第13話 裏のロイヤルクマリ
葵はようやく、クリシュナが売春宿へ売るターゲットにした女子校生のSNSページを探し当てた。
投稿は学校や友達のことが中心で、ラクシュミ本人の写真も載せられている。これでは、どこに住んでいるかなどの個人情報が筒抜けだ。彼女のインターネットリテラシーは低いようだ。
「マヤさん、ムグラって、ここから近いんですか」
ラクシュミの現在地であるムグラが近ければ、じかに話をしたい。
「ちょっと遠いですよ。山を下りて、さらに車で市街地まで行ったところです」
会うのは無理そうだ。それなら、せめて警告をしておこう。
葵はラクシュミ宛に、英語でメッセージを書いた。
「クリシュナは人身売買のブローカーで、あなたをインドの売春宿へ売ろうとしている。絶対について行かないように」と。
「ムグラに知り合いがいるんですか?」
マヤが話しかけてくる。
「いえ、知り合いってほどじゃないんですけど、SNSでちょっとやりとりを」
「ああ、最近多いみたいですね、SNSのつながり。もしかしたら、明日の大祭――クマリジャトラに来るかもしれませんよ」
単なる村祭に、都市部から人が来るのだろうか。
葵の不思議そうな表情を読み取ったのか、マヤが余裕の笑みを浮かべた。
「ダラナ村のクマリは、ローカルクマリではありませんよ」
マヤの口調はどこか得意げだ。
「アオイは常世を見たから、特別に教えましょう。首都サハールにいるロイヤルクマリは、祭祀と予言を主とする対外的な表のクマリ。この村のクマリは、常世でアリを間引くことにより国の平和を保つ、いわば裏のロイヤルクマリです」
国を守る実質的な役割は、この村のクマリが担っているということか。
「その役割を人々は知りません。が、国王がひざまずくことから、国にとって特別なクマリであることは知れ渡っています。だから、クマリジャトラにはたくさんの人が訪れるのです」
マヤの表情は誇らしげで、「クマリになどなるものではない」と言いつつも、プライドを持って生き神の役割を担っていたのだな、と葵は思った。
「そろそろ帰りましょうか」
階段を駆け下りる子どもたちに「危ないよ」と注意しながら、葵とマヤもゆっくりと後に続く。
マヤの顔を、葵は斜め後ろから眺める。
目の大きい整った顔立ちで、どこか神秘的でもある。が、眉間や目尻に刻まれた皺が、彼女の疲れや諦めを物語っているようで、見ていて切ない。
クマリとして栄光を極めた少女期のために、それ以後の人生を犠牲にしてしまう理不尽さを、部外者の葵ですら感じてしまう。
クマリに選ばれたことが運命だったとして、マヤ本人はどう思っているのだろう。
「何か」
視線を感じたのか、マヤが葵の方を振り向いて訊ねる。
「いえ、あの……そういえば、ここに警察署はありますか?」
「この村にはありません。もっと麓にいかないと。何か問題でも?」
マヤには話してもいいだろう。なにせ、国のためにアリと戦っていた元クマリなのだ。
「実は、人身売買の斡旋人の情報をつかんだんです」
葵に合わせて、マヤも立ち止まる。
「女の子を欺してインドの売春宿に売ろうとしているんです。警察に言って、早くその人を逮捕してもらわないと!」
返ってきたのはため息だった。
「それは、警察に言っても無駄です」
諦めたような表情で、マヤは続ける。
「この国の警察は、あまり機能していません」
「でも、旅行ガイドには治安のいい国だって」
「対外的には、です。賄賂を送ることで、表面上の平和は保たれているから。たぶん、国境警備に当たっている警官は、賄賂をもらっています。首を突っ込まない方がいい」
素朴な国民性の平和な国、というイメージが、崩れ去っていく。
「民主化の弊害でしょうかね。外国からよくない商売をもちかけられて、免疫のない人たちがどんどん手を染めていってしまう」
クリシュナの商売相手も、外国であるインド人だ。
諦め一色のマヤに、葵は反論した。
「知ったからにはほっとけないですよ。それに、このままだとアリが増え続けてしまいます。クマリも、あの男のせいでアリが増えて困っていると」
「アリが悪いのではありません」
マヤの表情は硬かった。
「アリの餌となる負の感情を増やす、人間が悪いのです」
マヤも、クマリも同じことを言う。
「犠牲になりそうな女の子というのは、さっき言っていたSNSつながりの知り合いですか?」
「はい。……一方的に知っているだけなのですが。警告はしたんですけど、見知らぬ人からのメッセージを信じてもらえるかな、と」
「では、いいではないですか」
表情を隠すかのように、マヤが先に階段を下り始める。
「スマートフォンを持たせてもらえる上流階級で、ぬくぬくと育って、世間知らずなのが悪いんです。警告を聞かなかったなら、それは彼女の問題です」
そんな、と葵は口ごもる。さすがにそれは、突き放しすぎだと思う。
「自分なら彼女を助けられる、というのは思い上がりですよ。アオイができるのは警告するところまで。一介の人間に、運命を変える力はありません」
「でも、どこからが運命かは、人間にはわからないじゃないですか」
葵には、そう言うのが精一杯だった。マヤが立ち止まって振り向く。
「そうね」
怒っているのか同意しているのかわからないマヤの表情が、ちらりと見えた。
再び歩き始めるマヤの団子に結い上げた髪を見ながら、「いちばん運命を恨んでいるのはこの人かも」と葵は思った。
運命だった、仕方がなかった、とでも思わなければ、彼女は先へ進めないのかもしれない。
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