大丈夫か。」
洞窟の入り口を誰かが覗き込んだ。
さっと構える疾風、しかしすぐに近づき、ひざまづいた。
「これは、お、親方様。急なお越しで。」
「うむ、刀十郎から知らせがあってな。この時刻に、ここに来いと。」
「そうでしたか。」
「刀十郎はどうした。」
疾風は大きく首を振った。だが、すぐに暗がりを指し示した。
「しかし、お喜びください。隠し金が見つかりました。」
入り口にいた男は、暗がりで光るものすごい量の財宝を見て、度肝を抜かれた。
「織田様が見つけたと聞いて、先ほど、お祝いをそっと言ってきたところじゃったに。これは、 それ以上じゃ。わかった、誰にも気づかれず、今日中に運び出すよう、手はずを整えよう。いつか来る天下取りの足がかりじゃ。後でわしの城に来い。褒美を取らせる。よいな。」
男は、急ぎ足で鬼の口を後にした。疾風はその後姿に一礼すると、樹海に消えて行った。
「やっと仕事が終わりました。長かった。刀十郎様、おかげで弐の宝を見つけられました。家康様は今、喜んで飛んでいきました…。」
やがて、樹海は静けさを取り戻し、せせらぎの音だけが静かに響いていた。
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