第二部  百鬼夜行

 その日、編み笠を深くかぶった謎の僧が二人、金杓を打ち鳴らしながら、黄昏の大通りを歩いていた。やがて、僧のもとに年老いた小男が近付き、三人は闇の中へ消えていった。


 夜になり、一人の染物職人がすぐ近くの大店に染物を届けるため、夜道を歩いていた。最近物騒な京の町だが、すぐ近くだと高を括っていた。が、角を一つ曲がったあたりから何だかいつもと違う生温かい風が吹き、遠くで何かがざわめくような気配がした。おやおかしいな、こんな所に家があったか…と思った時は遅かった。ふと歩き始めた通りに全く見覚えがないのだ。まずい、すぐに戻ろうと思い、とりあえず、一軒の明かりのついた長屋を覗き込んだ。

「へえ、すんまへん。難波屋さんに行きたいんですけど、ここは…。」

 言いかけて、体が凍りついた。部屋の中には行灯を囲んで三人の親子連れがいたのだが、振り向いた顔にどれも目玉が一つしかなかったのだ。

「ひ、一つ目だあ!」

 驚いてそこの通りを駆け抜けると、突然人気の無い林の道に出た。辺りを見回すと、分かれ道に古い小さなお堂があった。と、お堂の扉が観音開きにバタンと開き、掛け軸ほどもある大きな舌がべろんと飛び出してきた。お堂の中では、巨大なお歯黒が笑っていた。あわてて駆け出すと、そこは寺の境内で大きな釣鐘に出くわす。 誰もいないのに急に鐘が鳴る。その瞬間、大きな鐘の中からひと抱えもある生首が、ドスンと落ちてきて染物やを睨んだ。

「…そこで後ろにひっくり返って、もう立ち上がれず。一心不乱に星照院様の名前を繰り返したね。そうしたら、いつもの裏通りで目が覚めたんだよ。いやあ、さすが星照院様だよ、ありがたや、ありがたや…。」

「あら、阿弥陀様なら、なお良かったのに…」

「あれ星照院様、いるならいるって言ってくださいよ。もう、恥ずかしいじゃないですか。」

 それまで静かに聴いていた皆が、一転して大爆笑した。染物職人の久太郎は、転んだ時のたんこぶの治療に来て、このお化け話を皆にしていた。

 だが、久太郎だけではなく、診療所に来ている何人もが、裏通りで不思議な体験をしたという。「この世のものとも思えない牛車の走るのを見た。」とか、「大きなどくろや火の玉が飛び回るのを見た。」というまことしやかな話でもちきりになった。


 星照院が、美術・工芸や芸能を慈しんだことから、ここには絵師の仲間から、老舗の職人、猿楽師や陶芸家までが多く集まって来ていた。漢方医の雄山が酒好きなので、飲み仲間も多い。

「どうも裏通りのあたりに、人をたぶらかす物の怪が住みついたようだ。」

「誰か腕に覚えのある奴はいないのか、物の怪退治に行かないか?」

「それならあの体のでかい猿楽師が長槍を使うし、剣術を使う絵師もいたよなあ。」

 などと、話がどんどん盛り上がっていく。その話を、興味がないように振舞いながら聞き耳を立てている者がいた。未月だ。そして、夕暮れが近付くと、てきぱきと診療所の片づけをして、帰る仕度を急いだ。

「雄山先生、それではこれで失礼します。」

「おう、もう帰るかい。アンタは無口だが仕事が早いから助かるよ。じゃあ、また明日頼むわ。」

「お姉ちゃん、また明日。」

 お市がそっと近付いて別れを言う。未月はお市の手を取り、答えた。

「うん、また、明日。」

 星照院や皆に別れを言い、外に出ると、フラッと寺男の宗助が顔を見せた。

「正体不明の妖しい僧が二人、あの辺りを歩いていたようです。どうぞ、油断なさらぬように…。」

「は、はい」

 何だろう、あの宗助は? まるで私がこれから行くところが解っているような…。一応、念のために、木箱を一つ担いでいくか。

 未月は静かに歩き出した、そう、裏通りに向かって…。


やがてうわさの裏通りが近付いてきた。ねっとりと絡みつく様な黄昏の気配を感じ、未月は足早に物陰に駆け込んだ。そして木箱から小さな土人形を出すと、その中に線香を入れて火をつけた。

