第14話 祭前夜のトラブル
寺院からの長い階段を下り、葵はクマリの館への帰路についた。
広場で祭壇や神輿のようなものが組み立てられているところに出くわす。
「明日はクマリジャトラですからね。……あのいちばん大きな
マヤが近寄って山車を見上げる。かつて生き神だった頃、もしかしたら運命を操ることができた頃のことを思い出しているのかもしれない。
クマリが乗る山車には四つの大きな車輪がついている。木製の車輪には、赤と白で三つの目が描かれていた。
人が乗る部分には、四つの柱に八角の屋根が三段重ねでついた塔のようなものがある。この中に、クマリは鎮座するそうだ。
人が乗る部分の高さは二メートルほど、屋根のいちばん上までだと五メートルと、かなり大きくて本格的な山車だ。
「アオイ」
また無愛想な顔に戻ったマヤが言う。
「明日はアオイにも、一日クマリとしてあの山車に乗ってもらいます。帰ったら衣装合わせと、手順の打ち合わせをしますよ」
「え、そんな」
何でもないことのように、さらりと言われても困る。
「この村では、旅人は来訪神として遇されます。特にアオイは、クマリジャトラの時期にやってきた日本の巫女です。特別に、一日クマリとして祭に参加してもらうのが妥当でしょう」
自分は巫女ではない、ただの学生だと葵は説明したが、「
押し問答の末、観念した葵は一日クマリになることを了承した。
夕食と入浴のあと、葵はマヤから明日のスケジュールを告げられ、注意事項を言い渡された。曰く。
「クマリでいる間は笑ってはいけない、供物に触ってはいけない」
衣装合わせでは、葵はクマリが着ているのと同じ赤い服を身につけた。髪は結い上げ、赤い房のついた黄金の冠をかぶる。
鏡を見ると、本当に自分が女神になったように錯覚してしまう。
試しに葵も、表情をなくし、見おろすような感じでポーズを取ってみる。なかなか様になってるじゃん、と悦に入っていると、扉が開いてクマリが入ってきた。
「マヤ」
クマリがマヤに向かって、ゴルカナ語で何事か言う。
葵の衣装の裾を合わせるためにかがみ込んでいたマヤは、表情を変えずに立ち上がった。ゴルカナ語で返事をしてから、葵に向かって告げる。
「問題が起きたので、村長のところへ行ってきます。衣装は脱いで、そこへかけておいてください」
マヤが出て行く。窓の外はすでに真っ暗だ。
「何があったの?」
葵が問うと、クマリが英語で答える。
「山車が崩れる未来が見えた」
それでマヤに、山車を確認しに行かせたらしい。クマリの第三の目は予知もできるのだろうか。
「アオイ、昨日の続きと言いたいところだが、その前にちょっと用がある。我の部屋に来てくれ」
クマリの英語は、なまってはいるが流暢だ。マヤが教えたのだろうか。
衣装をどうしようか迷っていると、「そのままでいい」と言って、クマリはさっさと出て行く。貴重品の入ったリュックを持って、葵も衣装のまま後に続いた。
クマリの私室の中は殺風景だった。
ノートパソコンが乗った机、椅子、姿見、ベッド。他に家具はなく、木の床が広がるばかり。およそ威厳も神秘性もない部屋だ。
お邪魔します、と言って葵は中に入り、扉を閉める。クマリが窓を開けて、薄暗い外へ向かって叫んだ。
「アカーサ!」
翼の音がしたかと思うと、大きな鳥が飛んできて窓枠に留まった。
常世で見た鷹だ。明かりの下で見ると、昨日よりも大きく見える。
「常世の生き物じゃなかったんだ……」
昨夜と違ってアカーサは人語を話すことはなく、葵を見ると「ピイィ」と鳴いた。
クマリが何事かを言うと、鷹はお辞儀をするように頭を下げる。
「アオイ」
クマリが窓際の椅子に腰をかけ、机にもたれかかる。
「山車の支柱に異常があったのだ。ちゃんと直されるかを見てくる。祭の最中に壊れたら困るからな。少し待っていてくれ」
「見てくるって……」
クマリは館から出られないのではなかったのか。
「アカーサが乗せてくれる。魂だけだし、地面に足はつけないから、平気だ」
逆に平気じゃないよ! と思ったけれど、どうやら彼女にとっては日常茶飯事みたいだ。
「体は置いていくので、虫に刺されないよう窓を閉めておいてくれ」
そう言うと、クマリの体は机に突っ伏し、動かなくなった。
キイィ、と鷹がいななく。葵に一礼すると、アカーサは夜の闇へと飛び去った。
微動だにしないクマリの体を、葵はおそるおそる触ってみた。
温かさはちゃんとあるし、息もしている。けれども、揺すっても声をかけても反応がない。
びっくりするようなことばかりで驚き疲れた葵は、考えても仕方ないとばかりに、とりあえず窓を閉めて虫がこないようにした。
常世、アリ、塩の雨、人語を話す鷹とオオアリクイ。
ここへ来てから、不思議なことばかりだ。
(そもそも、鏡香が急に病気になって旅行をキャンセルしたのも、クマリが何か手を回したとしか思えないのよね……)
けれども葵は、クマリのことを怖いとは感じなかった。
館から出られない不自由さの中で、クマリは鷹に乗ってつかの間の外の世界を楽しむ方法を覚えたのだろうか。だとしたら少し切ない。
待っている間、葵はスマートフォンを取り出し、SNSをチェックする。
ラクシュミからの返信はない。
(メッセージ、読んでくれたかな。いきなり信じろって方が無理だけど、何とかあの子が売春宿に売られなくて済むようにできれば)
そして、潮満珠と潮干珠をゴルカナに置いていく方法があれば、と葵は思案した。
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