第15話 仕組まれた罠

 机に突っ伏したまま眠るクマリを、葵は観察する。


 首にかけた大きな銀の首飾りが壊れないよう、体からずらしている。大事なもののようだ。中央で首をもたげた蛇の形――おそらくナーガを象っているのだろう。


(あの納曾利なそり面の男の子がナーガだとしたら、インターネットでやりとりできるかしら。神社に国際電話をかけたらナーガが出てくれるとか?)


 葵がそんなことをとりとめもなく考えていると、窓ガラスをコツコツとたたく音が聞こえた。


 鷹が戻ってきている。


「お帰りなさい」


 窓を開けて、アカーサを迎え入れる。

 鷹は机の上に飛び乗ると、クマリの体に頭をつけた。


 クマリの肩がぴくりと動く。彼女はゆっくりと上体を起こし、大きな目でこちらを見た。


「アオイ、話がある。常世へ来てくれ」


 立ち上がったクマリは英語でそういうと、ロウソクをつけてから部屋の電気を消した。葵がまだ返事をしていないのに、クマリはさっさと常世へ行く体勢を取っている。相変わらず、相手の都合を考えない子だ。


 葵は床に座り込むと、昨日の要領で両目を閉じ、ゆっくりと額の第三の目だけを開いた。



 青灰色の荒野で、オオアリクイに乗ったクマリが待っている。

 チャンドラは常世の生き物らしく、現世には来れないようだ。そばにはさっきの鷹も控えていた。


「明日のクマリジャトラの準備で、ちょっと問題が起きてな」

 クマリがマヤに指示していた山車の支柱の件らしい。


「山車の支柱は、まっすぐな一本の木でなければならないのに、若木を二本ついだものだった。中腹の村まで約五キロの坂道の往復を、あんな作りでは途中で壊れるのは目に見えている」


 神道でも儀式の際は、供物の種類はもちろん、位置、祭主のお辞儀の角度、どちらの足から進むかまで、ことこまかに決められている。信心深いゴルカナの大きな祭でそのような失態は信じられない。


「もし、山車が壊れたら?」

 葵が訊ねると、クマリは淡々と答えた。


「我は数メートルの高さから落ちるだろうな。怪我をして血を流す、地面に足をつける、どちらもクマリの欠格事由だ」


 欠格になるだけではない、場合によっては命に関わることじゃないか。


「まさかとは思うけど……」


「まさかではない。故意にやった者がいる」


 自分の命を狙われているかもしれないのに、クマリは無表情のままだ。


「ひどい。クマリは皆のために祈っているのに」


「我を排したいというより、国に影響を及ぼしたいのだろうな。大祭でそのようなことをすれば、大地の神がお怒りになる。……祭はパフォーマンスではない。土地を守る神々が住まう場所を、一つ一つお伺いして感謝を表すものなのだ。神々を怒らせてしまっては、雨が降らなくなるし、土地もやせ細る」


 日本でも、祭の華やかさだけが強調されてエンターテイメントのようになっているが、祭とは本来、神々への感謝と畏敬を表すものなのだ。


「でも、国を衰退させて得をする人なんて、いるかな。外国の人とか?」


「残念ながら、国内だろう。しかし、首謀者がわからないのだ。それだけの悪意を持っていれば、アリの餌食になるはずなのに、そのような者は見かけない。特殊な力の持ち主なのかもな」


 行くぞ、と当たり前のような顔をして、オオアリクイに乗ったクマリがアリ塚へ向かう。


「アオイ。昨日言った、アリを減らすのに潮満珠しおみつだまを使わせてほしいという件はどうだ。考えてくれたか」


 葵もできる限りのことはしたいが、ゴルカナ永住だけは無理だ。


「私もなるべく協力したいんだけど、あと三日でこの村を去らなきゃいけないし……」


「わかった。あと三日だな」


 引き留められるのかと思っていた葵が、あっさり了承されて拍子抜けしていると、クマリが続けた。


「アオイがここにいる間に、我はアリ塚を破壊し、現在の女王アリを葬る」


 クマリの声は、少しばかり硬かった。


「どうしたの、急に。もしかして、私の都合に合わせてくれてる?」

「いや、そうではない」


 気を遣ってくれていると思ったのに、即答で否定するところがクマリらしくて、葵は逆に安心する。


「また何か仕組まれて怪我でもすれば、我はクマリを解任されるだろう。次のクマリが選ばれるまでには数ヶ月が必要だ。その間、あの肥大したアリ塚は放置される。間引かれないアリは増え続け、人の世界に悪さをし続けるだろう。それだけは阻止しなければ」


「今までは、クマリの交代時期はどうしていたの?」


「クマリの任期は約十年、アリ塚も約十年ごとに崩される。つまり、クマリは任期の最後にアリ塚を破壊するのだ。肥大したアリ塚を破壊する際に欠格事由が起こってクマリを退任する、といった方が正しいかもな」


 初潮が起これば退任、というのは表向きの理由だったのか。


「とにかく、破壊された塚から逃げのびたアリが巣を作り、新たな女王が誕生するまでには時間がある。その間に、新たなクマリが選任される」


 そうやって長い間バランスをとり続けていたのか。

 女王アリが育ち、それをクマリが葬り、また新たな女王アリが育つ。繰り返されてきた歴史に、気が遠くなる。


「我は三歳でクマリとなり、現在九歳だ。七年で退任は少し早い気もするが、仕方があるまい」


「クマリ……もしかして、アリ塚を破壊して、自分も退任する気?」

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