「おばば、おばば、線香おばば、聞こえる、未月よ。」

 すると土人形の目がくりくりと動き、声が伝わってきた。

「おう、未月かえ。今日はどうした。なになに、お化け騒ぎだって! よしよし、この線香おばばにまかせときな。」

「たのんだわよ。」

 土人形を両手に持つと、白い煙がスウッと上に上がり、やがてグルグルと回り始めた。

「なにこの煙は?」

「おやおや、このあたりにはもう妖気が渦巻いてるよ。ふむふむ、この気配はどうもあいつみたいだねえ…。いいかい、未月…。」

「さすがおばばね、いいことを聞いたわ。さっそく狛犬を手配するわ。」

 未月は、おばばを丁寧にしまうと、裏通りに駆け出したのだった。


 黄昏の寂しい裏通りを一人行く。向こうから誰かが歩いてくる。ふと見ると顔はよくわからないが、着物といい、背格好といい、…自分と全く同じ姿をしている。

「私の姿を!」

「キャハハハハ。」

 そいつは、目も鼻も無い顔で笑いかけて逃げていく。追いかけて角を曲がると、見たことも無いところに出る。古ぼけたお屋敷がそこに現れた。いつの間にかすっかり日も暮れて、真っ暗になってきた。

「ここが怪しいな。」

 門をくぐると、さっそくお化けのオンパレードが始まった。敷石を踏むたびに薄気味悪い声が聞こえ、苔蒸した石灯籠に大きな口が開き、小さな古井戸の中からは白い影が伸び上がり、置石や立ち木のわきでは、黒い影法師が蠢いていた。

「重蔵、重蔵、いるんでしょう。」

 未月は叫びながらずんずんと前に進んで言った。

「そこにいるんでしょう、わかってるんだからね。」

 戸口を開けると、中はぼんやりと明かりが灯り、きれいな日本間がひろがっている。

「重蔵!」

 叫びながら中に入る。どこかでチリンと風鈴のような音が聞こえたかと思うと、誰もいないのに下駄がカラコロ、掛け軸がガタガタと揺れ出した。屏風の中で小鬼が跳ねたかと思ったら、行灯の灯がゆらゆらと揺れ出し、何十匹という、物の怪、妖怪、魑魅魍魎が、屏風の中を歩き始めた。百鬼夜行である。

 その間も、天井では何か大きな黒い影が動き回り、戸の隙間からは得体の知れない目玉がのぞいている。

「重蔵、鬼流門の未月が来たよ。」

 そう叫んだ途端、ピタリと静かになって百鬼夜行は消え去り、隣のふすまが開いた。

 そこに、一人の老人が座っていた。


 その頃、星照院の奥の部屋では、お市が眠れない夜を迎えていた。寺の下働きの者や、尼僧たちも夕食を終え、片づけも終わり、それぞれが寝室に分かれていた。

 だが、お市は布団から起き上がり、小さく震えていた。

「どうしたのお市ちゃん。眠れないの?」

 見回りの星照院がそれに気づいて声をかけた。

「遠くから、気持ち悪い声がするの。」

「山の獣の声ではありませんか。」

「それが、若い男の声で誰かを呼んでいるの。」

「それは、困ったことね。」

 星照院は少し気になって、お市に見えないように窓を開け、外を眺めた。夜風を受けて大木がざわめいていた。何もおかしなものは見えなかったが、妙な胸騒ぎを感じた。

「そうだ、今日は、一緒に寝てあげましょうか。」

「…はい…。」

 お市は小さく答えた。その指先は、星照院の手を、しっかりつかんで離さなかった。


「これは、これは鬼流門の方とも気づかずに、どうも失礼しました。どうぞ、こちらへ。」

「悪いね、上がらしてもらうよ。」

 小さな建物だと思っていたけれど、中に入ってみると、あちこちにいくつも部屋がつながって見える。本当に迷路のようなお化け屋敷だな…。

 未月と老人が向かい合って座ると、ふすまが開いて着物を着た狸がヨチヨチと茶と菓子を運んできた。

「…。」

「安心しなさい。本物のお茶とお菓子だ。」

「で、いったい、こんな裏通りで何を始めるつもりなんだい。ムジナの重蔵さん。」

「ええ、いきなり本題に入っちまうのかい。」

 ムジナの重蔵は、あきらめ顔をしてため息をついた。物の怪の頭領とは聞いていたが、妙ないでたちをしている。金ピカの羽織を着て、頭の上でちょんまげ代わりに松の盆栽が枝を広げている。

