第19話 「一日クマリ」として

 クマリジャトラの巡礼の山車は、五キロメートルの道のりをゆっくりと進んだ。八カ所ある土地の神様を祀る場所で、それぞれ山車を止め、クマリが祈りを捧げる。


 その前後の休憩時間に、葵はできるだけ人々と関わるようにした。


 葵は人の顔を覚えるのがあまり得意ではないけれど、昨日常世から見た人たちは一目でわかった。見つけたときは、葵の方から出て行き、声をかけた。


 目当ての人を見据えながら、まっすぐ歩く。そうすれば相手は大抵立ち止まった。


「そこの黄色いトピー帽の男性」


 葵は英語で呼びかけた。

 言葉はわからなくても、視線で自分のことだとわかっているはずだ。

 葵は臨時の一日クマリだから、本物と違って地面を歩いてもかまわない。布でできた靴で一歩ずつ進む。赤いサリーが足に絡みつく。


「女神像の首飾りを盗んだでしょう。元通り返しなさい」


 何を言っているのかわからないといったように、男性は首をすくめる。

 葵は自分がかけている首飾りをつまんで持ち上げ、男をにらんだ。身に覚えがあるからか、男の目がたじろぐ。

 葵は近づいて男の右手を取ると、その甲を軽くたたいた。


 逃げられない、という目をしたかと思うと、男はひざまずいて葵の足に頭をすりつけた。ゴルカナ語で何かを詫びるように繰り返す。


 頭を上げるようにと、葵はかがみ込んで彼の肩に触れた。涙目になっている男と再び目を合わせ、できるだけ蟻毒を取る。


 先ほどのクリシュナと違って、ちゃんと本来の生命エネルギーを引き上げることができた。これなら、女神像の首飾りは戻ってくるだろう。


 選挙で不正を働いた議員を見かけたときは、さすがに英語が通じるだろうと「賄賂はよくない」と葵は面と向かって言った。


 せっかく立憲君主制となり、民主化への道を歩んでいるのだから、議員になったときに持っていたであろう「国を良くしたい」という理想を思い出して欲しい。


 しかし、よく肥えた髭面の男性は不敵な笑みを浮かべると、葵にゴルカナ語で何かをまくしたてた。根拠がない、とでも言いたいのだろう。彼の肌は穴だらけで、蟻毒が入り込み黒ずんでいる。


 山の女神への供物なのか、その議員はお菓子を載せた銀の盆を持っている。不正をした汚れた手で、神様へ供え物をし、さらなる現世利益を得ようというのか。


 葵は議員の男を見据えたまま、供物のお菓子をつまみ、すぐ元に戻した。


 周りの人たちが、ざわざわし始める。


 クマリが供物に手をつけるのは凶兆で、その人はお金を失うことになる、と言い伝えられているからだ。


 議員の男のヒステリックな怒鳴り声が、背を向けて歩き出す葵の後ろで聞こえた。


 ありもしない夫の浮気を疑って、疑心暗鬼になっている妻に対しては、葵は夫婦の手を無理矢理つながせ、妻の目を見て「大丈夫」を繰り返した。


 できる限り妻の蟻毒を取って本来の状態に戻したし、「イッツ・オーケー」程度の英語なら通じるはずだ。

 笑顔を取り戻した妻が夫にほほえみかけるのを見届けると、葵は「お幸せに」と言い残して立ち去った。


 貧困ゆえに子どもの手か足を切ろうとしている夫婦については、葵はどうしようか最後まで迷った。


 体が不自由な子どもを連れている方が、同情からたくさんお金を恵んでもらえる。だから、健常児の手足を切断する。この国ではまだ、そんなことが当たり前に起こっている。

 このケースにだけ首を突っ込んでも解決するわけではない。しかし、知ったからには放っておきたくない。


 葵は親子に近づくと、かがみ込んで子どもと目を合わせた。やせて手足は細く、目だけが大きく輝いている。

 葵は袖の中から容器を取り出すと、子どもの額に赤いティカを授けた。それから、右手、左手、右足、左足と「丈夫でありますように」とゆっくりなでる。


 葵は立ち上がると、今度は夫と目を合わせ、本来の正のエネルギーを引き出そうとする。蟻毒が多すぎるし、のらりくらりと視線をかわされてしまったが、最低限の毒は取れたはずだ。


 最後に妻と目を合わせる。葵は彼女の右手を取って、腕を手刀で切るまねをし、何度も「ノー」と言った。

 そして、周りの人にはわからないよう、葵は日本から持ってきたペンダントを彼女の手に握らせた。小さいが真珠だから、当面の足しにはなるだろう。


 一日クマリである葵が山車から降りてきたあと、泣きながら感謝を述べる人や、家族で抱き合う人が相次いだことから、瞬く間に噂が駆けめぐった。


 日本から来た一日クマリは、強い霊力を持っている。

 ダラナ村のクマリは国を守るのが役目だが、あの一日クマリは人々の現世利益のために力を使ってくださる、と。


 山車の周りに人々が集まり、二人のクマリを見上げて熱狂的な祈りを捧げた。


 山車が進むたびに砂埃が舞い上がり、葵まで喉が痛くなってきたが、クマリを讃える声はやむことがなかった。

 人々は声が嗄れるまでクマリを呼び、悩みを告白し、助けを求めた。


 葵にゴルカナ語はわからないが、その切羽詰まった表情から、彼らの悩みが火急のものだということは理解できる。


 ゴルカナの人々の悩みを直接取り除くことはできないけれど、蟻毒を追い出して本来の生命エネルギーを引き出すことで、彼らが問題解決の糸口をつかめますように。

 それがプラシーボでも何でもいい。少しでも心が軽くなるのなら。


 そう祈りながら、葵はクマリとして振る舞い、彼らと視線を合わせ続けた。

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