第41話 一緒に来てくれ

 葵が国営放送局からクマリの館に戻ったのは、深夜だった。


 あの慌ただしさのあとでも、国王は葵のために軍用車を手配してくれた。


 まだぬくもりが残っていたはずのアカーサの体は、すっかり冷たくなっていた。死後硬直の始まった体をタオルでくるみ、葵は車の中でずっと抱いていた。


 館に閉じこめられた少女と、大空を飛べる鷹。

 クマリとアカーサが重ねてきた年月のことを思うと、胸の奥から何かが込み上げてきて、葵は落涙を止められなかった。


 アカーサを抱いたまま葵がクマリの部屋に入ると、彼女は窓際の机にもたれて眠っていた。下まぶたの目張りが涙のせいで崩れ、頬に黒い筋ができている。


 このまま寝させてあげるべきかと迷っていると、クマリの双の眼がぱちりと開いた。


 葵の顔と、タオルにくるまれたものを見て、彼女は「ああ……」と嘆息した。


 クマリが立ち上がって、両腕をアカーサの亡骸へと伸ばす。


 確か、ヒンズー教では死は伝染すると考えられているため、遺体に直接触れてはいけない決まりがあった。

 葵が迷っていると、「かまわん」と小さく言われた。


 アカーサの亡骸を差し出す。彼女はそれを小さな手で受け取り、大事そうに抱きしめた。


「明朝、火葬にする。煙となって天に昇れるように」


 そう言うと、クマリは葵の背後、開けっ放しのドアの向こうに呼びかけた。


「マヤ」


 葵が振り向くと、出入り口にマヤが現れた。相変わらず無表情だが、どこか泣くのをこらえているように見える。


 立ち止まったまま入ってこないマヤにしびれを切らしたのか、クマリの方から歩み寄る。葵はそっと部屋の隅によけた。


「マヤ。我は血を流し、地面に足をつけた。よって、クマリの資格を失った。王室付き僧侶に連絡して、すみやかに次期クマリの選定に入るように」


 葵に理解できるようにとの配慮なのか、クマリは英語でそう言った。唇を引き結んだまま、マヤは言葉を発しない。


「王宮は混乱しているだろうが、すぐに収まる。明日の朝一番に連絡しておいてくれ」


 淡々と告げるクマリに、マヤが口を開いた。


「どうして」


 何が、とでも言いたげに、クマリがゆっくりと瞬きをする。


「私は、あなたを裏切ったのですよ? 塩の力を持つアオイを常世に置き去りにし、女王アリを王太子にけしかけてクーデターを起こさせた」


 マヤが膝を折り、床に手をつく。


「あなたがクマリとしての責務を果たせなくなることを願っていた。この国が乱れればいいと。……私は国を裏切る大罪を犯したのです。しかるべきところへ引き渡して断罪するべきでしょう」


 マヤの言葉に、クマリは淡々と答える。


「この国の人たちは、アリの存在を知らない。マヤがしたことは、ゴルカナ国の法律で裁けるものではない。だから、断罪できない」


 絞り出すような声で、マヤが続ける。


「山車の支柱に細工をしたのも、私です。下手をすれば大怪我をしたのに!」


「あんなわかりやすい細工、我が気づかないとでも思ったか。……本当は、見つけて欲しかったのだろう? 支柱の細工も、他のことも」


 表情のない顔で、クマリがマヤを見下ろす。


「我がクマリになったとき、教えてくれたな。アリが悪なのではない。そして、負の感情は誰にでもある、と」


「まさか、きれいごとを言って見逃すとでも?」


 マヤの言い方は、皮肉とも、罰せられることを望んでいるとも取れた。


「どうだろうな」

 クマリが、タオルにくるまれた鷹の亡骸を抱きしめる。


「昔のクマリは、全知全能のはずだからと教育を受けられなかった。退任後の人生は、決して幸福なものでなかったと聞く。だが、マヤが掛け合ってくれたから、我は水準以上の教育を受けられた。早くから英語を教えてくれたのも大きい。これなら、飛び級で外国の大学に留学できる。自分の人生を自分で決められる。……マヤのおかげだ」


 わずか九歳の女の子が、大人びた表情で続ける。


「ゴルカナは過渡期だ。山村部と都市部の格差は大きい。インターネットやIoTを駆使すれば、格差を縮められるし、国全体の発展も見込める。だから我はエンジニアになりたい。国外で学んで技術を持ち帰るつもりだ。だから」


 クマリがいったん言葉を切って、マヤと目線を合わせる。


「一緒に来てくれ。マヤなら英語も話せるし、大学に入れる頭脳もあるだろう」


 意外な申し出に、マヤが目を見開いてうろたえる。


「私はもう四十歳ですよ? あなたが留学する頃にはさらに年老いています。今さら勉強なんて」


「何かをするのに遅すぎることはない、という格言があるではないか」


「ですが」


「我一人では不安なのだ。どうにも人付き合いというのをしたことがないのでな。……罪滅ぼしがしたいのなら、一緒に来てはくれないだろうか」


 クマリが咳払いをして、はっきりと告げる。


「マヤが、必要なのだ」


 無表情だったマヤの顔が、はにかんだような、ひきつったような、微妙な表情になる。


「……罪滅ぼしならば、仕方がありません。お供いたします」


 クマリがにやりと笑う。


「レベルの高い大学を目指すからな。ちゃんとついてきてくれないと困るぞ」

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