「あやしい僧が二人、このあたりを歩いていたそうじゃないか。」

「ぶは、そ、そんなことまでご存知で…。」

 重蔵は飲みかけていた茶をあわてて噴き出した。しかし変な頭だ。松の木の根元に小さな池があり、橋がかかっている。

「冥道衆の手先じゃないのか? ああん?」

「なんだ、全部分かっているなら、最初からそうおっしゃってくださいよ。」

 重蔵はブツブツ言いながら、菓子を口に運んだ。と、おかしいぞ、ここは日本間のはずなのに、気がつくと、重蔵の後ろに松の木が立派な枝を広げ、その根元には美しい池があり、鯉が泳ぎ、橋がかかっている。

「うぬ、こ、これは、いつの間に!」

「おやおや、どうかしましたかな。」

 重蔵はすっとぼけて茶をおかわりした。気がつくと、重蔵の頭の上にあったのと同じような庭園が部屋の中に広がり、未月は大きな庭石に囲まれ、すっかり金縛り状態だ。

「おい、重蔵、いいかげんにしないとひどい目に遭うぞ。」

「ええ、何ですか? 最近ちと、耳が遠くなりましてな。」

 重蔵は、池の中から顔を出した大ガマの頭をなでながらとぼけてみせる。

「ああ、面倒くさい。もう、どうなっても知らないからな。」

「へえ?」

 未月は、急に鋭い口笛を吹いた。すると、遠くから、犬の鳴く声が聞こえてくる。

「アンタ、いったい何をしました? まあ、普通の犬はここには近づけませんよ。」

「あああ、あんたのせいだからね。普通の犬なんか呼ぶもんか。もう、どうなっても知らないよ。」

 その途端、神社にいるような狛犬が二匹、部屋の中に飛び込んできた。

「ひゃー、お、おたすけ!」

 さすがの重蔵も逃げ出そうとしたが、それより一瞬早く、尻に二匹の狛犬が噛み付いた。未月の金縛りはほどけ、それどころか家自体がグラグラと揺れ出した。

「わかりました、すべて白状しますから、白状しますから、やめさせて!」

 未月は、笑って、口笛を吹いた。二匹の狛犬は重蔵から離れ、お座りの姿勢をとった。

「また、おかしなことをすると、すぐに噛み付くよ。今度は喉にしようかね。」

「わかった、わかったから…。」


 このあたりの物の怪の頭領である、ムジナの重蔵のところに、冥道衆と呼ばれる二人の怪僧が訪れたという。

「何でも、この京の都に封印されている鬼を呼び起こすとかで、知っているだけの鬼塚を全部教えろと言っておりました。それで…。」

「教えたんだな、封印場所を。それから、まだあるだろう…。」

「はいはい、全部申しますから…。」

 狛犬が唸り声を上げると、重蔵が情けない声を出す。物の怪騒ぎを起こして、邪魔なやつらの視線をひきつけろ。動きを止めることまでできれば、礼はたっぷりする…という話だった。

「これで、全部です。聞くところによると鬼流門は、魔神を呼んで、あやかしを討つと聞きます。私どもは、冥道集に命令されていやいやここに現れたわけで…、その、命ばかりはお助けを。」

「ただ人をおどかすだけのアンタらに、魔神を呼んだりはしないよ。それに魔神を呼ぶには、人々の血や思いがなけりゃ呼べやしない。よく、話してくれた、もう、悪さをするんじゃないよ。」

