第21話 ゴルカナ国のロイヤルファミリー

(「それはクマリの仕事ではない」って、人々が生きやすいよう国を守るのが、クマリの役目じゃないの?)


 非難がましい葵の視線に応えるように、クマリが言う。


「クマリの仕事は、アリが増えすぎないよう間引くことだ。アリが負のエネルギーを人々に植え付けることで、結果的に国を乱すからな。しかし、アリ自身は悪ではない。ただ食事をしているだけだ。つまり」


 クマリが言葉を切る。


「クマリは善悪を判断する存在ではない。ただ、負のサイクルが増えすぎないよう調節する。それだけだ」


 でも、と言った葵の言葉は、クマリにさえぎられた。


「クマリは生き神と言われている。だがアオイも、我を見ているとわかるだろう。クマリはただの人間だ。人生経験の少ない、幼い女児。そんな者が人を裁く存在になったら、どうする? 好き嫌いで判断する者や、他人の言いなりになる者も、いずれ出てくるだろう」


「うん、わかる。わかるけど……」


 言いよどんだ葵にこれ以上話させないためか、一単語ずつはっきりと発音した英語で答えが返ってきた。



 これでは平行線だ。葵が何を言っても、クマリは思考停止している。いや、わかっていて考えを変えないのか。


「わかった、もういいよ!」

 思わず吐き捨てた葵に返ってきたのは、「人前で感情を出すな」というクマリの一言だった。


 葵は憮然として席に座り直し、一日クマリとしての責務に没頭する。終始無言のまま、巡行は続いた。


 山車が、折り返し地点である旧王宮前の広場に到着した。


 広場の中央に臨時に設置された高い柱が、威容を放っている。ネパールのインドラポールと同じく、王権を強化するための象徴なのだろう。柱の先端には赤い布がかぶせられ、同じく赤い幟が風に舞っていた。


 軍の楽隊がマーチを奏で、広場は熱気で満ちあふれていた。軍と警察が人をかき分け、山車が通るための道を作る。人の海を割りながら、クマリの山車はゆっくりと進んだ。


 山車はまっすぐに旧王宮の白い建物へと向かう。


 二階のベランダに、たくさんの軍人に囲まれた初老の夫婦が見える。

 あれが、専制王政を立憲君主制に変え、民主化の父と慕われている、ドラヴィ国王陛下と王妃だろう。


 国王は、民族衣装である白いダルワ・スルワールの上に背広を着て、トピー帽をかぶっている。初老ながら黒々とした口ひげが印象的だ。王妃はオレンジ色のサリー姿だ。


 お二人から一歩下がったところにいるのが、王太子と王女のようだ。

 王太子は痩せ形で背が高く、肩章のついた軍服を着ている。上級将官なのだろう。

 きっちりと髪を結って眼鏡をかけた王女は、王妃よりも国王に似ている。


 山車がベランダ近くに横付けされる。

 すぐそこにゴルカナ国の国王がいらっしゃるという事実に、葵は緊張を隠せなかった。


 これから、国王がクマリの山車に金貨を投げ入れる神事が行われる。

 昔は、クマリが国王にティカを授けることで、向こう一年間の国を支配する権利を与え、その感謝に国王がコインを捧げていたが、簡略化されたそうだ。


 高らかに演奏していた軍の音楽隊が、演奏をやめる。

 人々が固唾をのむ中、国王がベランダの手すりまで近寄る。


 クマリは背筋をぴんと伸ばし、微動だにせず国王の方を見つめている。

 国王は合掌したのち、右手に持った金貨を山車に向かって投げた。


 クマリが座る場所のすぐ近くに、コインは落ちた。


 あたりが静まりかえっていたため、カン、とかすかな音が葵にも聞こえた。


 歓声があがり、うまく山車にコインが入ったことを人々が喜ぶ。国が平和である吉兆なのだ。国王は再度合掌し、クマリに向かってその場でぬかずいた。


 そのとき葵は、ひときわ濃い蟻毒の気配を感じた。


 悪意の出所を、両目と第三の目を使って探る。

 膝を折って拝礼する国王、笑顔で合掌する王妃と王女。なごやかなはずのロイヤルファミリーの中に、不協和音を奏でている人がいた。


 軍服を着た王太子のみが、合掌せずに両手を後ろ手に組み、にやにやと笑いながら揺れている。


 目の前でぬかずく国王の背中を、王太子が馬鹿にしたような目で見下ろしている。皮肉を浮かべるその唇は左右がゆがんでいて、顔中が蟻毒で真っ黒だった。


 王太子は、今度は山車の上のクマリに目を向けた。

 舐めるような視線で彼女の全身を見回し、鼻で笑う。とても生き神に対する態度とは思えない。


 どうして王太子があのような態度を取るのか、葵はクマリに訊いてみたかったが、さすがに口喧嘩した後では声をかけづらい。


(王太子のあの真っ黒な蟻毒は、取れるのかしら)


 彼はクマリが祭の間何をしているのか知っているかのように、のらりくらりとクマリの視線をかわし、それでいて挑発するかのようにクマリに目線を送り続けている。


 音楽隊が、再び演奏を始める。

 他の山車が、ゆっくりと旧王宮前広場を去る。人が多いのと、山車のコントロールが悪いのとで、なかなか進まない。


 クマリはロイヤルファミリーの方へ視線を向け続けていたが、王太子の蟻毒だけはどうにも取れないようだった。クマリの小さなため息が、背中越しに葵にも聞き取れた。


 ようやくクマリの山車が動き始める。

 王太子の視線のせいで、せっかくコイントスが成功したというのに葵はもやもやしたままだった。まだまだ巡行は続くというのに。

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