「へへー、ありがとうございます」

「もう一つだけ、私の言うことを聞いてもらうからね。」

「は、はい、かしこまりました。」


 次の日、星照院の診療所では、またお化け話が盛り上がっていた。

「っていうわけでね、俺と大門で、裏通りを歩いて行ったらさあ…。」

 なんでも、猿楽師の正と陶芸氏の大門が見たというのは、なんと、歩く建物だった。古ぼけた建物に大きな手足が生え、ゆっくり歩いて去って行ったというのだ。

「去って行ったのですか、じゃあ、もうお化けは出ませんかねえ。」

「あ、星照院様、ハハハ、俺は槍の達人、大門は拳法の名人、俺たちに恐れをなして逃げたんでしょう、きっと。」

「まあ心強い。そうだ、お市がお化けの声が聞こえるって夜怖がるのですが、正さんたちに来てもらおうかしら。」

「ハハハ、お安い御用ですよ。いや、俺たちみたいのが、夜、おじゃましてよろしいんですかい。」

「ふふ、わしの酒の相手もしてもらえるとうれしいんじゃが…。」

 雄山も目を細めた。星照院は、澄み切った瞳で答えた。

「大歓迎です。じゃあ、いろいろ用意してお待ちしてます。宗助、宗助、ちょっといいかしら。」

 その会話を聞いて、未月は、一人で笑っていた。

 お市が元気がないのが心配だったが、まわりの皆が気を使ってくれるので、ありがたかった。

今日ももうすぐ日が暮れる。やつらが動き出す時間だ。未月は気を引き締め、またてきぱきと仕事を片付けていった。


 だが、星照院の山門を出て、封印の場所にかけつけようと夜道を走っていると、事件は突然起こった。

「誰か、誰か、お助けください…。」

 一人の若い男がよろよろと歩いてきて、そのまま倒れた。

「いったい、どうなされたのですか。」

「妻と子をお助けください。魔物が、魔物が出たのです。」

「どこにいるのですか。」

「すぐ近くの、川のそばです。今、案内します。こちらです…。」

 何かいやな予感がしたが、ぐずぐずしてはいられない。未月は覚悟を決め、川の方へと走り出した。


 その夜、鞍馬の山の中、二人の怪僧が大きな岩を囲んで、なにやら呪文を唱えていた。

一人の僧がにやりと笑うと、金杓で神綱をひきちぎった。その刹那、上空に広がっていた黒雲から一筋の閃光がひらめいた。岩が真っ二つに割れ、そこに闇の扉が開いたのだ。黒い影がゆっくり立ち上がった。そして、恐ろしい唸り声を上げながら、黒雲の中へと消えて行った。

「京の都に来て、これで三体。」

「あと四体の鬼を目覚めさせなければ…。」

「あの、邪魔な鬼流門の娘は、どうした。」

「ここに来る途中に魔物を放って置いた。あのあたりをうろついているだろうさ。」

「ちょうどいい、星照院をつぶせというのが上からの命令だからな。」

 二人の怪僧は、不気味な呪文を唱えながら、山道を下って行った。


「定吉さんっていいましたっけ。魔物はどのあたりに出たのですか。」

「ああ、やっと見つかった。そこの川原のあたりです。」

 男の話がおかしかった。場所が二転三転して、だんだん人気の無いところへと移り、気がつけば真っ暗な川原に出ていた。やっと辿り着いたか。未月はゆっくり川原に下りるとあたりの様子を伺った。

 鴨川は、とうに闇の中に沈み、瀬音だけが不気味に響いた。

「このあたりですか。もう、誰も見えませんね。」

「水を飲もうと、子供が川岸に近付いたら魔物が出てきたのです。」

 水面を見る未月の後ろから、男はそっと近付いていった。その視線は未月の背中の辺りをじーっと見つめている。やがて、定吉の目つきはギラギラ輝き、爪は伸び、口からはギザギザの歯がのぞいたのだった。

「魔、魔物がいた!」

 未月はそう叫ぶと、振り向きざまに、呪符を投げつけた。

「魔物はおまえだ!」

「ぐおぉ、あ熱い。」

 呪符が命中すると、定吉は炎に包まれ、川原を転げ周り、水の中へと逃げて行った。

「へたな芝居に付き合って、とんだところで時間をつぶしたよ。」

 魔物は、川の中で息を吹き返したようだった。

「もう少しだったのに、残念だ。」

「とっくに気づいていたんだけどね。」

 暗い水面から、だんだん声が近づいてくる。

「知っているぞ。特別な血判がなければ、魔神は呼べないってな。」

「あら、まだ懲りないの? あきらめが悪いのね。」

「水を吸えば、いくらでも体は戻る、大きくなる…。」

 暗い水面から再び姿を現した男の肌はゴツゴツして、オオサンショウウオのようであった。

「それだけじゃない、つづらもなければ、魔神は呼び出せないってな。」

「よくご存知ねえ。でも確かに今は魔神を呼び出せないわ」

 すると、魔物はここぞとばかりに、濡れた体を震わせて飛び掛ってきた。背中からは、何本もの触手が伸び、体は巨大に膨れ上がっていた。

「地獄に落ちろおお。」

 だが、未月は少しも動じることがなく、懐から何かを取り出すと叫んだ。

「護法童子!こまの舞!」

 すると大きなこまが回転しながら宙を飛び、周囲の回転する刃が魔物の触手を切り刻んだ。

「グワオ。畜生,水の中に引き込めばこっちの勝ちさ。」

「まだやるのかい。ほら、もっと早く回るよ。」

 するとこまから子供の笑い声が聞こえ、回転が速くなり、隼の様に急降下すると、魔物の喉を掻き切った。

 魔物は、もんどりうって倒れた。すぐに水の中に戻って再生しようと体をくねらせたが、水に入る前に、再び呪符が魔物を炎の海に沈めた。


「そりゃあ、不死身の魔神を呼ぶのは大変だけど、だからそのかわり、私たちはいつでも呼び出せる魔具っていう武器をいくつか用意してあるのさ。残念だったね。」

 魔物は、事切れそうになりながら、捨て台詞を吐いた。

「ふふふ、でも、十分足止めはできた。ハハハ、お前がいない間によみがえった鬼が、星照院を襲って、皆殺しにしているはずだ。ざまあみ…ろ…。」

 未月は立ちすくんだ。

「星照院を? わたしのいない間に?」

 やられた、やつらの狙いはそこにあったのか。急いで戻らねば。


 そういえば、お市が何かを感じて不安そうだった。もっときちんと聞いてやればよかった。私のような裏の人間を引き入れたために皆殺しにされたんじゃ、割りに合わない。あの時、星照院の申し出を断れば良かった。やはり、普通の人間と同じ暮らしをしてはいけなかったのか。走りながら、いろいろな思いが頭の中をよぎる。果たして、夜の星照院は真っ暗で、まったく人気が無かった。

「遅かったか。」

 いつもなら、この時間は雄山が酒盛りを開いているはずの診療所も、中は真っ暗でがらんとしていた。寺の本堂の方も静まり返っている。いったい、何が起きたのか、皆、どこに行ってしまったのか。


「うん? 邪悪な気配が山の方で…。」

 そういえば、行ったことはないが、ここ星照院には奥の院があると聞いていた。もしかすると…。未月は、近くの物置に飛び込み、大きな木箱を背負って飛び出してきた。そして奥の院につながる階段を駆け上って行った。

「こ、これは、ええ、何なのだ? 死人あやつりの…。」

 途中で、崖が崩れ、大岩の下敷きになっている人影があり、一瞬鳥肌が立ったが、よく見るとすべて死人の武士たちであった。

 さらに奥の院まで上っていくと、奥の院には煌々と明かりが灯り、しかも、その周りを、得体の知れない者たちが取り囲んでいた。かすかに若い女の読経の声が聞こえてくる。星照院の法力により、最後の一線を守り抜いているのだろうが、死人の群れのほかに、小柄な鬼と人間の倍はありそうな巨大な鬼が今、奥の院への階段を上り終えた。

 そして、その巨体を揺るがし、奥の院に迫って行ったのである。


「今、魔神を呼べないから一番強い魔具を使うけど、相手が悪すぎるわ。そうだ、重蔵に頼んでみるか。」


 その頃、奥の院では、二十数名全員無事で、最終決戦に備えていたのだった。

 怪しい人影が近付いたのを、寺男の宗助がいち早く察知し、星照院に伝え、素早く全員を裏口から奥の院に脱出させたのだ。動揺する者もいたが、雄山が先頭に立って的確に指示を出したので混乱はなかった。戦乱の時代ならではの手際の良さである。

 そして、用心棒役を買って出た猿楽師の正や大門が大活躍、追ってくる死人を長槍で叩きのめし、骨法(こっぽう)で鎧ごと吹っ飛ばした。そして崖の下に追い詰め、久太郎と宗助が岩を落として封じ込めたのだ。

 そして、星照院が読経を始めると、魔物たちが入って来られないことがわかり、今に至るのである。今、星照院の読経によって、奥の院に入って来られない巨大な鬼の足音だけが響き渡る。恐がりの久太郎が、外の動きを敏感に感じて、雄山に告げた。

「先生、外でドシンドシンと音がしますよ。すごい化け物が来たんですかね。くわばら、くわばら。」

「本当に騒がしくなってきたな。血を吐かんばかりの星照院さまが、心配じゃ…。」

 悪霊退散の読経を行う星照院は、一瞬の休息もなく、ただ全員の無事を祈り続けている。お市は、戸の隙間から外を見て目を丸くした。外で睨みつける小柄な鬼を見て、おびえていた。

 その鬼こそ、若いまま恨みを残して死んだ悲運の武将の魔界に落ちた姿だった。巨大な鬼は家来の転生したもので、小さい鬼の言いなりだった。

「行け、中にいるやつらを、すべて魔界へ引き込むのだ。」

 鬼武将の掛け声に、巨大な鬼が前進、後退を繰り返す。奥の院が落ちるのも時間の問題だと思われた。

「待ちな! アンタたちの相手はこっちだよ。」

 振り返った鬼どもの前に、未月が立ちはだかった。


「いでよ! 牛頭(ごず)大王・馬頭(めず)羅刹。」

 地面に置かれた二体の土人形から地獄の炎が吹き上がり、その中に異形の怪物が姿を現した。地獄の獄卒である。頭が牛、体が人の牛頭大王は、重厚な金属の鎧をきらめかせ、巨大な二本の斧を軽々と振り回す。頭が馬で長身の馬頭羅刹は、驚異的なバネとスピードで、大逆矛を自在に操る。巨大な鬼が近くの岩を投げつけ、死人の武将たちが長槍を突き立てて突進してくる。巨大な岩を角で受け止め、左右の斧で粉々にする牛頭大王、馬頭羅刹の大逆矛が、二度、三度と空中を舞うと、槍と武将の首が、スパスパと切り落とされる。怒り狂った巨大な鬼が、長い長い巨大な長刀と金槌をぶんぶん振り回す。死人の武将たちは、死霊の黒い馬を呼び、騎馬ごと突進してくる。だが、牛頭大王が二刀流の斧をぐんぐん振り回すと、鬼の長刀はスパスパと短くなり、金槌も頭が飛んで、、鬼はバランスを失ってひっくり返る。馬頭羅刹が、牙を剥いて雄叫びを上げると、死霊の馬は、すべてその場で暴れだし、死人の武将を振り落とす、そこに大坂矛が翻り、武将たちは真っ二つだ。


「なかなかやるのう。では、これではどうじゃ。」

 鬼武将が叫ぶと、両手から長いムチが、生き物のように伸び、ビュンビュンと唸りをあげる。そのムチを、巨大な斧や大坂矛で受け止める牛頭・馬頭。だが、しなるムチは、その武器ごと牛頭・馬頭を捕らえた。と、見る間に太く大きなうわばみへと変化していった。さしもの牛頭・馬頭も、あっという間にぐるぐる巻きにされ、身動きがとれなくなった。巨大なうわばみは、鎌首を上げて、牙を剥き、どんどんきつく絞め上げていく。

 すると、それを見ていた巨大な鬼が、大きな刀を抜き、二体に迫ってきた。

「ハハハ、その珍しい首をもらっておくぞ。」

 鬼武将が勝ち誇る、さすがの未月も、冷や汗ものだった。

「ここまでか…。だが、まだあきらめるな。重蔵、頼むよ。」

「な、なに!」

な んとその時、巨大な鬼が振り上げた大きな刀が、生き物のように勝手に暴れだし、鬼の手を離れて、地面に落ちてのたうちまわった。なんということだろう、刀は巨大ななまずに変わり、大きな舌をべろんと出すと、森の中へ逃げ出したのである。追いかけ、つかもうとする鬼、それを馬鹿にするように逃げていくナマズ。やっと追いついたと思ったら、地面から大きな鐘が現れ、鬼の前に立ちふさがった。よくみると、手足が生え、一つ目がぱちくりしている。

 そう、すべては、ムジナの重蔵のお化けの術である。どちらも力自慢の巨大な鬼と、化け梵鐘の大相撲がはじまった。

「幻術のおかえしさ。さあ、今のうちに脱出だ。」

「なんだと、そのうわばみはそう簡単には…。」

「牛頭大王、溶解の術!」

 なんと、牛頭大王は、長い舌からだらだらと消化液を出して、巻きつくうわばみの頭を、溶かし始めた。

「馬頭羅刹、切断刃の術!」

 馬頭羅刹が、力をこめて口を開けると、頑丈な歯が大きく飛び出て、口が二倍以上のおおきさになった。そして、その巨大な口でうわばみの頭をかじりとって、吐き出したのだ。二匹のうわばみは魔力を失い、ムチに戻って地面に落ちた。

「ば、ばかな。」

 再び自由になった二匹、牛頭大王は頭を下げると、助走をつけて巨大な鬼に突進、思いっきり角をかちあげた。馬頭羅刹は、大坂矛を竜巻のように回転させながら、死人の武将の中へ突っ込んでいく。

「うおおー。」

 巨大な鬼が、死人の武将たちが宙に舞い、大きな地響きとともに地面に落ちた。そしてあたりには静けさが広がった。

「おお、静かになった。外の様子を見てみるか。」

 雄山がそう言って、慎重に少しだけ戸口を開いたその時だった。

「ありがとよ、これを待っていたぞ。」

 鬼武将の体が火に包まれたかと思うと見る間に、大きく飛び上がり、その隙間に飛び込んできた。燃え盛る火の玉がはじけ、戸板がはずれて左右に飛び散り、鬼武将は戸口のそばで読経をしていた星照院のすぐ目の前に現れた。そして、皆の前で、刀を取り出すと、読経をする星照院の首にその刃を突き立てた。

「命が惜しければ読経をやめろ。ほかのやつらもいいか、言うことをきかないと、この尼の命はないぞ。」

 鬼武将は、やったと思った。大逆転だ。これでこの尼を人質に取れば、すべて思いのままだと思った。だが…。

「な、なんだ。命が惜しくないのか、皆も、こいつの命が惜しくないのか。」

 なんということだろう、刃が首に当たっているのに、星照院は読経を一瞬たりともやめようとはしなかった。皆にも、その一途な、死んでもかまわないという思いが伝わり、少しずつだが鬼武将の方へと、間をつめていったのだった。

「おまえら馬鹿か。よし、それならひと思いに殺してやる。」

 鬼武将は、ついに刀を振り上げた。だが星照院は、さらに大きな声で読経を続けた。

「悪霊退散!」

「うがぁ。」

 星照院の言葉が突き刺さったように、鬼武将は苦しみ始め、ふらつき、外に飛び出した。そこに巨大な斧が突き刺さり、大坂矛が首を切り落とした。すべては終わった。


 暗闇の中にいたので、未月の姿は皆に見られてはいなかった。怪物同士の戦いは目撃されてしまったが、雄山は、魔物たちがたくさん現れ、大騒ぎをして通り過ぎていく、これこそが百鬼夜行だと、皆に説明していた。命がけで皆を護った星照院は、いつの間にすこやかな寝息を立てていた。

 未月が、こっそり皆のもとに帰ると、宗助が、お疲れさまでしたと深く頭を下げた。お市が未月を見つけて、抱きついてきた。強く、強く、抱き締めてきた。まだ私はここにいてもいいのかと思い、涙がこぼれた。


 奥の院を望む山の上から二人の怪僧が、それを見届けていた。

「魔界から受肉されたばかりの鬼武将影清様と家来の弁大がやられた。鬼流門、おそるべし。」

「やはり、星照院の力は本物だ。早いうちにつぶすべし」

 そして二人の怪僧は、闇の中へ静かに消えて行った。

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